古い山仲間 | 森中あゆみの「山と薬膳で、ココロとカラダをまるごと養生♩」

森中あゆみの「山と薬膳で、ココロとカラダをまるごと養生♩」

「世界の国の人と自然」を愛するヨメが
「岩と雪と氷」を愛したダンナと
日々のつれづれを発信します。

1989年、ちょうど30年前の秋の立山。


短期の登山学校で仲良くなったメンバーで、秋の立山と奥大日へ。
一番年長の男性を、私たちは「お父さん」と呼んでいたけど、実際にはまだ60才代だった

のではないかな…。なんかすごく年長さんな気がして、荷物でもルートでも、お父さんに
合わせてた記憶がある。

お父さん、当時のヤマケイの表紙に出てくるような服装で、なかなか決まってる!
真面目で何事にも丁寧な方で、若くてイケイケな私たちをピリッと締めてくれるような
存在だった。おうちに遊びに行かせてもらって、お母さんともお付き合いが始まり、

息子さんとも知り合いになった。

その後、私は山岳会に入り、この仲間も結婚や仕事の関係などで、ばらばらとなり、

会うこともなくなった。


あの頃からず~~っと年賀状のやり取りは欠かさなかったけど、一昨年はお父さん
からの年賀状は届かなくって、去年はお母さんの字に変わっていた。


そして、年末にお母さんから喪中はがきが届いた・・・。

ダンナが亡くなった時には丁寧なお手紙とお供えを、そして電話でもなぐさめてもらっ

たりして、長く会ってなく関係性も薄れてるに関わらず、何かしら身近な存在だった
お父さんとお母さん。寂しくなったな…。


お供えをお送りしたら、卵が届いた!原材料にこだわった餌をもらって平飼いされてる

ニワトリ。卵かけご飯、とっても美味しかったんだけど、ちょっと切なかった・・・。
私が送ったリンゴ、お母さんからの手紙によると、お父さんの大好物だったらしい。

お母さんも寂しい気持ちでリンゴを食べてくれてるんだろうな・・・。

雄山山頂で。今、よく一緒に山に行くますねえもこのメンバーで、私の最古の山仲間!
みんな、わか~~い!
この頃は、ウェアの色が赤、黄、青の時代から一歩進んで、緑などの中間色が出始めた

時代。ますねぇ、いち早く緑カッパ!私はこの頃から、夏はどの山でもアプローチシューズ

で過ごしていたな(笑)!

けど、このあと、そのアプローチシューズを笑ってる場合ではなくなったのだった。

山岳史上に残る、立山での中高年の大量遭難が起きたのは、この夜のこと。装備が

夏山だったことも大きく指摘され、その新聞を読むたびに、アプローチシューズだった

私は冷や汗ものだった・・・💦 


この日の朝は、こんなにピーカンだったのに、奥大日から雷鳥沢を下山中に、雷鳥が

出てきて喜んでたのもつかの間、急に雲行きがおかしくなってきて、ヒョウが降り出した。

慌ててテン場におりて、テントを撤収し、室堂に戻ったころには・・・


真っ白け!雲行きが怪しくなってからほんの2時間ほどでこの景色になってしまった。

中高年の大量遭難は、この夜のこと。


この時の経験、そして、この2ヶ月後に自分の身に起きた遭難で、私はずいぶんと山の

ことを学ばせてもらった。今だからこんな言い方ができるけれど・・・。この2つの経験が

私の山に対する安全意識のベースを作っている。


お父さん、あの日のことを忘れることなく、これからも安全登山を心がけます!

安らかにお休みくださいね…。