マタイによる福音

 〔そのとき、〕28・16十一人の弟子たちはガリラヤに行き、イエスが指示しておかれた山に登った。17そして、イエスに会い、ひれ伏した。しかし、疑う者もいた。18イエスは、近寄って来て言われた。「わたしは天と地の一切の権能を授かっている。19だから、あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、20あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」

 

 マタイ福音書1章23節で天使がヨセフに現れ、マリアが聖霊によって子を宿していることを告げた後、「見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」この名は、「神は我々と共におられる」と言います。

 マタイ福音書は、「神はわれわれと共におられる」と呼ばれるイエスの誕生に始まって、イエスの「あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」というイエスの宣教命令で閉じられます。

 日本26聖人殉教者たちは、「神は我々と共におられる」ことを血で証しした方がたでした。

 一宮教会一階ホールには日本26聖人殉教者のうち尾張出身の5名を讃える銅板のエッチングが飾られています。

 彼らの名前は、竹屋コスメ、茨木パウロ、茨木ルイス(ルドビコ)、烏丸レオン、鈴木パウロです。

 日本26聖人殉教者については女子パウロ会ホームページをごらんください。

 https://www.pauline.or.jp/calendariocappella/cycle0/festa0205.php

マルコによる福音

 〔そのとき、〕6・1イエスはそこを去って故郷にお帰りになったが、弟子たちも従った。2安息日になったので、イエスは会堂で教え始められた。多くの人々はそれを聞いて、驚いて言った。「この人は、このようなことをどこから得たのだろう。この人が授かった知恵と、その手で行われるこのような奇跡はいったい何か。3この人は、大工ではないか。マリアの息子で、ヤコブ、ヨセ、ユダ、シモンの兄弟ではないか。姉妹たちは、ここで我々と一緒に住んでいるではないか。」このように、人々はイエスにつまずいた。4イエスは、「預言者が敬われないのは、自分の故郷、親戚や家族の間だけである」と言われた。5そこでは、ごくわずかの病人に手を置いていやされただけで、そのほかは何も奇跡を行うことがおできにならなかった。6そして、人々の不信仰に驚かれた。

 それから、イエスは付近の村を巡り歩いてお教えになった。

 

 イエスが故郷のナザレの会堂で教えはじめると、その教えを聞いた多くの人々は、幼い頃から見知っているイエスがどこからその教えを受けたのか、なぜ奇跡ができるのかとイエスにつまずきました。

 20世紀の神学者、バーナード・ロナガンは「スコトーシス」という概念を提唱しました。「スコトス」とはギリシャ語で「暗闇」という意味です。

 ロナガンは、「スコトーシスは、起こってほしくないさまざまなひらめきを起こしうる視界の広がりが、意識にのぼってこないように妨げる異常である。」

 イエスは、「あなたがたには神の国の秘密を悟ることが許されているが、他の人々にはたとえを用いて話すのだ。それは、『彼らが見ても見えず、聞いても理解できない』ようになるためである。」(マル8:10)と言いました。

 イエスの故郷ナザレの人たちは、自分たちが知っていると思い込んでいるイエスにこだわり、「見ても見えず、聞いても理解できない」状態に陥っていました。

 スコトーシスに陥っている本人には、その自覚がありません。

マルコによる福音

 〔そのとき、〕5・21イエスが舟に乗って再び向こう岸に渡られると、大勢の群衆がそばに集まって来た。イエスは湖のほとりにおられた。22会堂長の一人でヤイロという名の人が来て、イエスを見ると足もとにひれ伏して、23しきりに願った。「わたしの幼い娘が死にそうです。どうか、おいでになって手を置いてやってください。そうすれば、娘は助かり、生きるでしょう。」24そこで、イエスはヤイロと一緒に出かけて行かれた。

 大勢の群衆も、イエスに従い、押し迫って来た。25さて、ここに十二年間も出血の止まらない女がいた。26多くの医者にかかって、ひどく苦しめられ、全財産を使い果たしても何の役にも立たず、ますます悪くなるだけであった。27イエスのことを聞いて、群衆の中に紛れ込み、後ろからイエスの服に触れた。28「この方の服にでも触れればいやしていただける」と思ったからである。29すると、すぐ出血が全く止まって病気がいやされたことを体に感じた。30イエスは、自分の内から力が出て行ったことに気づいて、群衆の中で振り返り、「わたしの服に触れたのはだれか」と言われた。31そこで、弟子たちは言った。「群衆があなたに押し迫っているのがお分かりでしょう。それなのに、『だれがわたしに触れたのか』とおっしゃるのですか。」32しかし、イエスは、触れた者を見つけようと、辺りを見回しておられた。33女は自分の身に起こったことを知って恐ろしくなり、震えながら進み出てひれ伏し、すべてをありのまま話した。34イエスは言われた。「娘よ、あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい。もうその病気にかからず、元気に暮らしなさい。」

 35イエスがまだ話しておられるときに、会堂長の家から人々が来て言った。「お嬢さんは亡くなりました。もう、先生を煩わすには及ばないでしょう。」36イエスはその話をそばで聞いて、「恐れることはない。ただ信じなさい」と会堂長に言われた。37そして、ペトロ、ヤコブ、またヤコブの兄弟ヨハネのほかは、だれもついて来ることをお許しにならなかった。38一行は会堂長の家に着いた。イエスは人々が大声で泣きわめいて騒いでいるのを見て、39家の中に入り、人々に言われた。「なぜ、泣き騒ぐのか。子供は死んだのではない。眠っているのだ。」40人々はイエスをあざ笑った。しかし、イエスは皆を外に出し、子供の両親と三人の弟子だけを連れて、子供のいる所へ入って行かれた。41そして、子供の手を取って、「タリタ、クム」と言われた。これは、「少女よ、わたしはあなたに言う。起きなさい」という意味である。42少女はすぐに起き上がって、歩きだした。もう十二歳になっていたからである。それを見るや、人々は驚きのあまり我を忘れた。43イエスはこのことをだれにも知らせないようにと厳しく命じ、また、食べ物を少女に与えるようにと言われた。

 

 会堂長のヤイロの臨死状態の娘のいやしの物語に、12年間出血症に苦しめられた女性のいやしの物語が挿入されています。

 マルコがヤイロという名を挙げるのは、ヤイロが当時、ユダヤ社会でよく知られている人物だったからかもしれません。会堂長は地域のユダヤ社会の指導者です。その人がイエスの足もとにひれ伏して娘を助けてくださいと懇願する姿に、ヤイロの必死さが現れています。イエスはヤイロの願いに応じて共に彼の家に行きます。

 ところがその途中12年間も出血症で苦しむ女性が、後ろからイエスの服に触れるとたちまち出血が収まります。イエスが自分に触れたものを見つけようとすると、娘が進み出てひれ伏します。イエスはその娘に、「娘よ、あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい。」と言いました。

 ヤイロはその様子をどんな気持ちで見ていたでしょうか。すると、会堂長の家から人々が来て、娘は死んでしまったことを告げます。

 愛娘が死んでしまったという知らせに、絶望するヤイロにイエスは「恐れることはない。ただ信じなさい」言います。

 ヤイロの家に着いたイエスが、娘の死を悼み騒ぐ人たちを去らせ、少女の手を取って「タリタ、クム」というと、少女は起き上がり歩み始めました。

 

 社会的地位のある会堂長ヤイロの娘の蘇生の物語と、祭儀的に不浄だとされ、彼女の触れるものと彼女が触れたものに触れる者も穢れると排斥される生活に12年間も苦しめられた女性のいやしの物語が入れ子になっているのはなぜでしょうか。

 

 必死の思いでイエスの服に触れた出血症の女性にイエスは「あなたの信仰があなたを救った」と言いました。愛娘が死んだという知らせにうなだれるヤイロにイエスは「恐れることはない。ただ信じなさい」とに言い、少女を蘇生させました。

 

 イエスの言う信仰とは、特定の教義を信じることではなく、ひたすらイエスに信頼する個とだと教えられます。

 

 福者ユスト高山右近殉教者については女子パウロ会ホームページをごらんください。

https://www.pauline.or.jp/calendariosanti/gen_saint365.php?id=020304