ネパールの山旅 17(カトマンズ市内観光) | 森中あゆみの「山と薬膳で、ココロとカラダをまるごと養生♩」

森中あゆみの「山と薬膳で、ココロとカラダをまるごと養生♩」

「世界の国の人と自然」を愛するヨメが
「岩と雪と氷」を愛したダンナと
日々のつれづれを発信します。

ボーダナートのストゥーパ(仏塔)の周りには、20ほどのゴンパ(僧院)があります。

その中の一つに入ってみます。

チベット仏教にも日本の仏教と同じように、いくつかの宗派がありますが、それぞれに

リンポチェ(仏の生まれ変わりの活仏)に率いられた僧たちが、ゴンパで修業をしています。

素晴らしい仏像と建物、絵画など、チベット仏教の芸術としても鑑賞するに値するので、

靴を脱ぐのはちょっと面倒かもしれないですが、ぜひ、中に入られることをお勧めします。

時間が合えば、プジャ(供養)の儀式をみることが出来たりしますよ。

ブータンですが、仏画師の知人がいます。毎日毎日、雲の絵をいくつもいくつも黒板に

書く練習をしている姿を見学しに行ったことがあるのですが、聞くと、こう書けばステキ

だろうとか、カッコ良いだろう、という私見は一切入れず、ただひたすら、手本をそのまま

コピーすることが重要なのだそうです。生涯ずっと変わらないもの、それを求める姿が

そこに見えてきます。一筆一筆に、そんな思いがこもっている仏画など、全ての創作物

に敬意を払いたくなります。

大マニ車

これたしか、サンテンリン・ゴンパの屋根だったと思います。ゲルク派のゴンパで、ダライ

ラマが所属している宗派です。

ボーダナートにある河口慧海の碑。

慧海は、日本人として初めてチベットに越境した偉人で、堺出身の僧。当時、鎖国状態

であったチベットに真の経典を求め入境を試みるも、日本人とバレれば越境は無理と

察し、中国人のふりをして入境を果たす。

今回、私たちが歩いたジョムソン街道(ゴラパニからヒレへの道)も辿ったことだろう。

逆方向にあるマルファ村には記念館が、そして、ここボーダナートでも住職の世話に

なっていた経緯から、記念碑があるのです。

仏画のお店に入りました。

デモンストレーターの女性が仏画を一心に描いていました。

こちらは砂曼荼羅。色がついた砂を細い筒に入れて、流し落とすようにして描かれる

曼荼羅です。ものすごい集中力が必要だろうと、容易に想像できます。

アップです。ほんの油断が絵を台無しにしてしまいます。

が、プジャが終わるとこの砂絵はサッと崩されてしまいます。

全てこの世のものに永遠はないという教えを説くためのものです。どれだけ苦労して、

多くの時間をかけても、ものごとははかないということです。でも、努力をしなければ、

プジャは行えません。どうせ崩すものと、手を抜いたり、作らない、という選択は、人の

人生においては許されないということも同時に意味するのだと思います。

ダライラマの肖像とポタラ宮殿の模型。


ボーダナートの見学を終えて、バスに戻るときに、否応なく目に留まるこの景色・・・。

絡まりまくってます・・・。


ボーダナートの周囲には、たくさんのチベット難民が住んでいます。チベットから

逃れてきた人たち、そしてネパールで生を受けた難民たちの子たちなど・・・。
山の中で、チベット難民二世の女性から色々と話を聞きましたが、チベットはもちろん、

ネパールからのパスポートももらえないし、保護も一切ないため、苦しい生活を余儀なく

されています。働いて手にするものが財産の全てです。働けなくなったら生活はたちまち

困窮します。短いトレッキングシーズン、しつこいほどお土産を売り込みに来る理由は

そこにあります。

また、ネパールはインドと中国の大国に挟まれているために、政治的に非常に難しい

対応を迫られることがあるのですが、その一つがチベット対策です。中国はチベットを

自国の一部と捉えているため、チベット人が勢力をつけないよう、ネパールにある

チベット人活動家を強制送還するよう、指示しているのです。


ネパールは観光以外の資源に乏しい国です。そして大地震の被害も多くありました。

そんな中で、中国の話を無視してインドに助けを求めては、インドにまんまと利用される

立場に追いやられます。逆も然りです。両国に対して、うまく立ち振る舞うカードを

ネパールは持っているのですが、そこには難しい判断がたくさんあると思います。


各国の支援が止まってしまうと、瞬く間に死活問題に陥ります。国際法に

反しても、中国の言葉を実行しざるを得ないネパールの立場も理解できます。
まるで、この絡まりまくっている配線をみるように、ネパールは混とんとしているのです。


ただし・・・、

これでも問題なく電気が使えているように、ネパールも案外、シレッとやってるようにも

感じます。地震の時もそうでした。私たちよりも立ち直りが早いというか・・・、もともと

守っているものが違うせいでしょう、私たちよりも何杯も力強いのです、彼らは・・・。