ルカによる福音

 〔そのとき、〕18・9自分は正しい人間だとうぬぼれて、他人を見下している人々に対しても、イエスは次のたとえを話された。10「二人の人が祈るために神殿に上った。一人はファリサイ派の人で、もう一人は徴税人だった。11ファリサイ派の人は立って、心の中でこのように祈った。『神様、わたしはほかの人たちのように、奪い取る者、不正な者、姦通を犯す者でなく、また、この徴税人のような者でもないことを感謝します。12わたしは週に二度断食し、全収入の十分の一を献げています。』13ところが、徴税人は遠くに立って、目を天に上げようともせず、胸を打ちながら言った。『神様、罪人のわたしを憐れんでください。』14言っておくが、義とされて家に帰ったのは、この人であって、あのファリサイ派の人ではない。だれでも高ぶる者は低くされ、へりくだる者は高められる。」

 

 新共同訳で、「自分は正しい人間だとうぬぼれて、他人を見下している人々」と訳されている部分は、新約聖書翻訳委員会訳では、「自分は義人であるとして自ら恃み、他人を軽蔑している幾人かの者」となっています。

 ギリシャ語原文には「うぬぼれて」という表現ではなく、自分を義なる者として「自分自身を信頼する」となっています。この人は神を信頼するのではなく、自分自身を信頼しているのです。「他人を見下す」という表現は、非常に強い言葉で、「相手をゼロ(無)として扱う」、「存在価値のない者として切り捨てる」ことを意味します。

 最近の某国の大統領の言動を見ていると、自分がしたことを賞賛し、自分と対立する人びとに”You are nothing”と言っているように思います。

 「だれでも高ぶる者は低くされ、へりくだる者は高められる。」というイエスの言葉が、現代の世界にもこだまします。

 

ナウエンと共に祈りましょう。

(主よ、)

明日も、それからの日々も、わたしと共にいてください。

そしてあなたのやさしいご臨在を体験させてください。

「……主よ、あなたは何もかもご存じです。わたしがあなたを愛していることをあなたはよく知っておられます。」

イエスは言われた。「わたしの羊を飼いなさい。」

──ヨハネ21:17

マルコによる福音

 〔そのとき、一人の律法学者が進み出てイエスに訪ねた。〕12・28b「あらゆる掟のうちで、どれが第一でしょうか。」29イエスはお答えになった。「第一の掟は、これである。『イスラエルよ、聞け、わたしたちの神である主は、唯一の主である。30心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』31第二の掟は、これである。『隣人を自分のように愛しなさい。』この二つにまさる掟はほかにない。」32律法学者はイエスに言った。「先生、おっしゃるとおりです。『神は唯一である。ほかに神はない』とおっしゃったのは、本当です。33そして、『心を尽くし、知恵を尽くし、力を尽くして神を愛し、また隣人を自分のように愛する』ということは、どんな焼き尽くす献げ物やいけにえよりも優れています。」34イエスは律法学者が適切な答えをしたのを見て、「あなたは、神の国から遠くない」と言われた。もはや、あえて質問する者はなかった。

 

 マルコ福音書で「あらゆる掟のうちで、どれが第一でしょうか。」とイエスに訊いた律法学者は、イエスを試そうとして訊いたのではなく、本当に困っていたのだと思います。律法学者たちは律法の細部にこだわりどれが重要か議論していました。

 彼はイエスの言葉を聞いて、それを自分の言葉で言い直し納得しました。イエスは「あなたは、神の国から遠くない」と彼に言います。イエスは人の立場(たとえば律法学者)ではなく、その心を見極めておられます。

 

 本日のナウエンの祈りは長いので最後の部分をご紹介します。

 

主よ、どうか、わたしが自由に、

あなたの愛を選び取れますように。

あなたを見失うことがありませんように。

アーメン。

ルカによる福音

 〔そのとき、〕11・14イエスは悪霊を追い出しておられたが、それは口を利けなくする悪霊であった。悪霊が出て行くと、口の利けない人がものを言い始めたので、群衆は驚嘆した。15しかし、中には、「あの男は悪霊の頭ベルゼブルの力で悪霊を追い出している」と言う者や、16イエスを試そうとして、天からのしるしを求める者がいた。17しかし、イエスは彼らの心を見抜いて言われた。「内輪で争えば、どんな国でも荒れ果て、家は重なり合って倒れてしまう。18あなたたちは、わたしがベルゼブルの力で悪霊を追い出していると言うけれども、サタンが内輪もめすれば、どうしてその国は成り立って行くだろうか。19わたしがベルゼブルの力で悪霊を追い出すのなら、あなたたちの仲間は何の力で追い出すのか。だから、彼ら自身があなたたちを裁く者となる。20しかし、わたしが神の指で悪霊を追い出しているのであれば、神の国はあなたたちのところに来ているのだ。21強い人が武装して自分の屋敷を守っているときには、その持ち物は安全である。22しかし、もっと強い者が襲って来てこの人に勝つと、頼みの武具をすべて奪い取り、分捕り品を分配する。23わたしに味方しない者はわたしに敵対し、わたしと一緒に集めない者は散らしている。」

 

 「わたしがベルゼブルの力で悪霊を追い出すのなら、あなたたちの仲間は何の力で追い出すのか。」というイエスの言葉で、当時、ファリサイ派の人びとの中にも、祈祷や儀式によって悪魔払いをしていた人々がいたことがうかがわれます。

 イエスの悪魔払いが悪霊の頭の力によるのなら、ファリサイ派の仲間が行うも悪霊の力によることになります。

 イエスは、悪魔を打ち払う力は悪魔の力を凌駕する神の力に外ならず、その神の力は、神の国の到来を告げるものだと諭しますが、イエスの批判者たちは聞く耳を持っていませんでした。

 

 ナウエンと共に祈りましょう。

全能の神よ、

あなたの恵み深い呼びかけを心に留められるように、

わたしたちの贖いの祝宴がだんだんと近づいている今、

いっそう熱心に、イースターの奥義を祝う用意ができるようにしてください。