「思考」のワークショップは毎週金曜日の19:00から、論理的に考えて自分の意見を伝える力を養うことを目的におこなわれている、対話をベースとした参加型の授業です。
2020年の東京オリンピック開催に向けて!ではないですが…
知誠館の活動のひとつである、「思考」のワークショップでは、オリンピックについてみんなで考えました。
まず初めに出てきた問いは
─ロボットのオリンピック参加はありか?
というものでした。
これに対してみんなで
─「機械が認められたら、動物でもいいんか?ってなるからあかん」
─「人間の限界に挑戦するのがオリンピックじゃないのって思うから、別でやれば?って感じ」
─「でも、人間が競技をしてるけど、スポーツ科学っていうぐらい「科学」の影響ってあるし、それとロボット工学ってどう違うんやろ?」
という意見を出し合いました。
この最初の問いは実は、みんなの意見にあったように
①動物・機械・人間の境界ってどこ?
②テクノロジーとスポーツの関係(どこからが「ドーピング」?)
③そもそも「オリンピック」って何?
という新たな問いにつながっていたのです。
これに対して、みんな自分の考えを根拠を示しながら出し合いました。
みんなしゃべるしゃべる…
ストレス溜まってんの!?と思うぐらいみんな活発に議論したがります。
もちろん、私も楽しくなってムービーを撮ることを忘れて議論に参加しました。
しかし
─パラリンピックの選手はオリンピックに出場していいの?
という問いをみんなで考えているときは、なんとなく考えがまとまらず、考え込んでしまいました。
みんなの意見を聞きながら、なんとなく議論がずれてるなー、なんでなんやろなー
と考えていると、あることに気づきました。
それは
パラリンピアンのオリンピック出場を認めるかという問いは論点が2つあるのではないか?
ということです。
つまり、「オリンピック」なるものの成立条件について論じるか、個人(パラリンピアン)自身の見出す意義(QOLなど)について論じるかを明確に分けなければ、議論がかみ合わなくなるということです。
その気づきをこの場で言ったところ、みんな「確かに…」と一度立ち止まり、また考え始めました。
なかなか言葉にするのは難しいですが、この瞬間に
「あ、参加してるなー」
という感覚がありました。
冒頭に述べた「参加型の授業」って、言葉にするとまぁこうなんですが…
その実態とか実感ってどんなところで感じるのか、最近生徒を観察したり、直接聞いたりして考えてもいまいちよくわからん。
と、いうことで自分を観察せねば!となりまして、こんなブログを書いてみた次第であります。
今、学校現場で「アクティブ・ラーニング」とか「参加型の授業」という言葉が流行っています。
でもその理論というか説明を見ても、実際どうなん?と思い所も多いです。
知誠館でも、このあたりの学び方を目指しているので、知誠館で起こる現実から言語化できるように、これからも時々こんなブログを書いてみようと思います。
皆様のご意見もコメントしてくだされば嬉しいです。
では、失礼します。
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