マタイによる福音

 〔そのとき、イエスは弟子たちに言われた。〕5・17「わたしが来たのは律法や預言者を廃止するためだ、と思ってはならない。廃止するためではなく、完成するためである。18はっきり言っておく。すべてのことが実現し、天地が消えうせるまで、律法の文字から一点一画も消え去ることはない。19だから、これらの最も小さな掟を一つでも破り、そうするようにと人に教える者は、天の国で最も小さい者と呼ばれる。しかし、それを守り、そうするように教える者は、天の国で大いなる者と呼ばれる。」

 

 イエスは「わたしが来たのは律法や預言者を廃止するためではなく、完成するためである」と宣言します。

 イエスがファリサイ派の人びとや律法学者を批判するのを見て、イエスの弟子の中には「イエスは古いしきたりを壊そうとしている」と考える者もいたようです。

 しかしイエスは、旧約聖書に記された律法は、細かな「掟」に至るまで神の意志が含まれていると考えていました。

 律法を形式的に受け取るのではなく、律法で現される神の御心を行うことが大切なのです。

 弟子は掟を覚えていれば良いのではなく、そこに現されている神の御心を毎日行う必要があります。

 イエスはしばしば、口先だけで民衆を指導し、自分では指一本動かさない律法学者やファリサイ派の人びとを批判しました。

 人に教える立場にある者が、自分勝手な基準で「これは小さいことだから守らなくていい」と教えることは、神の秩序を乱す大きな責任を伴う行為だと警告しています。

 しかし、イエスは掟を破った者を「天の国から追放する」とは言わず、「天の国で最も小さい者と呼ばれる」と言っておられます。

 イエスは、弟子たちを厳しく戒めますが、破門したり、追放することはなさいませんでした。

 ナウエンと共に祈りましょう。

 

あなたに感謝をささげます。

神よ、あなたに感謝をささげます。

御名はわたしたちの近くにいまし

人びとは驚くべき御業を物語ります。

わたしはとこしえにこのことを語り継ぎ

ヤコブの神にほめ歌をささげます。

──詩編75:2, 10

マタイによる福音

 18・21そのとき、ペトロがイエスのところに来て言った。「主よ、兄弟がわたしに対して罪を犯したなら、何回赦すべきでしょうか。七回までですか。」22イエスは言われた。「あなたに言っておく。七回どころか七の七十倍までも赦しなさい。23そこで、天の国は次のようにたとえられる。ある王が、家来たちに貸した金の決済をしようとした。24決済し始めたところ、一万タラントン借金している家来が、王の前に連れて来られた。25しかし、返済できなかったので、主君はこの家来に、自分も妻も子も、また持ち物も全部売って返済するように命じた。26家来はひれ伏し、『どうか待ってください。きっと全部お返しします』としきりに願った。27その家来の主君は憐れに思って、彼を赦し、その借金を帳消しにしてやった。28ところが、この家来は外に出て、自分に百デナリオンの借金をしている仲間に出会うと、捕まえて首を絞め、『借金を返せ』と言った。29仲間はひれ伏して、『どうか待ってくれ。返すから』としきりに頼んだ。30しかし、承知せず、その仲間を引っぱって行き、借金を返すまでと牢に入れた。31仲間たちは、事の次第を見て非常に心を痛め、主君の前に出て事件を残らず告げた。32そこで、主君はその家来を呼びつけて言った。『不届きな家来だ。お前が頼んだから、借金を全部帳消しにしてやったのだ。33わたしがお前を憐れんでやったように、お前も自分の仲間を憐れんでやるべきではなかったか。』34そして、主君は怒って、借金をすっかり返済するまでと、家来を牢役人に引き渡した。35あなたがたの一人一人が、心から兄弟を赦さないなら、わたしの天の父もあなたがたに同じようになさるであろう。」

 

 「主よ、兄弟がわたしに対して罪を犯したなら、何回赦すべきでしょうか。七回までですか。」というペトロのイエスに対する質問は、弟子仲間の状態を反映しているように思います。

 イエスの弟子たちは誰がいちばん偉いかをめぐってお互いに言い争い、不和になっていたのだと思います。ペトロが相当譲歩したつもりで「七回までですか。」と言うとイエスは、「七回どころか七の七十倍までも赦しなさい。」と返しました。このイエスの答えをペトロはどう思ったでしょうか。

 

 オズボーンという神学者は、ペトロに「七回どころか七の七十倍までも赦しなさい。」というイエス自身は何回まで赦すつもりだろうかと問います。そして「七の七十倍の七十倍の七十倍の……赦す」と述べています。

 教会という小さな共同体の中で、しばしば鋭い対立や、人を傷つける言葉が行き交います。それは、当事者がイエスの赦しを実感していないからではないでしょうか。

 

 ナウエンと共に祈りましょう。

わが主よ、わたしの目が、あなたに注がれたままでいられますように。

あなたは、神の愛が人となられた方です。

あなたは、神の限りない憐れみを、現しておられます。

あなたは、父の神聖さを、目に見えるように現したお方です。

あなたは、美であり、善であり、やさしさであり、

赦しであり、恵みです。

あなたに、わたしのすべてを差し出したいのです。

惜しんだり、ためらったりしないで、

喜んでささげられるようにしてください。

ルカによる福音

 〔そのとき、イエスは、ナザレの会堂で人々に言われた。〕4・24「はっきり言っておく。預言者は、自分の故郷では歓迎されないものだ。25確かに言っておく。エリヤの時代に三年六か月の間、雨が降らず、その地方一帯に大飢饉が起こったとき、イスラエルには多くのやもめがいたが、26エリヤはその中のだれのもとにも遣わされないで、シドン地方のサレプタのやもめのもとにだけ遣わされた。27また、預言者エリシャの時代に、イスラエルには重い皮膚病を患っている人が多くいたが、シリア人ナアマンのほかはだれも清くされなかった。」28これを聞いた会堂内の人々は皆憤慨し、29総立ちになって、イエスを町の外へ追い出し、町が建っている山の崖まで連れて行き、突き落とそうとした。30しかし、イエスは人々の間を通り抜けて立ち去られた。

 

 イエスは「預言者は、自分の故郷では歓迎されない」と言います。故郷の人びとはイエスを赤子の頃から見知っていると思い込んでおり、その思い込みの中に閉じこもります。

 カナダの神学者ロナガンは、「スコトーシス」という概念を導入しました。スコトーシスはギリシャ語のスコトス(暗闇)に由来する言葉で「心理的盲点」を指します。

 イエスの故郷の人びとはスコトーシスに陥っているといえます。イエスの言葉やしるしを見聞きしても、彼らは自分たちが知っていると思い込んでいるイエス像にこだわりました。

 イエスが彼らに異邦人に遣わされた預言者の話をすると、彼らは憤慨し、イエスを町の外に追い出し、崖から突き落とそうとしました。

 

 今日はイラン、ウクライナ、ガザなどでいのちを奪われそうになっている一般住民、特に子どもたちのためにナウエンの祈りを唱えます。

 

祈り

主よ、わたしは、この世にあってあなたを証しするすべての人のために祈ります。

聖職者、司祭、司教のために、

あなたに命をささげた兄弟姉妹のために、

そしてこの暗黒の時代に、

福音の光をもたらそうとしているすべての人々のために、

その人たちにと、力と、忍耐と、希望をお与えください。

心を尽くし、思いを尽くして、

あなたの存在を知ることができるようにしてください。

そしてあらゆる危険からの避け所として、

あなたのみ名を体験させてください。

何より、あなたの聖霊の喜びをお与えください

どこへ行っても、誰に会っても、

落ち込みや、宿命論や、敗北主義のベールを取り除けますように。

そして、たえず死の恐怖にさらされて生きている多くの人々に、

新しい命をもたらせますように。

主よ、福音をもたらすすべての人々と共にいてくださいますように。

アーメン。