ヨハネによる福音 1:29-34
29 その翌日、ヨハネは、自分の方へイエスが来られるのを見て言った。「見よ、世の罪を取り除く神の小羊だ。30 『わたしの後から一人の人が来られる。その方はわたしにまさる。わたしよりも先におられたからである』とわたしが言ったのは、この方のことである。31 わたしはこの方を知らなかった。しかし、この方がイスラエルに現れるために、わたしは、水で洗礼を授けに来た。」32 そしてヨハネは証しした。「わたしは、“霊”が鳩のように天から降って、この方の上にとどまるのを見た。33 わたしはこの方を知らなかった。しかし、水で洗礼を授けるためにわたしをお遣わしになった方が、『“霊”が降って、ある人にとどまるのを見たら、その人が、聖霊によって洗礼を授ける人である』とわたしに言われた。34 わたしはそれを見た。だから、この方こそ神の子であると証ししたのである。」
第1朗読は、イザヤ書49章です。イザヤ書には「主のしもべの歌」が四つあります。先週は第1の僕の歌でしたが、本日の朗読は第2の主のしもべの歌です。冒頭で、「主はわたしに言われた。あなたはわたしの僕、イスラエル あなたによってわたしの輝きは現れる」と言われますが、わたしとは預言者イザヤ自身のことを指していると言われます。
復活されたイエスに出会い、イエスを救い主だと信じた人びとは、僕の歌で歌われる僕とはイエスのことだと受け止めました。
第2朗読は使徒パウロのコリントの教会への手紙の冒頭の挨拶の言葉です。この短い挨拶の中に二度「召されて」という言葉が出てきます。パウロは神のみこころによって召されてキリスト・イエスの使徒とされました。そして、パウロが手紙を送るコリントの教会の人たちも、キリスト・イエスによって召されて聖なる者とされた人々です。
キリストの教会は私たちが自分たちの目的に従って自発的に集まった集団ではなく、キリスト・イエスによって召された人びとの集まりを意味しています。
ミサは、キリスト・イエスによって招かれた人びとが神の言葉を聞き、キリストの体を頂いて、派遣される祭儀です。
福音では、洗礼者ヨハネが自分の方へ近づいてくるイエスを見て「世の罪を取り除く神の小羊」だと証しします。
洗礼者ヨハネは「わたしはこの方を知らなかった」と言いますから、それまで彼はイエスに一度も会ってはいませんでした。彼は、近づいてくるイエスの上に「霊が鳩のように天から降って」とどまるのを見て、イエスを「神の子であると証し」しました。
状況から考えて「霊が鳩のように天から降」るありさまを見たのはヨハネだけだと思います。それを見た彼は確信を込めてイエスを神の子であると証しします。
洗礼者ヨハネはイエスの最初の証し人となりました。
イエスが誰であるかを知るには、イエスと直接出会い、イエスのもとにとどまる必要があります。洗礼者ヨハネは霊が鳩のようにイエスに下るのを見て、イエスの証し人としての自分の使命を悟ったのだと思います。
自分の弟子たちの多くが彼の元を去り、イエスに従うようになった時、洗礼者ヨハネは次のように述べます。
「天から与えられなければ、人は何も受けることができない。わたしは、『自分はメシアではない』と言い、『自分はあの方の前に遣わされた者だ』と言ったが、そのことについては、あなたたち自身が証ししてくれる。花嫁を迎えるのは花婿だ。花婿の介添え人はそばに立って耳を傾け、花婿の声が聞こえると大いに喜ぶ。だから、わたしは喜びで満たされている。あの方は栄え、わたしは衰えねばならない。」(ヨハネ3:27-30)
ひとこと
1月18日から25日はキリスト教一致祈祷週間です。キリスト教一致祈祷週間の由来についてはお手元の「聖書と典礼」の7ページに説明があります。
イエス・キリストから招かれ、イエス・キリストを証しする者として選ばれたわたしたちが、互いを尊重し、与えられた使命を果たすことができますように。