高知の山旅2~龍馬脱藩の道~ | 森中あゆみの「山と薬膳で、ココロとカラダをまるごと養生♩」

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「世界の国の人と自然」を愛するヨメが
「岩と雪と氷」を愛したダンナと
日々のつれづれを発信します。

翌朝、卵焼きが美味しいというお弁当を配達してもらって、宿を出発。車でものの15分

ほどの佐川龍馬公園にある龍馬神社へ。宿で地元の地図がないか聞いてみたが、

オーナーさんご夫婦も含め、誰も龍馬神社を知らない・・・。脱藩の道の公的機関が出す

地図も見当たらない・・・。昨今のロングトレイル流行も、ここにその風は届いていない

ようだ。


龍馬をまつる神社。尊王攘夷派の龍馬が沢村惣之丞と共に国抜けしたのは、1861年

3月24日のこと。いよいよ春が始まった世の中が浮かれるその時期に、龍馬は日本の

夜明けを思い、熱い志を胸にここを歩いたんだな、と思うと、ちょっと胸が熱くなった。

今回のガイドさんは、龍馬を愛する会の会長さん。かなりファンキーなおじちゃん。前日、

ミーティング時間などの確認のために電話した時点で、かなり笑わせてもらった(笑)!

車道をしばらく歩いて山道に入る。土曜日ながらハイカーは1人しか会わなかった。

龍馬脱藩の道の記念碑。

このすぐ近くに、佐竹楽山という方のお住まいがあり、その家を建てる資材を運ぶ為に

下の林道を整備されたのだという。楽山さんは幼少の頃、この地に住んで、龍馬のこと

に触れ、この地やこの山が自分自身の人間形成の原点になっているとしている。


なんてことのない山道なのだけれど、龍馬が志を強く持って歩いた姿を想像すれば、

その地域性や自身と土地とのつながりなどを、意識せずにはいられないだろう。頂上

目指してひたすら歩く山も良いのだけれど、今回みたいに文化や歴史、人の暮らしを

探訪する旅はまた違う味わいがある。

朽木峠に到着。佐川町と津野町(葉山村)との境界でもあり、葉山藩の関所が再現され

ている。


滋賀の朽木(くつき)があるので、関西人にはくちきと読みづらい(笑)!馬を繋ぎ置いた

木が朽ちたからとか、苦知木峠と書いて、苦しいことを知っている木、という意味もある

のだという。


はて、この関所があって、龍馬はここをどう乗り越えたのだろう・・・。葉山の同士が先回

りして手を貸したんだと思う、とガイドさんが仰っていた。国抜けすることはもちろん、手を

貸すことだって重罪だっただろうに、命がけで「日本を今一度せんたくいたし申候」と立ち

上がった往時の若者たち。


政治に無関心を貫いている私も含めた昨今の日本を見て、きっと龍馬は泣いてるな・・・。


近くにガイドさんたちが手作りした展望台がある。木々の間から、不入山(いらずやま)が

見えるが、残念ながら今日はガスで見えない・・・。不入山は数年前に歩いた四万十川

源流を抱える四国の名山。ここに来る数日前に、会社の後輩からチラシを作るので歩い

た時の写真が欲しい、と連絡があり、改めて写真を見直してみた。山深い渓谷沿いの

なかなか良い山だったと思いだした。


ところで、その展望台・・・。階段下に注意書きがある。ガイドさんが作ったもの・・・。

200kg以上の人はダイエットしてから来て、とのこと。とことん面白い(笑)!

峠のはずれに線刻の馬頭観音。

いかにも滑りそうな木橋には、「ぬれたらすべるぜよ」の看板。いちいち福山雅治の顔が

でてくる(笑)!

趣のある水飲み場。水はまろやかで美味しかった。

ゴロゴロした歩きづらい道を 水車のある東屋まで歩き、ハイキングは終了、ランチに

する。

ネーブルのヘタを鎌で切り落としてくれるガイドさん、何たるオトコマエっぷり!


すぐ近くにご自宅のあるガイドさん、家まで帰って文旦やらネーブルやらを鎌と共に持参

し、皆さんにふるまってくださる。せとかを生産販売が本業だそうで、ハネ(出荷できなく

ハネたもの)でも十二分においしい。食べきれないものは皆さんのお土産となる。

公民館には、おそらく今月24日にある龍馬脱藩の日にちなんだお祭りでお披露目に

なるのであろう作りかけの龍馬と、またまた面白看板(笑)!!


食後、トイレの為に公民館の鍵を開けたる!とバイクで先導してくれて、自分ちの前で

わざわざ止まって「ここ、ワシんち!」と指さし(笑)! もうご参加者のアイドル状態!


説明はまぁ、もうちょっとあってもいいかな~~とも思うけれど、土佐の人のお人柄を

実感できて、それはそれでよかったと思うぜよ!