トキのほっかむりをした女将さんと来年の再会を約束して、ホテルを
出発し、宿根木集落へ。
ガイドさんたちから『先生』と呼ばれてる本間さんによる丁寧かつ
軽妙な解説を受けながら小一時間観光。
戦国時代以降、金山直轄地の『相川』と廻船港『小木』は大きく発展
した。小木港のすぐ東にある宿根木には、廻船業を営む人々が住んで
おり、佐渡の富の3分の1を集めていたと言われるほど栄えていたという。
船大工さんの技術がひかる三角屋や、宮大工と船大工合作のお寺の
門などを見学。本間ガイドの上品な冗談に、輪をかけて笑いをとる
私たちのグループ、それをまた引き受けて冗談を被せる本間ガイド!
非常に奥の深いご案内なのに、なぜか笑いがたえない。
...ホテル送迎のドライバーさんのご厚意で宿根木のカフェでコーヒー
タイムもとらせてもらった。このマスターがまた大爆笑のおもしろい
オジサマで、もうおかしくておかしくて(笑)!
この互いのコミュニケーション力はなんなんだろう!
大阪、宿根木、いずれも人の往来の多い港町に共通するDNA
だろうか(笑)? それとも北前船が繋いだ昔からのご縁ゆえ(笑)?
各地から配流された貴族や文化人の知慧やウィットが島民に転化
したのか(笑)?
とにもかくにも旅の締め括りに相応しい心地よいひとときでした。
佐渡の自然の素晴らしさはもちろんなのだけれど、千手杉のエコガイド
の後藤さんや山のガイドの塚本さんを含め、佐渡の方のお人柄に
触れることができた、本当によい旅だった。
また来年も訪ねたい!白根葵ちゃんだけでなく、佐渡のお人柄にふれに。
添乗さん、見てってぇ~、とさりげなく私に振ってくる女将さん
宿根木のバス停のすぐ前は海。
古くから廻船業で開けた集落だ。
船を繋いでいた「船繋ぎ石」が7つ。そのうちのひとつにカモメが2羽、
羽を休めていた。
屋根が飛ばないよう、石に穴をあけて細工をしてあるのが、この集落の
家の特徴。これはミニチュアのお家の形をした郵便受け。
石を手に取ったあと、穴にきちんと刺すのがちょっともどかしい。
が、さすがの本間ガイド!この石を我々の方を見ながら、刺したり
抜いて見せたりを事もなげに繰り返す。
足元もおぼつかない感じのジイサマなのに、完璧な弾丸トークと
次から次へと繰り出すジョーク、そしてこの、石の入れ戻しが絶妙!
世捨小路。集落奥にある神社やお寺(=山)と海側をつなぐ小道。
亡くなった人の魂が出てゆく道でもあったのだとか・・・。
鋭角な形をしたおうち。ちょっと前まで人が住んでいたというから
びっくりぽん!右側の庇の下は、トイレのくみ取り用。
ここは京都のように間口の狭い細長い家が多かったため、当時の
佐渡奉行は考えた!窓の大きさで年貢を決めようと!
こっちも負けてへんで~、なるほど、どこも窓が小さい!!
この鋭角っぷり!!
狭い土地なので、手に入れた土地を有効活用するため、こんな
いびつな家が多くなったのだそう。
が、この地の船大工の技術は非常に優れていて、土地に沿って
上手に家を建てたのだそう。そう言われれば、側面が緩やかな
弧を描いていて、船の曲線を思わせる。また、一番下の腰板は
船を再利用したものだそう。
上2枚の写真の平面図。
称光寺の山門は、宮大工さんが作ったもので、釘を使わないなど、
素晴らしいのだが、時が経つにつれて劣化し、仕方なく船大工さんが
片方だけ、見よう見まねで作ったとか。
右と左を見比べてみると、違いはほとんど分からないのだけれど、
唯一、板と板のすき間が、船大工さんの方が殆ど見られないほど
ぴったりくっついていた。船に隙間は禁物、というのが門にも表れて
いて、おもしろかった。
ドライバーさんに無理を言って、コーヒーブレイク@茶房やましたさん
船主の納屋を利用した店内には、たらい舟のテーブルが・・・。
マスター、今回の旅一番の強烈キャラ!コーヒーを出したと思ったら
いきなり、女性二人の間に座り込み、自由奔放なトークで周りを
笑いの渦に・・・爆!
再び、フェリーあかねに乗り込む。
アニーローリーのメロディーで離岸してゆくのを眺めていると、何だか
とても長い旅を終えたような気になった・・・涙
ちょうど1年前にも食べたお弁当を再びいただきながら、撮った写真を
眺めなおす。旅の思い出を反芻できる、1人の隙間時間が大好きだ。