存在への祝福のシンボル | オーラの研究

オーラの研究

健康のため、気功をやっています。かれこれ、10年近くになります。その影響があってか、最近、オーラがはっきり見えるようになりました。日々のオーラ観察を通して、気づいたこと、発見したこと、感動したことをまとめてみたいと思い、ブログを立ち上げました

2018年2月24日の出来事である。

 

わたしはこの日、「存在してくれてありがとう」という

 

存在への祝福のシンボルを見た。

 

この2018年の2月はエネルギーが来て、

 

怠かったり、意味なくイライラしたりすることが多かった。

 

特に「22,23日は頭痛もし、イライラしていた。

 

子どもも休みで家にいたが、一人になりたかった」と

 

デトックスの時に見られる症状がでていたことが

 

日記には書かれている。

 

2月24日、夜、夫にヒーリングを20~30分した後、

 

夫の祖母が体の調子が悪かったので、また遠隔で送っていた。

 

送っていると、遠くの方で少し人の話し声がする、

 

ザワザワとした音が聞こえた。

 

耳の近くで息の音がする。

 

ふと自転車のような見たことのない乗り物、

 

人の顔などがあらわれる。

 

不思議と怖くはない。

 

その後、急に人の気配や見えているもの(目は瞑っている)が

 

消えてしまい、

 

ポンっと何もない真っ暗なところにいた。

 

すごく穏やかなところで時が止まっており、

 

快い場所だった。

 

ずっと居たい、そう思った

 

多分、現実の時間にすると、きっと1,2秒だったに違いない。

 

その時の私がそこにいるのは、1,2秒が限界、

 

そんな高次元の場所だった

 

その後、強いエネルギーが3回入ってきた。

 

ガン、ガン、ガンと頭を殴られたかのような衝撃だった。

 

以前レイキを受講した時にもらった教科書には、

 

臼井先生は悟りを開いた時、

 

「突如落雷を受けたような衝撃が脳天を貫き、

 

意識不明の状態に陥りました。

 

一夜が明け意識を取り戻した臼井氏は

 

未だ体験したことのない不思議な感覚を体験します」

 

とあった。

 

多分、強いエネルギーが入る時はそんな衝撃があるのだろ。

 

しかも、3回人の何かをこじ開けるようにして、

 

エネルギーを注入しなければいけないのだと思う。

 

しばらく(多分4,5分)気を失ったようになった後、

 

眼を明けると丁度12時だった。

 

時計の隣に、シンボルがでていた。

 

 

 

 

シンボルは水の流れが線を描いているようだった。

 

先端はチリチリと渦を巻いていた

 

私は凝視していた。

 

そのシンボルは5分ほど経つと消えてしまった。

 

 

 

夫に再度エネルギーを送ってみた

 

不思議体験をする前に夫にエネルギーを送っており

 

夫は十分にエネルギーが充実していた。

 

しかし、「さっき送ってもらって熱かったのに

 

今はもっと熱い」と夫は言った。

 

 

 

 

 

 

後日、マントラに関する夢を見た

 

1回目は、「○○グァム」と言うのだけ覚えていて

 

正確に覚えていなかった。

 

スピ友に相談したら、「枕元にペンと紙を置いて

 

起きたらすぐにめもりなよ」とアドバイスをもらった。

 

2回目、マントラを教えてほしいとお願いをして寝ると、

 

今度は本があった。虹色の文字で何とか書かれてあるかわからない。

 

しかし、なぜか必要箇所だけ、

 

カタカナが通訳のように浮かび上がった

 

「マデオン、アラオン、オドニス」

 

意味は”空にして愛で満たす”

 

でも、1回目の「○○グァム」ではない。

 

何かの良い言葉とわかるが、マントラではなかった。

 

3回目、夢で見た時、人から「ファンスティグァム」と

 

教えられる。起きた時にすぐにそれをメモッた。

 

以上がシンボルとマントラに会った時の体験だ。

 

 

 

 

 

この不思議な体験を暫くかけないでいた。

 

大切なシンボルで自分だけ知っていればいいし、

 

反対に多くの人に知らせると

 

この純粋な愛のエネルギーが汚されることをを心配していた。

 

しかし、それは自分の中の恐れだった。

 

この純粋な愛は純粋なだけに汚されることはない

 

全ての物を肯定するエネルギーだ

 

だから大丈夫。

 

反対に自分の中の

 

「良くないエネルギーに影響されてしまうかも」という

 

恐れを手放すべきなのだと思った。

 

強い、弱いの定規で測れるようなものではないのだ。

 

純粋な愛は全てを肯定する

 

そこにあるのは影響し合うなどの、競争論ではなく、

 

ただ存在への祝福があるだけなのだ。

 

今日、心の底からそう思うようになった。

 

その印としてブログに記したいと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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