歌声を聞いて誰かが気が付いていないものか、ミクは耳を澄ませた。歌い終わるとセカイは再び静寂に包まれた。
いや、静寂は依然として重くのしかかっていた。
「・・・。」
ここにも歓声はない。しかしいつものライブステージなら、自身の歌い終わった呼吸や歌声の余韻などが響いているのだ。奏のセカイですら音があるにも関わらず。
雪が降り積もる屋外ステージでは、自身から出る音すら吸い取られてしまいそうな静けさだ。ミクは辛うじてため息をついた。帰ろ、誰にも聞こえない声で呟いた。
「ミ、ク?」
ステージを降り終えていなかったら聞き逃す所だった。舞台裏で呆然と立ちつくす者がいることに、ミクは自身の目すらも疑った。
「え?」
しかし何故か、目の前の相手も自身の見ているものが信じられない様子だった。厚手のコートに包まれた姿で、せきを切って近寄り、ミクが反応する間もなく両肩をふわふわの手袋で掴まれた。
「ミク…⁈ミク、だよねぇ…?」
その声はまごうことなきカイトだった。ミクがいつか会ってみたいと切望した、バーチャルシンガーがそこにいた。
「今までどこにいたの?!マスターは?!一緒じゃないの?!二人が出かけてから俺達の街、なんだか変になっちゃったんだよ!!」
「え、え?」
「ミク、どこもなんともない?なにがあったの?みんなのメールは見た?」
矢継ぎ早の質問に目が回りそうで、言われた事の2割も頭に入っていなかった。
「す、すいません!すいません待って!!下さい!」
背丈の割には妙に軽い両手を引きはがしながら、ミクはようやくそれだけ言って初対面の青年を静止した。
「あの!あっ…あの、人違いです!多分…。」
「…ッ!・・・え?」
両方の意味で相手を跳ね返さないように努めていると、言葉を選ぶ冷静さが生まれた。
「私、マスターいないんです。あと、こことは違うセカイで生まれて、私以外のバーチャルシンガー、会ったことないんです。なんで、えっと…人違い、だと、思います。ハイ。」
目が合った時の驚愕の顔のまま沈黙する青年に、ミクはすみません、と愛想笑いだけ最後に見せた。
相手も平静を取り戻したのか、ふうと一息ついて先ほどの質問攻めを詫びた。
「…ごめん、どうかしてたよ。」
彼のつく細い溜息で、マフラーの長い毛足が小さく揺れた。
「いえ。えと、それでどうしてここにカイト…さんが?」
「ん?ああ、まぁ、・・・はぐれちゃったんだよ。」
見知らぬカイトは困った様に返事をした。いつものセカイで出会うカイトの誰とも違う、穏やかな口調が見えてミクは一先ずほっとした。
「あなたのセカイのミクさんが、見つからないんですね。」
「そうだね…。このセカイがどうやってできたか分かってなかったし、探索できそうなのが俺しかいなかったしね。」ここにステージがあるのも初めてみたよ、と辺りを見渡したカイトの横顔を見て、ミクは初めて彼の躰から体温というものを確認できない事に気が付いた。
「…もしかして、ずっとこのセカイを歩き回ってたんですか?」
「あー、…ハハ。まぁ暇だからねぇ。」
先ほどの切羽詰まった様相はどこへやら、のんびりと笑ってかわされてしまった。マフラーからちょっと出した顔は少し痩けて目も隈で窪んでいる様に見えた。
「…すみません、なんだか随分体調悪いみたいに見えるんですけど…?」
「そうだね。心配される前にそろそろ帰らないと。ミクさんは、戻り方分かる?」
「ああ、はい。私はスマホがあるので移動できるんです。」
と、ミクはスマホを出して見せた。カイトは再びマフラーに顔を埋めながら「そっか。」とだけ小さく返事をした。
「お互い風邪ひきそうな気候だからね。俺ももうちょっと厚着をして出直すよ。」
「はい。…。」
折角出会った初めてのバーチャルシンガーに、聞きたいことや話したい事は山ほどあるが、見れば見るほど心もとない相手の体調と事情にそれらを出すのは憚られた。
せめてもう一度会う機会などは作れないだろうか。自身の存在すら謎の多いこのセカイについて、出来ればたくさんの情報が欲しい。
「あの・・・!」
もと来た道を戻ろうと振り返りかけたカイトの背に声をかけた。カイトは穏やかにん?と微笑んでミクの方を向いた。
「あの・・・、私また、ここのステージで歌うことがあると思います!もし…もしカイトさんの、体調とかが、大丈夫になったら・・・。
また会って、ここで歌いませんか?」
自分で話していてわが身から出てきた言葉に一瞬面食らった。こんな切迫した相手に、音楽どころかにぎやかさとは程遠いこのセカイで歌おうなんて。しかし、
「・・・!うん。うん!もちろんだよ!」
いつも会うカイト達と変わらない、いやもしかしたら彼ら以上に、嬉しそうな満面の笑みとキラキラ輝いた目をこちらに向けられた。もこもこのコートから生まれる白い吐息はほわほわ和やかに舞ってカイトの姿を一層無邪気に見せた。
どうやらこのカイトに(意図せずではあるが)回復する希望を届けられたらしいというのと、もしかしたら自分の夢にほんの僅かでも近づけたのではないかという期待とでようやく安堵することができた。
と、
途端に目の前のカイトはふっと消えてしまった。
「あれ・・・?」
セカイを移動する、特有の光や音もなく、まるで蝋燭の火が消えるように居なくなってしまった。誰もいなくなったこの場所でミクは呆けるしかなくなってしまった。
「あの人も・・・自分で移動できる人だったのかな・・・。」
考える前に大きなくしゃみが立て続けに出て、ミクはそこで初めて自分がオリジナルのミニスカ肩だし衣装を着ている事に気が付いて慌ててスマホを取り出し帰路についた。