ヨハネによる福音20:19-23

 19 その日、すなわち週の初めの日の夕方、弟子たちはユダヤ人を恐れて、自分たちのいる家の戸に鍵をかけていた。そこへ、イエスが来て真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われた。20 そう言って、手とわき腹とをお見せになった。弟子たちは、主を見て喜んだ。21 イエスは重ねて言われた。「あなたがたに平和があるように。父がわたしをお遣わしになったように、わたしもあなたがたを遣わす。」22 そう言ってから、彼らに息を吹きかけて言われた。「聖霊を受けなさい。23 だれの罪でも、あなたがたが赦せば、その罪は赦される。だれの罪でも、あなたがたが赦さなければ、赦されないまま残る。」

 

今日は聖霊降臨の祝日です。

 

 第一朗読の使徒言行録では、イエスの指示どおりにエルサレムにとどまり祈り続けていた弟子たちの上に聖霊が降ります。弟子たちは聖霊に満たされて語り始めます。弟子たちの話を聞いた人たちは、あらゆる国から来ている人たちでしたが、言葉の違いを超えて弟子たちの話を聴き取ることができました。彼らが語る内容は国籍や言語の違う人たちにも理解できるものだったようです。

この出来事は、旧約聖書、創世記11章のバベルの塔の話を思い起こさせます。人々は「天まで届く塔のある町を建て、有名になろう。」と言って塔を作り始めました。神はその様子を見て「彼らの言葉を混乱させ、互いの言葉が聞き分けられぬように」しました。

 聖霊降臨では、聖霊が弟子たちの上に降ることによって言葉の壁を越えて、互いに理解し合うことができるようになりました。

 世界中の言語に翻訳されている聖書は、どの言語の人でも救いと赦しをもたらすメッセージを理解することができます。

 

 第二朗読のガラテヤの教会への手紙で、使徒パウロは「霊の導きに従って歩みなさい」と教えます。パウロは、「霊の結ぶ実は愛であり、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、節制」だと言います。霊の導きに従って歩んでいるかどうかは、霊の結ぶ実を見ることによって分かります。聖霊の賜物を受けて、霊の結ぶ実をわたしたちの生活の中で実らせることができるよう祈りましょう。

 

 復活したイエスと出会った「マグダラのマリアは弟子たちのところへ行って、『わたしは主を見ました』と告げ、また、主から言われたことを伝え」(20:18)ました。今日の福音朗読はその後のエピソードが述べられています。

 マグダラのマリアからの伝言を信じられなかったのか、「ユダヤ人への恐れ」が優っていたのか、弟子たちは自分たちのいる家の戸に鍵をかけていました。「鍵をかける」という表現は実際に扉の鍵をかけることを意味していますが、「天の国を閉ざす」(マタイ23:13)という意味でも使われます。さらに自分の心を閉ざすという意味にもとれます。

 弟子たちが戸に鍵をかけたのはユダヤ人を恐れたからだと書かれていますが、彼らはユダヤ人以上に復活したイエスが彼らの前に出現することを恐れたのではないかとわたしは思います。

 おびえる弟子たちの真ん中に、突然イエスが立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われます。この平和は、イエスが告別説教の始めで、「わたしは、平和をあなたがたに残し、わたしの平和を与える。わたしはこれを、世が与えるように与えるのではない。心を騒がせるな。おびえるな」と弟子たちに告げ、告別説教の締めくくりに、「これらのことを話したのは、あなたがたがわたしによって平和を得るためである。あなたがたには世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている」と勇気づけた平和です。突然のイエスの出現に遭遇した「弟子たちは、主を見て喜」びました。弟子たちのおびえは喜びに変えられました。

 

 イエスは、「父がわたしをお遣わしになったように、わたしもあなたがたを遣わす」とおっしゃり彼らに息を吹きかけ、「聖霊を受けなさい」と言います。

 

 ヨハネ福音書では洗礼者ヨハネがイエスと出会った時に、「わたしは、“霊”が鳩のように天から降って、この方の上にとどまるのを見た」(1:32)と証しをしています。イエスが弟子に与えた聖霊は、イエスご自身の霊であり、その霊の力でイエスは神の国を告げ知らせました。

 

 イエスの平和と霊を与えられた弟子たちは、復活されたイエスによる神の赦しを告げ知らせ、もたらすために遣わされます。

 

 わたしたちにもイエスは「聖霊を受けなさい」といい、御自分の霊を吹きかけられます。かつて弟子たちがイエスの霊を受け、イエスの使命(mission)に与る者とされた(commission)ように、わたしたちもイエスの霊に満たされてイエスの使命を委託されます。

 

 福音朗読の前に歌った聖霊の続唱の歌詞を想い起こしましょう。

 

聖霊来てください。あなたの光の輝きで、

わたしたちを照らしてください。

貧しい人の父、心の光、証の力を注ぐ方。

やさしい心の友、さわやかな憩い、ゆるぐことのないよりどころ。

苦しむ時の励まし、暑さの安らい、憂いの時の慰め。

恵み溢れる光、信じる者の心を満たす光よ。

あなたの助けがなければ、すべてははかなく消えてゆき、

だれも清く生きてはゆけない。

汚れたものを清め、すさみをうるおし、受けた痛手をいやす方。

固い心を和らげ、冷たさを温め、乱れた心を正す方。

あなたのことばを信じてより頼む者に、尊い力を授ける方。

あなたはわたしの支え、恵みの力で、救いの道を歩み続け、

終わりなく喜ぶことができますように。

アーメン。アレルヤ。

ヨハネによる福音

 〔そのとき、〕21・20ペトロが振り向くと、イエスの愛しておられた弟子がついて来るのが見えた。この弟子は、あの夕食のとき、イエスの胸もとに寄りかかったまま、「主よ、裏切るのはだれですか」と言った人である。21ペトロは彼を見て、「主よ、この人はどうなるのでしょうか」と言った。22イエスは言われた。「わたしの来るときまで彼が生きていることを、わたしが望んだとしても、あなたに何の関係があるか。あなたは、わたしに従いなさい。」23それで、この弟子は死なないといううわさが兄弟たちの間に広まった。しかし、イエスは、彼は死なないと言われたのではない。ただ、「わたしの来るときまで彼が生きていることを、わたしが望んだとしても、あなたに何の関係があるか」と言われたのである。

 24これらのことについて証しをし、それを書いたのは、この弟子である。わたしたちは、彼の証しが真実であることを知っている。

 25イエスのなさったことは、このほかにも、まだたくさんある。わたしは思う。その一つ一つを書くならば、世界もその書かれた書物を収めきれないであろう。

 

 ヨハネ福音書の結びの部分です。

 「イエスのなさったことは、このほかにも、まだたくさんある。わたしは思う。その一つ一つを書くならば、世界もその書かれた書物を収めきれないであろう。」と著者は言います。

 わたしたち一人ひとりに「イエスのなさったこと」を書こうとすれば、信じる人の数だけ福音書ができることになります。

 福音書は、今日も増え続けているといえます。

ヨハネによる福音

 〔イエスは、弟子たちにご自身を表され、食事を共にされた。〕21・15食事が終わると、イエスはシモン・ペトロに、「ヨハネの子シモン、この人たち以上にわたしを愛しているか」と言われた。ペトロが、「はい、主よ、わたしがあなたを愛していることは、あなたがご存じです」と言うと、イエスは、「わたしの小羊を飼いなさい」と言われた。16二度目にイエスは言われた。「ヨハネの子シモン、わたしを愛しているか。」ペトロが、「はい、主よ、わたしがあなたを愛していることは、あなたがご存じです」と言うと、イエスは、「わたしの羊の世話をしなさい」と言われた。17三度目にイエスは言われた。「ヨハネの子シモン、わたしを愛しているか。」ペトロは、イエスが三度目も、「わたしを愛しているか」と言われたので、悲しくなった。そして言った。「主よ、あなたは何もかもご存じです。わたしがあなたを愛していることを、あなたはよく知っておられます。」イエスは言われた。「わたしの羊を飼いなさい。18はっきり言っておく。あなたは、若いときは、自分で帯を締めて、行きたいところへ行っていた。しかし、年をとると、両手を伸ばして、他の人に帯を締められ、行きたくないところへ連れて行かれる。」19ペトロがどのような死に方で、神の栄光を現すようになるかを示そうとして、イエスはこう言われたのである。このように話してから、ペトロに、「わたしに従いなさい」と言われた。

 

 復活後、イエスがペトロに三度、「わたしを愛しているか」問います。それに対してペトロは三度、「愛しています」と答えますが、ギリシャ語原文では「愛する」という言葉が違っています。イエスがペトロに「アガパス」と訊くと、ペトロは「フィロー」と答えます。イエスは二度目も「アガパス」と訊きますが、ペトロは「フィロー」と答えます。三度目、イエスは「フィレイス」と訊きます。ペトロは「フィロー」と答えます。

 「アガパオー」はイエスが弟子たちに与えた掟の言葉です。何故ペトロは「フィロー」と答えたのでしょうか。

 イエスを三度裏切った痛恨の体験をしたペトロは、イエスの前で、イエスの命じたとおりに愛することはできないと告白したのです。

 イエスは三度目に、ペトロの使っている言葉に合わせて「フィレオー(友として愛するか)」と問い直しました。

 イエスは「不完全な人間的な愛で構わない。そのありのままの愛で、わたしの羊を飼いなさい」と、ペトロの限界を受け入れ、彼を再び招いたのかもしれません。