マルコによる福音

 〔そのとき、〕3・7イエスは弟子たちと共に湖の方へ立ち去られた。ガリラヤから来たおびただしい群衆が従った。また、ユダヤ、8エルサレム、イドマヤ、ヨルダン川の向こう側、ティルスやシドンの辺りからもおびただしい群衆が、イエスのしておられることを残らず聞いて、そばに集まって来た。9そこで、イエスは弟子たちに小舟を用意してほしいと言われた。群衆に押しつぶされないためである。10イエスが多くの病人をいやされたので、病気に悩む人たちが皆、イエスに触れようとして、そばに押し寄せたからであった。11汚れた霊どもは、イエスを見るとひれ伏して、「あなたは神の子だ」と叫んだ。12イエスは、自分のことを言いふらさないようにと霊どもを厳しく戒められた。

 

 イエスのもとに押し寄せるおびただしい群衆は、パンを増やすしるしの後、イエスを追いかけた群衆を思い出させます。

 群衆はやがてピラトの前でイエスを「十字架につけろ。」と叫びます。

 群衆は、イエスの不思議なわざを目にすると興奮してイエスに群がりますが、状況が変われば態度を急変させます。

マルコによる福音

 〔そのとき、〕3・1イエスはまた会堂にお入りになった。そこに片手の萎えた人がいた。2人々はイエスを訴えようと思って、安息日にこの人の病気をいやされるかどうか、注目していた。3イエスは手の萎えた人に、「真ん中に立ちなさい」と言われた。4そして人々にこう言われた。「安息日に律法で許されているのは、善を行うことか、悪を行うことか。命を救うことか、殺すことか。」彼らは黙っていた。5そこで、イエスは怒って人々を見回し、彼らのかたくなな心を悲しみながら、その人に、「手を伸ばしなさい」と言われた。伸ばすと、手は元どおりになった。6ファリサイ派の人々は出て行き、早速、ヘロデ派の人々と一緒に、どのようにしてイエスを殺そうかと相談し始めた。

 

 安息日に「働いてはならない」という戒めを守るためにファリサイ派の人々は細則(ミシュナ)を作っていました。彼らに取って「手を伸ばして病を癒やすこと」は「医療行為」であり禁じられていました。

 人々はイエスを訴える証拠を得ようとして、イエスの行動を見張っていました。

 イエスは律法を守るために目の前の苦しむ人を放置することと、律法を越えて人を助けることのどちらが神のみこころにかなうのかと問います。

 安息日に人の苦しみを癒やすイエスと、安息日にイエスを殺そうと企む人々のコントラストがくっきりと浮かび出ます。

 

 聖アグネスおとめ殉教者については、女子パウロ会ホームページをごらんください。

https://www.pauline.or.jp/calendariosanti/gen_saint365.php?id=012101

マルコによる福音

 2・23ある安息日に、イエスが麦畑を通って行かれると、弟子たちは歩きながら麦の穂を摘み始めた。24ファリサイ派の人々がイエスに、「御覧なさい。なぜ、彼らは安息日にしてはならないことをするのか」と言った。25イエスは言われた。「ダビデが、自分も供の者たちも、食べ物がなくて空腹だったときに何をしたか、一度も読んだことがないのか。26アビアタルが大祭司であったとき、ダビデは神の家に入り、祭司のほかにはだれも食べてはならない供えのパンを食べ、一緒にいた者たちにも与えたではないか。」27そして更に言われた。「安息日は、人のために定められた。人が安息日のためにあるのではない。28だから、人の子は安息日の主でもある。」

 

 安息日に麦の穂を摘むことは、安息日には労働しないという掟を破ることです。

 弟子たちが麦の穂を摘んだのは、麦を食べるためでした。もしかしたらイエスの一行は何日も食事をすることができず、飢えていたのかも知れません。それで、安息日に麦の穂を摘むという非常手段を取らざるを得なくなったのでしょう。

 その行為を批判するファリサイ派の人々は、他人の飢えには関心がなく、律法の遵守には多大の関心を持つ人たちでした。

 「人の子は安息日の主でもある。」と言う言葉は、「花婿が一緒にいるのに、婚礼の客は断食できるだろうか。」という言葉に通じます。