鶴嘴山アフター | 森中あゆみの「山と薬膳で、ココロとカラダをまるごと養生♩」

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「世界の国の人と自然」を愛するヨメが
「岩と雪と氷」を愛したダンナと
日々のつれづれを発信します。

鶴嘴山は下山してからも多くのみどころがありました。


鴨池には神社がまつられていますが、これ、どうみても前方後円墳・・・。細い通路を

渡って、お参りしに行きたくなる形をしています。

先に進むと、大住寺古墳群&湿地植物群生地がありました。サギソウなど、どこにでも

咲くお花ではないので、季節を変えて見に来たいものです。

それにしても、ぷかぷか浮いてるゴルフ玉・・・。貴重な湿地感ゼロです( ;∀;)

実はこれ、山頂から撮った皿池。肉眼では波紋がたくさんあって、不思議な景色でしたが、

私の通称「のぞきカメラ」で撮ってみると、波紋の中に数字が書かれたプレートが・・・。

上の湿地に落ちたゴルフボールで、やっとこの写真が理解できました。ゴルフの打ちっ

ぱなしのホールだったんですね・・・苦笑!

その先には、大師堂が・・・。
いや・・、このお大師さま、どうみても日本人のお顔ではないですね・・・。韓国の石像、

トルハルバンにも見えるし、目の深いところはキリストにも見えるのですが・・・。

 

空海は遣唐使として大陸に渡る前、丹(硫化水銀)を求めて、諸国を歩き回っていたと

いう説があります。丹は石窟の壁の彩色や、石棺内の防腐剤として用いられていた

だけではなく、防腐の拡大解釈からでしょうか、不老不死の薬とされていたようです。

 

道教の奥義には「錬丹術」なるものがあり、秦の始皇帝も後の皇帝たちも、丹を服用

していたとのこと・・・。大陸に渡った空海が、丹の価値を知らなかったはずはないでしょう。

空海は肝臓を患っていたそうですが、水銀毒によるものではないかと言われています。

 

丹の鉱脈を探したのは、もっと前の時代に渡来からやってきた技術師集団でした。

空海はそれを知っていて、丹の鉱脈を探すために、渡来人と接触していたことでしょう。

写真の像が渡来人により作られたものであるならば、日本人離れした様相に見えるのも

合点がいきます。

 

渡来人といえば、中国や朝鮮半島から渡ってきた人、ということで、当然アジア人だと

思っていましたが、イスラエルのユダヤ教徒、という説もあるらしいのです。陰陽師の

六芒星とダビデの星の関連性や、その星が伊勢神宮の灯篭に刻まれているなど、

いろんな話が飛び交っています。

 

もし、そうであるならば、技術師集団として、日本各地で古墳を作ったり、機を織ったり、

お酒を作ったり、猿楽を興じた渡来人たちや末裔、あるいは、その姻族は、日本に

たっくさんいて、いやいやいや、もう誰が誰とかきっと分からなくなっていると思うけど、

要するに、日本にはユダヤ人の血を引く人がいっぱいいるってこと???

 

歴史のロマン、という言葉を聞いても、歴史大嫌いな私にはいっこうに理解できなか

ったけれど、正解が分からない歴史に対する仮想がこんなにも楽しいものかと・・・、

人生の半ばを過ぎて初めて知ったナリ・・・(笑)!


大師堂のすぐ横にある、石が積み重なった小山。

これ、私には古墳に見えます・・・。

 

渡来人の代表格は秦氏。播州、京都、滋賀などに拠点を置いていたようで、その線上に

あるここ龍野に、渡来人の息吹を感じることは、何の不思議もないですね。

ぐるっと一周して登山口に戻ってきました。

揖保川側に回って、摩崖仏を見に行きました。南北朝の頃に作られたお地蔵さまたち、

川向こうには拝殿があります。

 

よくあるお地蔵さまの像は、人の形をした銅像として三次元で作られるが故に、違和感

がなく、身近なものとして受け入れることができますが、自然石に掘られた二次元の

摩崖仏は、その場に現れた異次元からの来訪者という感覚があり、迫真性がある、と

いう文章を目にしました。

 

確かに言い得ていると思いました。屏風岩に浮き上がってきたお地蔵さまは、恐らくや

南北朝の不安定な時代の人々の心の支えになっていたことでしょう。



龍野は、三木露風の生誕地。各所に赤とんぼが(^^♪

ここにも!!

 

いやはや、いろんなことを感じることができた、良い一日でした。


それにしても、これ怖い・・・。


あれ?
目玉があります。気をつけてみると、黄色い部分が白いものなど、いろんなバージョン

がありました(笑)!