「やましい事でもあんのかい?お転婆。」
初夏の日差しで真っ白な帽子の下でルーノは小さく悲鳴をあげた。中にいると思って交番内を覗いつつ視線で探していた堕悪天使は真後ろにいた。どうやらルーノが潜んでから交番を覗くまでの一部始終を静観していたようだ。
「『きゃ』じゃないだろ。」
「あっ・・・。警部さま・・・。」
ふりかえるルーノにいつもの溌剌とした笑顔はない。
「・・・またビアンカが迷子って訳じゃ、なさそうだな?」
「はい・・・。」
ルーノはまだ落ち着きなく押し黙っている。明らかに様子がおかしい。
「ま、入れ。奥にはナギサもいるが?」
「あっいえ…。構いませんわ。」
堕悪は奥で書類を打つナギサに簡単に声をかける。ナギサはルーノに柔らかく微笑んだ後また作業に視線を戻す。ルーノが腰かけた応接用のカウチの前に冷茶を出してやった後、自分も対向に座りシガーボックスに手を伸ばした。
束の間ナギサの打つキーの音だけが響いた。
「探して・・・頂きたい方が…、いらっしゃるのです。」
「ん。」
カッターと葉巻はとりあえずテーブルに置き、堕悪は聞く体勢に入る。
「ですが…この街の、方ではない…のです。」
「どんな奴だ?」
極力(ナギサの注意通りの)軽い相槌を選び、目の前の乙女を威圧しないように心掛ける。ルーノはゆっくりではあるが言葉を紡ぎ始めた。
「多分…男声の住民(モジュール)様…で、」
「『助けてほしい』と…。頼まれまして・・・、」
「お名前は、『ドンファン』と、おっしゃっていましたわ。」
話し終わったルーノに気づかれない位の一瞬、3人の間に静寂が走った。堕悪はソファに深く座り直して吸い口の切れた葉巻をまた手に取る。
「うーん。確かにこの街では聞かない名前だな。」
「そうですか・・・。」
やっぱり。とルーノは小さく肩を落とす。
「その、『助けてほしい』ってのは、誰が言った?」
「えっ…えと…。」
再び焦り始めたルーノは両の指先で口元を隠してしまう。顔が少し上気している。
「すみません。幼い頃からお名前を聞かずに遊んでいた方で…。」
「あぁ。よくいるだろう。そん時の呼び名でいいよ。」
膝に両手を戻してルーノは小さくなって答えた。
「『ウサギさん』・・・と呼んでおります・・・。」
「うん、・・・ウ?」
裏返った声で聞き返そうとした堕悪の前に慌てて「笑わないで下さいね?」とルーノが付け足した。このお転婆の人脈を一度全て浚ってみたい興味はまた後日に置いておくことにした。
「今・・・、話を聞いてるのがお転婆じゃあなかったら、信じる余地もない話だが…。」
「わ、わたくしも・・・先日の夜までウサギさんが、フォルムチェンジされていた方だったなんて、存じ上げなくて――。」
毎度お転婆の持ち込んでくる突拍子もない情報に今日もまた混乱するという前に、待て待てとさえぎり順を追って話すように促した。
ルーノの話すことをまとめると、ルーノには両親も把握できないぐらい遊び友達が幼少期からたくさんいる。「ウサギさん」と呼ばれる存在もそのうちの「一匹」であった。
「ウサギさん」はその呼び名の通り、ウサギの姿で過ごしているらしく、牧場近くの森に入る手前に行けばいつでも会える野生動物だと、ごく最近までルーノは思っていたらしい。
先日の夜、ルーノが用事を済ませた帰り道、いつもの遊び場に見知らぬ住民がうずくまっているのを見た。馴染みの色のツインテールであったのでミク型であると分かったが、服装は今まで見たこともなかったという。が、被っている帽子から出ている耳の色と、目の色があの「ウサギさん」と同じであったのでそう呼んで声をかけると「彼女」は振り返った。赤い瞳の目を更に真っ赤に腫らし、泣きながらルーノを「嬢様」と呼び、
「ドンファンをたすけて」
と、一言話し夜の森へ消えてしまったそうだ。
「なるほどな。そいつがお前のいつも遊んでいる『ウサギ』であるなら、この街のネコどもと同じアニマルフォルムを持った住民ってことになるな。」
「はい…。わたくしはどなたの事か分からなくて。こうして…。」
しかしなぁ、と堕悪は空を見つめようやくライターに手をつけた。よほどのモノ好きでないとMV撮影にも使わない様な薄暗いあの広い森から宿無しの住人一人もしくは野生動物一匹を探し出すのはほぼ不可能に近い。
「もう一度、そいつに会えんかね。」
「仰る通りですわ。あれからウサギさんにはお会いできておりませんが・・・。」
「できれば、会いたいのはお前が夜に会ったミク住民の方なんだがな。」
謎の多すぎる事柄に双方頭を抱えてしまい結論が出ず、今できることと言えば他に見知らぬアニマルフォルムの住民を見たものがいないか聞き込みをすることを堕悪はルーノと約束し、ルーノは一人で軽率な行動はとらないことを約束しその日はお開きとなった。
嵐の過ぎた部屋の中で再び静寂が戻った。
「・・・堕悪さん・・・。」
作業の手を止めたナギサが初めて口を開いた。一息ついてふんぞり返って煙を吐いている堕悪に、ゆっくり向けた色白の顔はさらに青ざめている。
「『エス』か、『クレシェンド』のどっちかだろうな…。」
低くかすれた声で、堕悪からはようやくそれだけ言葉を絞りだした。
「なんで…、ルーノちゃんが…?」
「例の家庭教師だけとは考えづらいが、そうでなきゃ、街、とかあるいは──。」
最後まで聞き終わらない内にナギサは事務机を蹴り上げるように立ち上がり「私、ネルさん呼んできます」とだけ言い残し別室へ転がり込むように去って行った。
短くなった葉巻は音を立てて噛み千切られてトレイに放られた。
憮然としない顔で、駄悪は何やら電脳パッドで検索した後、
「肉球ねぇのか…」と呟きを残して駄悪もナギサの後に続いた。