ネパールの山旅 21(人物3) | 森中あゆみの「山と薬膳で、ココロとカラダをまるごと養生♩」

森中あゆみの「山と薬膳で、ココロとカラダをまるごと養生♩」

「世界の国の人と自然」を愛するヨメが
「岩と雪と氷」を愛したダンナと
日々のつれづれを発信します。

今回のツアーでは、山岳会の先輩も参加してくれました。

昔から可愛がってくれていた先輩ですが、長らくお逢いしてませんでした。


昔から体型変わらない!

年齢聞くとビックリですが、今なお日本全国、マイナーな山に登りまくっているスーパー

クライマー。

20年前。大阪から車で東北の山に登りに行きました。これは鳥海山です。既に山岳会の

OBになっていた先輩たち3人に連れられて、楽しい山行でした。

大曲の花火の日だったと記憶しています。違ったかな・・・?

先輩たちに誘われて、財団法人の山の会の指導員のお手伝いを長いことしていました。

その頃はまだツアー登山もそう多くなく、夏の富士登山はラジオでも放送され、一回の

山行で150名を超える方をご案内していました。これはその帰りの新幹線。先輩はその

指導員の副会長的な存在で、ミーティングやトレーニングや、とあちこちの山にたくさん

登りに行きました。

毎年の一大行事、富士登山は大勢で行くこともあって、山小屋のオヤジさんにもとても

可愛がってもらい、小屋のハッピをもらいました。今も大事に持ってます。オヤジさんは

もう亡くなったけれど、当時専務だった息子さんと今はFBで繋がっています。


その財団法人の理事長は、マッターホルン北壁単独登攀、日本人代第一登、1973年の
エベレスト南西壁隊の隊員として活躍した福島博憲さんで、今から思えば、すごい人なの

ですが、その頃は子供扱いされて嫌なオッサンとしか思えませんでした(笑)!

いずれにせよ、先輩たちから、この指導員のお誘いがなかったら、今の私はなかったと

思います。私にとって、山の仕事の原点的な活動場所を与えてくれた先輩と一緒に、

海外初仕事だったネパールのこのコースを歩けることは、ご縁以上の何物でもないと

感じます。


次のネパール行きがあろうとなかろうと、私にとって今回のツアーは、山の仕事の集大成

的な仕事であったと、このブログをまとめながら思いました。