山歩きをして、今年創建1300年を迎えた西国三十三か所の寺をお参りする、という
名付けて、山歩巡礼。
山歩巡礼のススメ
ご朱印集めだけを目的にせず、山の適期や季節の花々、スイーツ巡礼にもスポットを
あて、丁寧に巡っていくことをテーマにしているので、満願への道のりは程遠いけれど、
日常がしんどい時とか、歩きやすい季節になり外に出たくなったりとか、行きたい!と
思うときが、参拝の適期と思うので、気長にやっていきたい。
今回は、京都東山を歩いて、その後、二ヶ所のお寺を巡った。一回一寺を基本に
考えているけれど、人生にも時々ラッキーなことがあるように、お参りにもそんなときが
あってもいいんじゃない?
出町柳に集合して、まずは「出町ふたば」の豆もちを買いに。新豆や栗など、季節モノの
大福やおこわを求めに、朝っぱなから長蛇の列!!
折り返して銀閣寺方向へ向かう。出町デルタから比叡山が美しい。
白川にある子安観音さん。
何ヶ月か前にブラタモリでやってた、京都東山の地層の復習によいポイント。
その時のブログ
町の中を右に左に、地図とトレイルの看板を頼りに山に取り付く。
しばらくゆくと、「白幽子厳居の蹟」という場所がある。
白幽子(はくゆうし)は江戸時代初期の隠士だという。書に優れ、天文や医学にも精通
していて、180才とも250才とも言われる長寿の仙人だったとか・・・。この地に住み、
『中庸(儒教の概念)』、『老子(道教の始祖とも言われる哲学者)』、『金剛経(大乗仏教
の経典)』を机上に瞑想をしていた白髪ロン毛の老翁とも・・・。儒教、道教、仏教の本を
読んでたの?なんか嘘くさいなぁ・・・。 ん?ひょっとして、天文って易学のこと?
己に課した厳しい禅修行が原因で、心も身体も壊れてしまった江戸時代中期の臨済宗
の僧、白隠は、白幽子を訪ね(そもそも双方、生きた時代が一致してないが・・・)、
「内観法」、つまり丹田呼吸法を習って、病を治したのだとか・・・。
丹田の丹とは、そもそも「辰砂=硫化水銀」のことで、古くは不老長寿の薬として、
錬金術ならぬ「錬丹術」という研究もあったほど、道教では重要な鉱物だったそう。
長生きするために丹を飲み(外丹法)、呼吸により内側を整える(内丹法)が道教の
奥義にあったのだという。
銀毒による副作用で、薬として服用する「外丹法」はすたれ、内丹法だけが残ってゆく。
それが今の気功に通じる。
中世の京都には、渡来人の代表格、秦氏が大勢いたであろう。渡来人は、日本に
醸造、芸能、鍛冶、土木建築など、たくさんの学や文化をもたらした。一方で、差別の
対象にもなっていたのだろうか、屠殺業に従事していた人も多く、動物の解体から得た
知識で、医学に優れた人も多かったという。
白幽子がそこに関係あるのかどうかは分からないけれど、大陸からの東洋医学的な
考えを人に伝えていたことは、どうやら間違いないようで、白隠の病は、その内観法で
治ったという。
昨年、「丹」のことを上司から教えてもらって、それが西国三十三箇所のお寺、空海を
キーワードにつながることも検証していたのだけれど、たまたま山中で見つけた旧跡が
「丹」に関わる人の隠居で、下山後目指す場所が西国三十三ヶ寺って、どんだけ偶然の
あやとりゾーン。
先の台風で、あちこち、倒木があって、痛々しい。が、基本的に道は整備されているので
歩くのに支障はない。
樹林帯の中、ぽっかり空いた窓から、愛宕山や京都市内を臨みます。写真の真ん中は
左側の壁は、道路のコンクリではなく、地層上部にあったホルンフェルス(噴火などの
熱によって、泥や堆積物が変成した地層)が浸食されて、中の花崗岩が剥き出しに
なってるのだ。あるいは、道を作るため人工的に削ったのかもしれない・・・。
比叡山から大文字山に至る短区間だけに見られる花崗岩帯。このあたりが、京都の
他の山域と違う風情であるのは、この花崗岩が剥き出しになっているためである。
そして、この花崗岩=白川石が風化した砂で水を表した枯山水の作庭が京都に誕生
する。コースのスタート地点にある銀閣寺に代表する、「東山文化」である。
石の鳥居、とか、二の鳥居、と言われる場所。
どこの神社の鳥居やねん?と調べたけれど、すぐには見当たらず・・・。次の課題に
するとしよう!
この辺の沢は本当に美しい。
以前、この辺を歩いたときに「北アルプスの沢みたい!」って思ったことがあるのだ
けれど、それは先ほどから書いてる花崗岩のせい。花崗岩が風化し、真砂化して川に
流れだしたため川底が真っ白。透明な流れで、雲母のせいだろうか、太陽の光に反射
してにキラキラ輝いている。
都と比叡山を結ぶ重要なルートであった「雲母坂(きららざか)」
諸説あるようだけど、雲母の混じった花崗岩がキラキラしてるからという名の由来が
あるそう。風化して溝状になった道は、以前から歩きづらかったけれど、台風でます
ますエライことになっている・・・。
写真の箇所はトレイルが木々で覆われ通行不可なため、左方にう回路が出来ている。
雲母坂は、20年間比叡山で修業した親鸞聖人が、山を下りるを決意し、京へ向かった
道。この坂を歩いて都入りし、その後、今の烏丸三条にある「六角堂」で100日の修行
をした。
今日は、山歩巡礼の日。予定のお寺は、革堂と六角堂。
まるで、親鸞聖人の足跡を辿るような山旅となった。