8月31日(月)
ちかごろのわたしのいやし↓
かわいいなぁ。
実はペコちゃん大好きなワシ。
練習の行き帰り、この前を通る度に頬が緩んでしまう今年51歳のオッサンですのだ。
みなさま
ごまー
このコロナ禍の中、アヒルちゃんが八軒家浜に帰ってきました。
水都大阪に2009年に初登場したのが、ここ八軒家浜でした。
平日の夜に行くと、会社帰りのサラリーマン&OLのいちゃいちゃカップルだらけで辟易でした。
オフィス街だから仕方ないとはいえ、迷彩パンツ姿でオッサン1人の私はアウェイ感いっぱいでした。
買ったCDをガラケーで記念撮影なんてしようものなら「なんやアイツ」ってな目で見られます。
今回の開催期間は8月1日(土)~8月31日(月)。
本日が最終日ということで、仕事から帰宅して見に行ってきました。
アマゾンから届いたクリーム『フレッシュ・クリーム』をCDウォークマンにセットして…
クラプトンのレスポール、めっちゃいい音してますね。
クラプトンと言えば「ストラト」というぐらい、ソロになってからは専らストラトを愛用していますが…
実は私、クラプトンのストラトの音色(特にレースセンサー使用以降)があまり好きではなくて。
まぁクリームのようなハードなバンドでは、ハムバッカーの太い音でないと埋もれてしまいますしね。
行きしな日本橋のディスクピアに寄ってCDを3枚購入。
200円引きクーポン券の有効期限も今日までなので。
日本橋公園で買ったCDを記念撮影↓
【L⇒R】
●スティーヴ・モーズ・バンド 『サザン・スティール』
●ブルー・オイスター・カルト 『オカルト宣言』
●ブラック・サバス 『リユニオン』
スティーヴ・モーズのは1991年の作品で、ちょうど私がギター製作の学校に通ってた頃でした。
そもそも彼に興味を持ったのは、楽器屋の店頭で流れてた教則ビデオで衝撃を受けたのがきっかけ。
あとHSSHレイアウトのピックアップも気になり、発売当時買うつもりだったけど結局買わなかったCD。
のちにD・パープルに加入しそれが四半世紀にも及ぶと、当時誰が想像出来ただろうか…
ブルー・オイスター・カルトとブラック・サバスは、どちらも「元祖へヴィメタル」とよく言われるけど…
はっきり言おう、どちらもヘヴィメタルではない。
サバスも80年代のトニー・マーティン期には機材の進歩や様式美的音楽性でメタルっぽくなるけど。
確かにブルー・オイスター・カルトはヘヴィメタルの語源となったバンドだけど、音楽性はまた別の話。
まだB・サバスの方がメタルに極めて近いです。
パワーコードのリフでグイグイ曲を引っ張っていく様は確かに早すぎたメタルと言えなくもない。
ヘヴィメタルとハードロックとの違いについて語るのは、長くなるので今回は止めておきますが…
ただ1つだけ言っておきたいのは、Wikipediaに書かれていることはメタル好きからすれば滅茶苦茶です。
ツェッペリンはのちのヘヴィメタルに影響を与えたのは確かでも、全くメタルではありませんから!
あと、「ヘビメタ」という呼称を、メタル好きは蔑称と捉えており激しく嫌います。
30年ほど昔、「たけしの元気が出るテレビ」でイロモノ的に「ヘビメタ」と紹介されたのが大きな原因です。
当時メタラーの友人はこの番組に腹を立てていましたが、私は気にせず面白く見てましたけどね。
でも、私もヘビメタと略すのは物凄く嫌です。
そもそも何でも略すのが嫌いで…レッチリ、バドカン、ピーガブ、ジミヘン、いやジミヘンは構わんけど。
略すなら、チリペッパーズやろ! バッド・カンパニー、ピーター・ガブリエルに関しては私は略さない。
もしヘヴィメタルを略すのなら、「メタル」でお願いします。
懐かしいなぁ。今見てもめっちゃオモロいやん!
また話が大きく脱線してしまいました。
話モドス。
アヒルちゃん最終日、行ってきました。
こんなにでかでかとガラケーによる低画質写真を載せるのは、我ながら恥ずかしいです。
今回はライトアップはなし。
それにアヒルちゃんはこっちにお尻を向けていて、正面からのお顔を拝めませんでした。
きっと行き交う船を見守っているのでしょうね。
とまぁカップルが多かったことも含め不満はあったけど、1ヵ月間続いたアヒルちゃんも今日で終わり。
月曜日だというのに、最後に一目見ようと結構多くの人が来てました。
初めて日本にアヒルちゃんが登場した2009年以来の、実に11年振りの八軒屋浜。
11年前といえば、まだ私はCD店に勤めてましたが、その翌年5月には18年勤めた会社を退社。
当時のことを思い出し、感傷的になりました。と言いたいですが、人が多くてそんな気分に浸れず。
本当は人のいない真夜中に行きたかったけど、当然明日は仕事なので…
初めてアヒルちゃんが日本に来たのは、2009年8月22日~9月27日。
但し、初日にアヒルちゃんがしぼんでしまい9月5日から再開されたそうです。
実はこの時、私はまだアヒルちゃんのことを知りませんでした。
私が初めてアヒルちゃんに会ったのは、その次となる同2009年の12月12日~25日開催の時。
12月21日に初めて行って、アヒルちゃんのレプリカも並んで購入しました。
その時の写真があまり残っていなくて、とりあえず5枚ほど残っていました↓
記念すべき最初の1枚。2009年12月21日、15時48分撮影。
向こうの方にレプリカ購入待ちの行列が見えたので、アヒルちゃんは後回しで急いで並びに行きました。
はじめまして、アヒルちゃん!
レプリカを無事購入したあと、改めてきちんとアヒルちゃんを撮影。16時34分。
お迎えしたMyアヒルちゃんと記念撮影。
日も暮れてきてライトアップで頬を染めるアヒルちゃん。
以上の4枚は2009年12月21日撮影。
つまんでみたー。 2009年12月23日撮影。
もっとたくさんの、そして別の日にも写真を撮ったのですが…
それらは全て昔やってた魔法のiらんどのブログに載せてたけど、現在そのブログはサービス終了。
同時に思い出の写真たちも、この世から消えてしまったのでした。う~
これらの写真を見てると当時を思い出してしまい、しんみりしてしまいます。
CD不況のため、会社およびCD業界の未来を悲観して辞めたものの、再就職は思うようには行かず…
販売職なんてそういうもの、手に職も持たない40過ぎの中年が就ける仕事なんてそうありません。
なんやかんやで今は小さな町工場で、安月給ながら働いております。
コロナ禍の現在、職を失い大変な苦労をされている方がたくさんおられます。
私は仕事がある分、全然まだ恵まれている方です。
安月給とはいえCDやレコードも買えてるし、アヒルちゃんも見に行けて…
とはいえ今の職場もコロナ禍で仕事が減ってるみたいだし、明日は我が身と言うしかありません。
話を今日の日記に戻します。
アヒルちゃんのあと、近くにある京阪シティモールのジュンク堂天満橋店に寄りました。
前から買おうと思ってた本が、帯付き&綺麗な状態で置いてたので喜んで購入。
帰りしな大阪城公園駅近くで記念撮影↓
「山口小夜子 未来を着る人」
アジア人で初めてパリコレに出演した伝説の日本人モデル、山口小夜子さん。
モデルのみに留まらず、女優、パフォーマー、ファッションデザイナー他、多岐にわたり活躍しました。
晩年に近付くほど色んなことをやっていたんですね。
ラッパーA.K.I.との共演で電子音楽と朗読を組み合わせたパフォーマンスを行う山口さん。2005年。
舞踏グループの山海塾とも共演。1986年。
古着のYシャツをドレスに仕立て直したり、空き缶ですらネックレスにしてしまう。(2005年/2004年)
あっ、スティーリー・ダンの「彩(エイジャ)」だっ!(1977年)
白状すると、「エイジャ」のジャケットが山口さんだと、たった今この本で知りました。不覚でした。
名盤ながらまだ持ってないので、こりゃ買わねば。
以上です。
最後に、動画ばっかりで恐縮ですが貼っておきます↓
アヒルちゃん、次はいつ来てくれるかなー?
まー。
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