「この辺は複製資料だけどね」
思いのほか静かで穏やかな景色が眼前に広がり、隠し階段を見た時とは違った驚きを覚えた。
洒落た木造の装飾、白すぎない照明、独特な保存薬の匂い、愛嬌のある顔のはく製、美しい螺鈿、大きな陶器の置物、二人が一緒に歩く足音が響く床は大理石だろうか。
この空間はまるで
「博物館ですか?」
キョロキョロ見渡すカイトを後ろに従わすままに奥へと進むマスターはうんまぁね。と生返事する。
最奥部の壁いっぱいに並べられた本棚の前まで来たときには、カイトはみたこともない装置のある椅子にくぎ付けになって歩いていた。
「もっか…アごめん」
同時に前を向くのも忘れていたので、無言を破りカイトの方に振り返ったマスターを肩で受け止めることとなった。
「すみません…。」
「いいよ。もっかい聞くけどさ、」
「はい?」
未だ夢心地なカイトとは対照的な表情のマスターと向き合った。
「カイトは、本当に、俺の想いから、発生した住民なんだね?」
ゆっくりと話し出すマスターが改まって眼鏡を片手で押し上げた。
と、マスターの手の甲に皮の剥けた新しい痣ができているのが目に止まった。三日月型の点が4か所並ぶ。しばらく見ていなかったマスターの自傷痕だ。
「ええ、そうです。」
「『どっち』の?」
・・・
「え?」
沈黙がひやりと冷たくなった。マスターは痣のついた手を白衣のポケットに入れている。きっと今度は掌に爪を立てているんだろう。
「カイトが来たタイミングと、その時考えてた事を思い返して、後からできた方かなとは思うんだけど、お前の口から聞きたいの。…どこまで知ってるの?」
自分が「気が付いた」時に感じたことと、今までなんとなく頭にあったことを思い出してみる。
マスターはどこか落ち着かないものの、背後から本を取り出しながら開かずにカイトの返事を待つ。この凍り付いた静寂は延びれば延びるだけ鈍く重苦しく張りつめていくのが分かった。
「ぜ、」
考えがまとまらない内に口をついで出た。
「全部、です。多分…、」
「・・・そう。」
「はい・・・。」
マスターの相槌はとても悲しそうに聞こえた。これね、とカイトが見ていた椅子をマスターは持っていた本で指し示した。
本の背表紙はKevorkianという字だけ読めた。
「あくまで複製模型だけどね、前はこっちでもできるんじゃないかなって。色々作ってたんだよ。」
諦めたような、堪忍して白状するような、気落ちした口調で話す。
「でっ?!できるって…―」
「いないよ?いないよ志願者は。まんまコレ使ってもできないし。」
先ほどまでの空気を払拭するように努めているが、マスターはずっと悲しそうだ。
「・・・。」
「幻滅した?」
困ったように笑って肩を竦めるマスターに、カイトは慌てて首を振るしかなかった。
静かで薄暗い部屋で想いの持ち主はぽつぽつ語る。
「マ、頭おかしいのは分かってるよ。人の理想を具現化した空間で、こんなことしてさ。」
「現実で絶対約束された筈だったものが私にはないからってのもあるよ。」
「羨望する世界観を落とし込めばね、此処のセカイの行く末が…終末が見れると思ったんだよ。始めたばっかりのころは。さっさと終わってしまうだろうと思って使ってたんだよ。この街を。」
「だからこの街にはより現実に近い概念がいっぱいできたよ。本来いるはずのない”敵”はいるし、あるはずのない”病気やケガ”はあるし、”恨みや妬み”も。」
「だけどどうだい。カイトよ。それをすればするだけ『守るために強くなりたい』、『いたわってあげたい』、『愛したい』、『答えたい』『生きたい』『分かり合いたい』『乗り越えたい』そんな住民の力がより強固に、より増していくんだよ。」
「それからあとはもう今の想いのとおりだよ。」
「捨てきれてはいないけど、こうしてたまに思い出すだけでいいんだ。今は。」
「ねえ。ココロ-プログラムが搭載されたアンタらと俺、人の血が通ってんのってどっちなんだろうね。」