コノヒトと一緒に何か創りたい。
ソノ方は私が足元にも及ばない
素晴らしい経歴の持ち主であり、
百戦錬磨で道を切り開いてきた
にも拘わらず人懐っこい笑顔で
「まっちゃん」 「まっちゃん」 と
気さくにも 話しかけてくれては
お酒を共にし楽しい時間に加え
私などと 語り合ってくれました。
まるで稲穂の様なソノ方に接し
「自分も決して驕らず稲穂の様に」
ココロに誓いを立てると同時に
いつか一緒に何か成し遂げたい
そんな目標が 心に芽生えました。
そんな中、
ソノ方の代表作の1つと言える
タイトルに携わる事になった時
凄く嬉しかったのを覚えてます。
勿論、このタイトルにソノ方が
直接は関わっていないのですが
北斗の拳という大きな器を通し
1クリエイターとして近づけた。
一方的にですがそんな風に思え
「今度こそは一緒にナニカを!」
更に更に、気持ちが募りました。
Hyd Lunch - Sphere City
※ソノ方は当時、コノ楽曲を
とても気に入って下さいました。
コノヒトと一緒に何か創りたい。
募る想いから数年の月日が過ぎ
ソノ想いに、 幕を下ろしました。
2021年 8月 1日
須田正己さんは 永眠されました。
「まっちゃん、まっちゃんはさ、音楽の道を目指す切っ掛けは何だったの?」
「小学6年生の時、音楽クラブの演奏会でドラムを叩いたんすけど、その時に先生が凄く褒めてくれたのが嬉しかったんです。一番最初の切っ掛けはソレかもしれないっすね」
「ぼくと一緒だね!ぼくもね、小学生の時に描いた絵を先生が褒めてくれたんだよ。それが嬉しくてねー 目指す切っ掛けになったよね」
その後に知ったコトなのですが
須田さんもドラムを叩いていた。
そうお聞きして、 何だかとても
嬉しく思ったのを覚えています。
須田さんと交わしたお酒や言葉
須田さんとご一緒出来た時間を
今後も大切に歩もうと思います。
最初は、書こうか迷いましたが
須田さんとの思い出を書き留め
私なりに偲ばせてもらいました。
須田正己さんのご冥福を心よりお祈りいたします。
Japanese legend animator Masami Suda-san passed away in August.
Suda-san was always looks fun, always smiling and always positive.
I will never forget memories with Suda-san.
I will send you love and prayer so that your soul may rest in peace.
須田さん、ありがとうございました。
BGM / Eagles - Hotel California