ヨハネによる福音

 〔そのとき、〕12・44イエスは叫んで、こう言われた。「わたしを信じる者は、わたしを信じるのではなくて、わたしを遣わされた方を信じるのである。45わたしを見る者は、わたしを遣わされた方を見るのである。46わたしを信じる者が、だれも暗闇の中にとどまることのないように、わたしは光として世に来た。47わたしの言葉を聞いて、それを守らない者がいても、わたしはその者を裁かない。わたしは、世を裁くためではなく、世を救うために来たからである。48わたしを拒み、わたしの言葉を受け入れない者に対しては、裁くものがある。わたしの語った言葉が、終わりの日にその者を裁く。49なぜなら、わたしは自分勝手に語ったのではなく、わたしをお遣わしになった父が、わたしの言うべきこと、語るべきことをお命じになったからである。50父の命令は永遠の命であることを、わたしは知っている。だから、わたしが語ることは、父がわたしに命じられたままに語っているのである。」

 

 ヨハネ福音書は、「序文」、「第1部 しるしの書1:19-12:50」、「第2部 栄光の書13:1-20:31」、「結び」に分けられます。

 しるしの書にはイエスが行った「7つのしるし」とそれ関連するイエスの講話が語られます。イエスが行った「しるし」は単なる奇跡ではなく、イエスが神の子であることを指し示しています。

 本日の朗読箇所は「第1部 しるしの書」の最後の部分です。

 イエスは、「わたしを信じる者は、わたしを信じるのではなくて、わたしを遣わされた方を信じるのである。わたしを見る者は、わたしを遣わされた方を見るのである。わたしを信じる者が、だれも暗闇の中にとどまることのないように、わたしは光として世に来た。」とご自分の使命をまとめられます。

 

 聖カタリナ(シエナ)については女子パウロ会ホームページをごらんください。

https://www.pauline.or.jp/calendariosanti/gen_saint365.php?id=042901

 岡崎の光が丘高校は卒業感謝ミサで聖女カタリナの歌を毎回歌います。

ヨハネによる福音

 10・22そのころ、エルサレムで神殿奉献記念祭が行われた。冬であった。23イエスは、神殿の境内でソロモンの回廊を歩いておられた。24すると、ユダヤ人たちがイエスを取り囲んで言った。「いつまで、わたしたちに気をもませるのか。もしメシアなら、はっきりそう言いなさい。」25イエスは答えられた。「わたしは言ったが、あなたたちは信じない。わたしが父の名によって行う業が、わたしについて証しをしている。26しかし、あなたたちは信じない。わたしの羊ではないからである。27わたしの羊はわたしの声を聞き分ける。わたしは彼らを知っており、彼らはわたしに従う。28わたしは彼らに永遠の命を与える。彼らは決して滅びず、だれも彼らをわたしの手から奪うことはできない。29わたしの父がわたしにくださったものは、すべてのものより偉大であり、だれも父の手から奪うことはできない。30わたしと父とは一つである。」

 

 「わたしの羊はわたしの声を聞き分ける。わたしは彼らを知っており、彼らはわたしに従う。わたしは彼らに永遠の命を与える。彼らは決して滅びず、だれも彼らをわたしの手から奪うことはできない。わたしと父とは一つである。」というイエスをユダヤ人たちは石で打ち殺そうとします。

 「ご自分を神に等しい者」と言うイエスを、神への冒涜だと彼らは思ったからです。

 彼らはイエスの声を聞き分けることができません。

ヨハネによる福音

 〔そのとき、イエスは言われた。〕10・11わたしは良い羊飼いである。良い羊飼いは羊のために命を捨てる。12羊飼いでなく、自分の羊を持たない雇い人は、狼が来るのを見ると、羊を置き去りにして逃げる。――狼は羊を奪い、また追い散らす。――13彼は雇い人で、羊のことを心にかけていないからである。14わたしは良い羊飼いである。わたしは自分の羊を知っており、羊もわたしを知っている。15それは、父がわたしを知っておられ、わたしが父を知っているのと同じである。わたしは羊のために命を捨てる。16わたしには、この囲いに入っていないほかの羊もいる。その羊をも導かなければならない。その羊もわたしの声を聞き分ける。こうして、羊は一人の羊飼いに導かれ、一つの群れになる。17わたしは命を、再び受けるために、捨てる。それゆえ、父はわたしを愛してくださる。18だれもわたしから命を奪い取ることはできない。わたしは自分でそれを捨てる。わたしは命を捨てることもでき、それを再び受けることもできる。これは、わたしが父から受けた掟である。」

 

 復活節第四主日の福音の続きの部分が今週の月曜日と火曜日に朗読されます。

 新共同訳は、「わたしは良い羊飼いである。」となっていますが、小林稔(新約聖書翻訳委員会)訳では「わたしが良い牧者である。」です。

 小林神父は、「偽物を前提として『〔他のものではなく、この〕私が……である』と言っていると解説しています。

 イエスの声を聞き分けるすべての人々と共に地上に平和がもたらされるよう祈ります。