マタイによる福音

 〔そのとき、イエスは弟子たちに言われた。〕6・1「見てもらおうとして、人の前で善行をしないように注意しなさい。さもないと、あなたがたの天の父のもとで報いをいただけないことになる。2だから、あなたは施しをするときには、偽善者たちが人からほめられようと会堂や街角でするように、自分の前でラッパを吹き鳴らしてはならない。はっきりあなたがたに言っておく。彼らは既に報いを受けている。3施しをするときは、右の手のすることを左の手に知らせてはならない。4あなたの施しを人目につかせないためである。そうすれば、隠れたことを見ておられる父が、あなたに報いてくださる。

 5祈るときにも、あなたがたは偽善者のようであってはならない。偽善者たちは、人に見てもらおうと、会堂や大通りの角に立って祈りたがる。はっきり言っておく。彼らは既に報いを受けている。6だから、あなたが祈るときは、奥まった自分の部屋に入って戸を閉め、隠れたところにおられるあなたの父に祈りなさい。そうすれば、隠れたことを見ておられるあなたの父が報いてくださる。

 16断食するときには、あなたがたは偽善者のように沈んだ顔つきをしてはならない。偽善者は、断食しているのを人に見てもらおうと、顔を見苦しくする。はっきり言っておく。彼らは既に報いを受けている。17あなたは、断食するとき、頭に油をつけ、顔を洗いなさい。18それは、あなたの断食が人に気づかれず、隠れたところにおられるあなたの父に見ていただくためである。そうすれば、隠れたことを見ておられるあなたの父が報いてくださる。」

 

 人から偽善者と言われることは、非常に強い侮辱(あるいは痛烈な非難)として受け止められるのが一般的です。言われた側が深く傷ついたり、激しい怒りを覚えたりすることがほとんどでしょう。

 イエスは立派な人物のように見せかけながら、その実は真逆の生活をしているユダヤの指導的立場にある人を偽善者だと指弾します。

マタイによる福音

 〔そのとき、イエスは弟子たちに言われた。〕5・17「わたしが来たのは律法や預言者を廃止するためだ、と思ってはならない。廃止するためではなく、完成するためである。18はっきり言っておく。すべてのことが実現し、天地が消えうせるまで、律法の文字から一点一画も消え去ることはない。19だから、これらの最も小さな掟を一つでも破り、そうするようにと人に教える者は、天の国で最も小さい者と呼ばれる。しかし、それを守り、そうするように教える者は、天の国で大いなる者と呼ばれる。」

 

 イエスは律法を「廃止する」のではなく、「完成」するために来たと言います。

 律法や預言者が完成するとは、それらが指し示してきた「救い主」の到来という約束を、イエス自身がその生涯と十字架、復活によって実現・達成することを意味します。

また、律法の言葉に縛られるのではなく、その律法の根底にある「神への愛と隣人への愛」という真の精神を明らかにすることを意味します。

 イエスは、「私は神の伝統を壊しに来たのではなく、神の計画を最後までやり遂げ、律法の本当の意味を人々に教えるために来たのだ」という自らの使命を明らかにします。

マタイによる福音

 〔そのとき、イエスは弟子たちに言われた。〕5・13「あなたがたは地の塩である。だが、塩に塩気がなくなれば、その塩は何によって塩味が付けられよう。もはや、何の役にも立たず、外に投げ捨てられ、人々に踏みつけられるだけである。14あなたがたは世の光である。山の上にある町は、隠れることができない。15また、ともし火をともして升の下に置く者はいない。燭台の上に置く。そうすれば、家の中のものすべてを照らすのである。16そのように、あなたがたの光を人々の前に輝かしなさい。人々が、あなたがたの立派な行いを見て、あなたがたの天の父をあがめるようになるためである。」

 

 「あなたがたは世の光である。」とイエスは弟子たちに言いますが、「諸民族の光はキリスト」という言葉で第二バチカン公会議の「教会憲章」は始まります。

 キリストは太陽であり、教会は月であると言ったのは、第二バチカン公会議の神学顧問のひとり、クロッペンブルグでした。月は自分で光っているのではなく、太陽の光を反射して光ます。月は、満月の時もあれば、新月の時もあります。

 「あなたがたの光」は「キリストの光」です。地の塩、世の光はキリストです。

教会の歴史をひもとけば教会には満月の時も新月の時もあったことが分かります。

 組織としての教会だけでなく、一人一人のキリスト信者もキリストの光を十分に反映していることもあれば、そうでないこともあります。

 人々の前にキリストの塩、キリストの光を明らかにすることが弟子たちの使命だと教えられます。