マルコによる福音

 〔そのとき、〕2・18ヨハネの弟子たちとファリサイ派の人々は、断食していた。そこで、人々はイエスのところに来て言った。「ヨハネの弟子たちとファリサイ派の弟子たちは断食しているのに、なぜ、あなたの弟子たちは断食しないのですか。」19イエスは言われた。「花婿が一緒にいるのに、婚礼の客は断食できるだろうか。花婿が一緒にいるかぎり、断食はできない。20しかし、花婿が奪い取られる時が来る。その日には、彼らは断食することになる。

 21だれも、織りたての布から布切れを取って、古い服に継ぎを当てたりはしない。そんなことをすれば、新しい布切れが古い服を引き裂き、破れはいっそうひどくなる。22また、だれも、新しいぶどう酒を古い革袋に入れたりはしない。そんなことをすれば、ぶどう酒は革袋を破り、ぶどう酒も革袋もだめになる。新しいぶどう酒は、新しい革袋に入れるものだ。」

 

 律法で定められていたのは年一度の「贖罪の日」の断食でしたが、神殿で祈るファリサイ派の人が「わたしは週に二度断食し」というように、ファリサイ派の人の中には月曜日と木曜日に断食をしていたようです。洗礼者ヨハネの弟子たちは禁欲的な師にならい、断食をしていました。

 「花婿が一緒にいるのに、婚礼の客は断食できるだろうか。」とイエスは言います。この言葉は、イエスを花婿、イエスの弟子たちを婚礼の客にたとえています。

 イエスが登場することによって全く新しい事態が始まったとイエスは言いますが、その言葉はイエスに質問をした人びとには理解できませんでした。

ヨハネによる福音 1:29-34

 

 29 その翌日、ヨハネは、自分の方へイエスが来られるのを見て言った。「見よ、世の罪を取り除く神の小羊だ。30 『わたしの後から一人の人が来られる。その方はわたしにまさる。わたしよりも先におられたからである』とわたしが言ったのは、この方のことである。31 わたしはこの方を知らなかった。しかし、この方がイスラエルに現れるために、わたしは、水で洗礼を授けに来た。」32 そしてヨハネは証しした。「わたしは、“霊”が鳩のように天から降って、この方の上にとどまるのを見た。33 わたしはこの方を知らなかった。しかし、水で洗礼を授けるためにわたしをお遣わしになった方が、『“霊”が降って、ある人にとどまるのを見たら、その人が、聖霊によって洗礼を授ける人である』とわたしに言われた。34 わたしはそれを見た。だから、この方こそ神の子であると証ししたのである。」

 

 第1朗読は、イザヤ書49章です。イザヤ書には「主のしもべの歌」が四つあります。先週は第1の僕の歌でしたが、本日の朗読は第2の主のしもべの歌です。冒頭で、「主はわたしに言われた。あなたはわたしの僕、イスラエル あなたによってわたしの輝きは現れる」と言われますが、わたしとは預言者イザヤ自身のことを指していると言われます。

 復活されたイエスに出会い、イエスを救い主だと信じた人びとは、僕の歌で歌われる僕とはイエスのことだと受け止めました。

 

 第2朗読は使徒パウロのコリントの教会への手紙の冒頭の挨拶の言葉です。この短い挨拶の中に二度「召されて」という言葉が出てきます。パウロは神のみこころによって召されてキリスト・イエスの使徒とされました。そして、パウロが手紙を送るコリントの教会の人たちも、キリスト・イエスによって召されて聖なる者とされた人々です。

キリストの教会は私たちが自分たちの目的に従って自発的に集まった集団ではなく、キリスト・イエスによって召された人びとの集まりを意味しています。

ミサは、キリスト・イエスによって招かれた人びとが神の言葉を聞き、キリストの体を頂いて、派遣される祭儀です。

 

 福音では、洗礼者ヨハネが自分の方へ近づいてくるイエスを見て「世の罪を取り除く神の小羊」だと証しします。

 洗礼者ヨハネは「わたしはこの方を知らなかった」と言いますから、それまで彼はイエスに一度も会ってはいませんでした。彼は、近づいてくるイエスの上に「霊が鳩のように天から降って」とどまるのを見て、イエスを「神の子であると証し」しました。

 状況から考えて「霊が鳩のように天から降」るありさまを見たのはヨハネだけだと思います。それを見た彼は確信を込めてイエスを神の子であると証しします。

 洗礼者ヨハネはイエスの最初の証し人となりました。

 

 イエスが誰であるかを知るには、イエスと直接出会い、イエスのもとにとどまる必要があります。洗礼者ヨハネは霊が鳩のようにイエスに下るのを見て、イエスの証し人としての自分の使命を悟ったのだと思います。

 

 自分の弟子たちの多くが彼の元を去り、イエスに従うようになった時、洗礼者ヨハネは次のように述べます。

 

 「天から与えられなければ、人は何も受けることができない。わたしは、『自分はメシアではない』と言い、『自分はあの方の前に遣わされた者だ』と言ったが、そのことについては、あなたたち自身が証ししてくれる。花嫁を迎えるのは花婿だ。花婿の介添え人はそばに立って耳を傾け、花婿の声が聞こえると大いに喜ぶ。だから、わたしは喜びで満たされている。あの方は栄え、わたしは衰えねばならない。」(ヨハネ3:27-30)

 

ひとこと

 1月18日から25日はキリスト教一致祈祷週間です。キリスト教一致祈祷週間の由来についてはお手元の「聖書と典礼」の7ページに説明があります。

 イエス・キリストから招かれ、イエス・キリストを証しする者として選ばれたわたしたちが、互いを尊重し、与えられた使命を果たすことができますように。

マルコによる福音

〔そのとき、〕2・13イエスは、再び湖のほとりに出て行かれた。群衆が皆そばに集まって来たので、イエスは教えられた。14そして通りがかりに、アルファイの子レビが収税所に座っているのを見かけて、「わたしに従いなさい」と言われた。彼は立ち上がってイエスに従った。15イエスがレビの家で食事の席に着いておられたときのことである。多くの徴税人や罪人もイエスや弟子たちと同席していた。実に大勢の人がいて、イエスに従っていたのである。16ファリサイ派の律法学者は、イエスが罪人や徴税人と一緒に食事をされるのを見て、弟子たちに、「どうして彼は徴税人や罪人と一緒に食事をするのか」と言った。17イエスはこれを聞いて言われた。「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人である。わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである。」

 

 イエスはガリラヤ湖畔でシモンとその兄弟アンデレ、ヤコブとその兄弟ヨハネを招いたのと同じように収税所にいるレビに「わたしに従いなさい」と呼びかけます。レビも自分が生まれてきたのはこの人に出会うためだったと気づいたのかもしれません。

 彼はイエスを招いて大宴会を開きます。おそらくその後、レビはすべての財産を処分してイエスに付き従うつもりだったのだと思います。

 イエスとの出会いで、人生が全く変わることは今でもあります。

 

聖アントニオ修道院長については、女子パウロ会ホームページをごらんください。

https://www.pauline.or.jp/calendariosanti/gen_saint365.php?id=011701