大阪50山 | 森中あゆみの「山と薬膳で、ココロとカラダをまるごと養生♩」

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「世界の国の人と自然」を愛するヨメが
「岩と雪と氷」を愛したダンナと
日々のつれづれを発信します。

昨日より続きます・・・。

なぜゆえ、城山オレンヂ園に行ったかということでした・・・。


実は、城山という山があるのかないのかは?ですが、この山自体は「嶽山」というのです。

その嶽山のピークを捜しに行ったのでした。

たった278mの小山ですが、歴史的にはとても重要な場所で、大阪50山に選ばれています。


大阪50山とは、98年に大阪府岳連さんが選抜したもので、府内最高峰の金剛山など、

和泉の山々をはじめ、河内、摂津などが名を連ねています。

番外編としては堺の蘇鉄山(日本一低い一等三角点のある山)や、天保山(日本一低い山)

も載ってるこれまた、私好みの計らいなのですが・・・。


選抜基準はいろいろとあったのでしょうが、この嶽山に関しては、おそらくは歴史的に

重要な山であった、ということからだと推測しています。

50山の記念冊子は昔から持ってるのに、嶽山が選ばれていることは、全然気づいて

いませんでした。というか、蘇鉄山も知らなかった(あはっ・・・)


この山、南北朝の時代にはお城がありました。

河内では有名な武将、楠木正成が建てた「楠木七城」のひとつです。

このおっさんは、なかなかのやり手で、金剛山一帯の山城を基点に、少人数で北朝方を

結構、翻弄したらしいのです。


嶽山城も、南朝から北朝の手に渡り、再び奪還し・・・、という時代を経て、北朝方の畠山氏の

支城となっていたのですが、畠山氏お家騒動で幕府より追われの身となりこの城に籠城。

そこから、応仁の乱のきっかけとなる嶽山城の戦いが始まります。

二年後、幕府方によって落城、やがて、南北朝時代にも終止符が打たれたという流れです。


この山が日本の時代を作った舞台の一つであった、ということが選抜理由ではないのかな?

って思ってますが・・・、いかがでしょうか???

下記写真のように、窯跡が発見されたのも理由の一つかもしれませんね、知りませんが・・・。


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で、です・・・。

この山、近鉄「滝谷不動」や「汐ノ宮」から、とてもよく見えるこんもりした小山です。

山頂には、景色が素晴らしいお風呂があるかんぽの宿や、オレンヂ園などがあるんです。

嶽山に登ったことはないけれど、かんぽの宿には家族がお風呂に入りに来たりして、

とても馴染みのある場所です。山麓に住む友達もいます。


実は城跡のこととか、大阪50山のこととかは今の今まで知らなかったのですが、昔から

その界隈はよく行ってたので、一回登らなアカンと思っていたんです。

で、ワンコインで健康ウォークで企画したものの、遠いイメージの場所だし、小さい山だし、

というか知らんし!ってことで、申し込み無し・感触ゼロだったので、ならば今日(=昨日)

行くべし!と思い立ったということです。


ちょうど、妹と母の実家に行く約束をしていたのがつぶれたこともあり、車に乗せて

もらって、ドライブがてら出かけたのでした。

山もついで、スイセンもついででした。

なんのついで? はい、ランチのついでです(笑)


車で行った、普通の服で行った、雨が降ってる、寒い、妹を待たせるのも・・・、ということで

一番高いっぽいところに登って写真は撮ったけど、山頂の看板もなく、三角点なども

なく、私有地かなんかも分からず・・・撤退、というか、速攻諦め車に戻りました。


帰宅後、ネットで調べたら、一帯が山頂ということながらも、皆が山頂としている場所が

あるようで、そこには行ってないことがわかりました。

まぁ、最初からこうやって調べていかないと、低い山ほど、情報は薄く、道は整備されて

おらず・・・、などで迷うもの・・・。地図すら頭に入ってない状態で行ったのが間違い(笑)


まぁ、また散歩がてら行くことにして、今日(=昨日)は、とっととランチに行きました。

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その辺では有名な、地鶏料理の「川田屋」さんです。

去年、ゆきちゃんと来ました。

今日は、ちょっと豪華なセットを頼みました。

右上、鶏のお寿司。左下、ざる豆腐?というのかな。


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左上、お豆腐を葛か何かでゆるめたプルプル。

中央上、地鶏のたたき。これ最高!

あとデザートもいただきました。ご飯はお代わり自由。


なぜ故、山日記が食べログになってるネン・・・ですね。

そんなこんなの、雨の半日ドライブでした。