心を清らかにして翌日、那智大社を出発、小さな登下降を繰り返し、一泊二日で
熊野本宮大社までを歩きました。
京や江戸から、はるばる本州最南の地まで詣でた人々の心に想いを馳せ、いつもの
ようなおふざけもほどほどに、ひたすらに歩いてきました。
帰宅すると父が退院しており、ほぼ元の身体に復調し、ベッドで寝息を立てていました。
昨日と同じ一日が過ごせるありがたさを感じつつ、熊野の旅を終えました。
円座石(わろうだいし)
阿弥陀さんと薬師さんと観音さん を表す梵字が書かれた円形の石で、三人がここで
お座布団 に座って談笑していたという。神さま仏さまなんて見たこ ともないのに、3人の
微笑ましい様子が想像できるから不 思議!
仏が衆生を救うために神の姿で現れる、神仏習合の解釈か ら、家津御子大神=阿弥陀
(本宮)、速玉大神=薬師(速 玉)、夫須美大神=観音(那智)となるそう。
熊野信仰は、複合性(神仏習合)、平等性(身分や男女の 差別なし)、開放性(誰でも
自由に出入り可)、広域性( 全国に熊野神社がある)と、閉ざされた宗教でなく、広く
おおらかなことが特徴と語り部さん。
人々の生活に根差し た森羅万象が信仰対象ゆえに、千数百年の時を超えて、祈
りの
縦走2日目は雨だった。霧にくすむ山もまた良し。
本宮大社にあったポストは八咫烏が神さまに願いを運んで くれる特別バージョン。
藤原成一さんの「癒しの地形学」によると・・・、
熊野本宮の大 斎原から正しく真北に貫く線は、神武天皇即位の地、橿原 に至り、
さらには平城京、そして平安京に続く、日本の国 の生命線だったと書いておられる。
時空を超えた壮大な設計図を描いたのは一体誰なのだろう 。こんなことを考えると、
八咫烏が神さまに想いを運んで くれるというのもまんざら冗談ではない気がしてくる。