ヨハネによる福音
 〔そのとき、イエスは弟子たちに言われた。〕15・9「父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛してきた。わたしの愛にとどまりなさい。10わたしが父の掟を守り、その愛にとどまっているように、あなたがたも、わたしの掟を守るなら、わたしの愛にとどまっていることになる。
11これらのことを話したのは、わたしの喜びがあなたがたの内にあり、あなたがたの喜びが満たされるためである。12わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。これがわたしの掟である。13友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない。14わたしの命じることを行うならば、あなたがたはわたしの友である。15もはや、わたしはあなたがたを僕とは呼ばない。僕は主人が何をしているか知らないからである。わたしはあなたがたを友と呼ぶ。父から聞いたことをすべてあなたがたに知らせたからである。16あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだ。あなたがたが出かけて行って実を結び、その実が残るようにと、また、わたしの名によって父に願うものは何でも与えられるようにと、わたしがあなたがたを任命したのである。17互いに愛し合いなさい。これがわたしの命令である。」

 イエスは、13章で、「あなたがたに新しい掟を与える。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。互いに愛し合うならば、それによってあなたがたがわたしの弟子であることを、皆が知るようになる。」と言いました。
 15章でぶどうの木のたとえの後、もう一度イエスは「わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。これがわたしの掟である。」と弟子たちに言います。
 イエスは弟子たちにさまざまな教えを語り、しるしを行いました。しかし、弟子たちに与えた掟はひとつしかありません。しかも、それは新しい掟だというのです。
何故、新しいのか、それはイエスが愛したように互いに弟子が互いに愛し合うからであり、その愛は友のために自分のいのちを捨てることだからです。

 聖マチア使徒については女子パウロ会ホームページをご覧下さい。
https://www.pauline.or.jp/calendariosanti/gen_saint50.php?id=051401

 

ヨハネによる福音
 10・22そのころ、エルサレムで神殿奉献記念祭が行われた。冬であった。23イエスは、神殿の境内でソロモンの回廊を歩いておられた。24すると、ユダヤ人たちがイエスを取り囲んで言った。「いつまで、わたしたちに気をもませるのか。もしメシアなら、はっきりそう言いなさい。」25イエスは答えられた。「わたしは言ったが、あなたたちは信じない。わたしが父の名によって行う業が、わたしについて証しをしている。26しかし、あなたたちは信じない。わたしの羊ではないからである。27わたしの羊はわたしの声を聞き分ける。わたしは彼らを知っており、彼らはわたしに従う。28わたしは彼らに永遠の命を与える。彼らは決して滅びず、だれも彼らをわたしの手から奪うことはできない。29わたしの父がわたしにくださったものは、すべてのものより偉大であり、だれも父の手から奪うことはできない。30わたしと父とは一つである。」

 ヨハネ福音書10章1節からイエスの良い羊飼いの話が始まりました。聞き手のユダヤ人の間に分裂が生じました。
 その後、神殿奉献記念祭のとき、神殿の境内でユダヤ人たちがイエスを取り囲んで詰問する場面です。
 イエスの言葉を聞き分けられないのは、彼らがイエスの羊に属さないからだとイエスは言います。
 「わたしと父とは一つである」というイエスの言葉に憤ったユダヤ人たちはイエスを石殺しにしようとします。

 イエスと父とが一つであるところにわたしたちは招かれています。

ヨハネによる福音
 〔そのとき、イエスは言われた。〕10・1「はっきり言っておく。羊の囲いに入るのに、門を通らないでほかの所を乗り越えて来る者は、盗人であり、強盗である。2門から入る者が羊飼いである。3門番は羊飼いには門を開き、羊はその声を聞き分ける。羊飼いは自分の羊の名を呼んで連れ出す。4自分の羊をすべて連れ出すと、先頭に立って行く。羊はその声を知っているので、ついて行く。5しかし、ほかの者には決してついて行かず、逃げ去る。ほかの者たちの声を知らないからである。」6イエスは、このたとえをファリサイ派の人々に話されたが、彼らはその話が何のことか分からなかった。
 7イエスはまた言われた。「はっきり言っておく。わたしは良い羊飼いである。8わたしより前に来た者は皆、盗人であり、強盗である。しかし、羊は彼らの言うことを聞かなかった。9わたしは門である。わたしを通って入る者は救われる。その人は、門を出入りして牧草を見つける。10盗人が来るのは、盗んだり、屠ったり、滅ぼしたりするためにほかならない。わたしが来たのは、羊が命を受けるため、しかも豊かに受けるためである。」

 ルカ福音書のイエス誕生物語では、天使の知らせを受けて「羊飼いたち」がイエスを礼拝しに来ます。
 イエスの時代の羊飼いは、罪人と呼ばれ、人々から見下されていたそうです。「羊飼いたち」は、羊を飼っていたため、安息日を守るなど、様々な律法を守ることが出来なかったからです。「羊飼いたち」は、安息日でも、羊たちに餌や水を与えたり、病気や怪我をした時は手当をしたり、迷い出た羊を探し回らなければなりませんでした。
 羊飼いは羊を飼うことがなりわいです。羊は彼の生活の手段のはずです。
 ところが、イエスはご自分が来たのは、「羊が命を受けるため、しかも豊かに受けるため」だと言います。

 イエスは不思議な羊飼いです。