ヨハネによる福音書 10:27-30

 〔そのとき、イエスは言われた。〕27 「わたしの羊はわたしの声を聞き分ける。わたしは彼らを知っており、彼らはわたしに従う。28 わたしは彼らに永遠の命を与える。彼らは決して滅びず、だれも彼らをわたしの手から奪うことはできない。29 わたしの父がわたしにくださったものは、すべてのものより偉大であり、だれも父の手から奪うことはできない。30 わたしと父とは一つである。」

 

聖書と典礼の2ページの下に書かれていますように復活節第4主日は「世界召命祈願の日」となっています。

「召命」は英語でvocationと言いますが、もともとはラテン語のvocare呼ぶという動詞に由来します。神の呼びかけに答えて生きることが「召命」です。

 

「世界召命祈願の日」は、1964年、教皇パウロ6世によって復活節第4主日に定められました。「世界召命祈願の日」には、ことに司祭、修道者への招きのために祈りますが、毎年テーマが決められています。今年のテーマは、「希望の巡礼者――人生というたまもの」です。詳しくは中央協議会ホームページをご覧下さい。教皇フランシスコは希望の巡礼者としての人生を全うされました。

https://www.cbcj.catholic.jp/2025/04/16/31898/

 

 教皇フランシスコの帰天に伴い開催されたコンクラーベで5月8日教皇レオ14世が私たちに与えられました。

 教皇フランシスコは2023年1月30日、プレヴォスト神父をチクラヨ名誉大司教と共に教皇庁司教区長官に任命しました。同年彼は枢機卿助祭の位を持つ枢機卿に叙せられれました。司教区長官として、彼は世界中で司教候補者の評価と推薦に重要な役割を果たしました。教皇フランシスコは2025年2月6日は彼を枢機卿司教に昇格させました。

 アメリカとペルーの二重国籍を持つレオ14世は、アメリカ生まれの初の教皇であり、二重国籍を持つ初の教皇、そしてアメリカまたはペルーの国籍を持つ初の教皇です。また、聖アウグスチノ修道会出身の初の教皇でもあります。

 

教皇レオ14世が、バチカンのバルコニーから発したメッセージを紹介します。

 

あなたがたに平和があるように。

 親愛なる兄弟姉妹の皆さん、この言葉は、復活されたキリストの最初の挨拶です。キリストは、善き羊飼いとして、神の羊の群れにいのちを捧げました。

 わたしもまた、この平和の挨拶が皆さんの心に入り、皆さんの家庭や、あらゆる人に、あらゆる場所の、すべての民、すべての地に届くことを願います。皆さんに平和がありますように。

 これは復活されたキリストの平和です。それは武装しない平和、静かで、謙遜な、忍耐強い平和です。それは神から来るものです。神はわたしたち皆を無条件に愛されます。

 まだ、わたしたちの耳には、ローマを祝福した教皇フランシスコのか細い、しかし常に勇敢な声が響いています。あの復活祭の朝、教皇フランシスコはローマを祝福し、そして全世界に祝福をおくりました。その同じ祝福をわたしも後で皆さんにおくることをおゆるください。

 神はわたしたちを愛されます。神はすべての皆さんを愛しています。そして、悪が勝利することはないでしょう。

 わたしたちは皆、神の御手の中にあります。ですから、恐れずに、互いに手を取り合い、神と、またわたしたちの間で一致し、前へ進んでまいりましょう。

 わたしたちはキリストの弟子です。キリストがわたしたちに先立って歩んでくださいます。世界にはキリストの光が必要です。人類は、神と神の愛に到達するための橋として、キリストを必要としています。皆さんもどうか手を貸してください。対話をもって、出会いを通して、互いに橋を架けましょう。皆が一致して、いつも平和な、ただ一つの民となりましょう。

 教皇フランシスコ、ありがとうございます。

 また、兄弟であるすべての枢機卿の皆さんに感謝します。枢機卿の皆さんはわたしをペトロの後継者として選んでくださいました。それは、一致した教会として皆さんと共に歩み、常に平和と正義を求め、イエス・キリストに忠実な者として働き、宣教者として恐れることなく福音を告げるためでした。

 わたしは、聖アウグスティヌスの子、聖アウグスチノ修道会会員です。アウグスティヌスは言いました。「皆さんと共にわたしはキリスト者であり、皆さんのためにわたしは司教です」と。こうした意味で、わたしたちは神が準備してくださった祖国に向けて、皆で一緒に歩んでいくことができるでしょう。

 ローマの教会に特別な挨拶をおくります。わたしたちは、宣教的な教会、橋を架け、対話を築き、この広場のように常に腕を広げて、わたしたちの慈愛と寄り添い、対話と愛を必要とするすべての人を受け入れる教会となれるよう、共に努力しなくてはなりません。

(ここまでイタリア語、以下はスペイン語で)

 できれば、わたしの愛するペルーのチクラヨ教区のすべての人に、特別な挨拶をおくることをおゆるしください。そこでは誠実な民が彼らの司教に寄り添い、信仰を分かち合い、イエス・キリストに忠実な教会であり続けるために、非常に多くを捧げました。

(ここから再びイタリア語で)

 ローマとイタリア、全世界の兄弟姉妹の皆さん、わたしたちはシノドス的な教会、歩む教会、平和を常に求める教会、特に苦しむ人々にいつも寄り添う教会でありたいと思っています。

 今日はポンペイの聖母への嘆願の日です。わたしたちの母マリアは、いつもわたしたちと歩まれ、そばにおられ、その取り成しと愛をもってわたしたちを助けたいとお望みです。

 ここで皆さんと一緒に祈りたいと思います。この新しい使命のために、全教会のために、世界の平和のために祈りましょう。そして、この特別な恵みをわたしたちの母マリアに願いましょう。

(アヴェ・マリアの祈りと、教皇祝福ウルビ・エト・オルビ)

 

 12年間私たちを導いてくださった教皇フランシスコに感謝し、新しいペトロの後継者である教皇レオ14世と共に世界の平和のために、そして全教会のために、聖母マリアの取り次ぎを願って祈りましょう。

ヨハネによる福音
 〔そのとき、〕6・60イエスの弟子たちの多くの者は言った。「実にひどい話だ。だれが、こんな話を聞いていられようか。」61イエスは、弟子たちがこのことについてつぶやいているのに気づいて言われた。「あなたがたはこのことにつまずくのか。62それでは、人の子がもといた所に上るのを見るならば……。63命を与えるのは〝霊〟である。肉は何の役にも立たない。わたしがあなたがたに話した言葉は霊であり、命である。64しかし、あなたがたのうちには信じない者たちもいる。」イエスは最初から、信じない者たちがだれであるか、また、御自分を裏切る者がだれであるかを知っておられたのである。65そして、言われた。「こういうわけで、わたしはあなたがたに、『父からお許しがなければ、だれもわたしのもとに来ることはできない』と言ったのだ。」
 66このために、弟子たちの多くが離れ去り、もはやイエスと共に歩まなくなった。67そこで、イエスは十二人に、「あなたがたも離れて行きたいか」と言われた。68シモン・ペトロが答えた。「主よ、わたしたちはだれのところへ行きましょうか。あなたは永遠の命の言葉を持っておられます。69あなたこそ神の聖者であると、わたしたちは信じ、また知っています。」
 
 「アーメン、アーメン、あなたがたに言う。人の子の肉を食べ、その血を飲まないなら、あなたがたは自分のうちに生命(いのち)を持っていない。私の肉を食し、私の血を飲んでいる人は永遠の生命(いのち)を持っており、私は彼を終わりの日に甦らせることになる。私の肉は真実の食べ物であり、私の血は真実の飲み物だからである。」(小林訳)というイエスの言葉は、弟子たちにさえ受け入れがたいものでした。
 弟子たちの多くが離れ去った後、イエスは十二人に「あなたがたも離れて行きたいか」と訊きます。
 その時ペトロが答えた信仰告白は、日本のカトリック教会では聖体拝領前の信仰告白として唱えられていました。
 聖体を頂く前の信仰告白としてはふさわしいと私には思えます。

 

 昨日、教皇レオ14世が誕生したので昨日からミサの中で私たちの教皇レオ14世ということができるようになりました。

 彼はアウグスチノ会員だったということですが、わたしは神学生の時名古屋教区の港教会のパーセル神父から、港教会で手伝うように言われました。港教会はアウグスチノ会の司祭が司牧する教会で、パーセル神父もアウグスチノ会です。
レオ14世と名乗ったロバート・フランシス・プレヴォスト神父は2008年に来日し、アウグスチノ会が司牧担当の城山教会の聖職者と信徒たちと長崎付近の山をハイキングしたとリアム神父がフェイスブックに投稿しています。

ヨハネによる福音
 〔そのとき、〕6・52ユダヤ人たちは、「どうしてこの人は自分の肉を我々に食べさせることができるのか」と、互いに激しく議論し始めた。53イエスは言われた。「はっきり言っておく。人の子の肉を食べ、その血を飲まなければ、あなたたちの内に命はない。54わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、永遠の命を得、わたしはその人を終わりの日に復活させる。55わたしの肉はまことの食べ物、わたしの血はまことの飲み物だからである。56わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、いつもわたしの内におり、わたしもまたいつもその人の内にいる。57生きておられる父がわたしをお遣わしになり、またわたしが父によって生きるように、わたしを食べる者もわたしによって生きる。58これは天から降って来たパンである。先祖が食べたのに死んでしまったようなものとは違う。このパンを食べる者は永遠に生きる。」59これらは、イエスがカファルナウムの会堂で教えていたときに話されたことである。

 イエスの肉を食べることをめぐって激しい議論が起こります。イエスの肉を食べることをめぐって激しい議論が起こります。
 イエスは「はっきり言っておく。人の子の肉を食べ、その血を飲まなければ、あなたたちの内に命はない。」(53)と言います。
 「人の子の肉を食べ」とイエスが言うときの「食べ」はそれまでとは異なる動詞が使われています。この動詞は「喰らう」ことを指すようです。小林訳では「食し」となっています。
 一方、「イスラエルの家の者であれ、彼らのもとに寄留する者であれ、血を食べる者があるならば、わたしは血を食べる者にわたしの顔を向けて、民の中から必ず彼を断つ。」(レビ17:10)を知らないユダヤ人はいません。

 聞き手のユダヤ人にはイエスの言葉はおぞましく思えたに違いありません。