ヨハネによる福音
 〔そのとき、イエスは弟子たちに言われた。〕15・12「わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。これがわたしの掟である。13友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない。14わたしの命じることを行うならば、あなたがたはわたしの友である。15もはや、わたしはあなたがたを僕とは呼ばない。僕は主人が何をしているか知らないからである。わたしはあなたがたを友と呼ぶ。父から聞いたことをすべてあなたがたに知らせたからである。16あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだ。あなたがたが出かけて行って実を結び、その実が残るようにと、また、わたしの名によって父に願うものは何でも与えられるようにと、わたしがあなたがたを任命したのである。17互いに愛し合いなさい。これがわたしの命令である。」

 最後の晩餐の席上で、「わたしの命じることを行うならば、あなたがたはわたしの友である。」というイエスの言葉を聞いた弟子たちは、「わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。」という掟を守ることができるのかうろたえたかも知れません。
 イエスは不安顔の弟子たちに「あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだ。」と言います。
イエスは弟子の弱さも、ふがいなさもご存じの上で、弟子たちを選んだのです。
 イエスの言葉を信じて、イエスの友として生きることができますように。
 

ヨハネによる福音
 〔そのとき、イエスは弟子たちに言われた。〕15・9「父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛してきた。わたしの愛にとどまりなさい。10わたしが父の掟を守り、その愛にとどまっているように、あなたがたも、わたしの掟を守るなら、わたしの愛にとどまっていることになる。
 11これらのことを話したのは、わたしの喜びがあなたがたの内にあり、あなたがたの喜びが満たされるためである。」

 イエスが掟を弟子たちに与える理由は、イエスご自身の喜びが弟子たちの内にあり、弟子たちの喜びが満たされるためです。
 イエスの喜びは、父である神がイエスを愛されていることから生じる喜びです。
 イエスに愛されていることを実感し、イエスの喜びを頂くことができますように。
 

ヨハネによる福音
 〔そのとき、イエスは弟子たちに言われた。〕15・1「わたしはまことのぶどうの木、わたしの父は農夫である。2わたしにつながっていながら、実を結ばない枝はみな、父が取り除かれる。しかし、実を結ぶものはみな、いよいよ豊かに実を結ぶように手入れをなさる。3わたしの話した言葉によって、あなたがたは既に清くなっている。4わたしにつながっていなさい。わたしもあなたがたにつながっている。ぶどうの枝が、木につながっていなければ、自分では実を結ぶことができないように、あなたがたも、わたしにつながっていなければ、実を結ぶことができない。5わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。わたしを離れては、あなたがたは何もできないからである。6わたしにつながっていない人がいれば、枝のように外に投げ捨てられて枯れる。そして、集められ、火に投げ入れられて焼かれてしまう。7あなたがたがわたしにつながっており、わたしの言葉があなたがたの内にいつもあるならば、望むものを何でも願いなさい。そうすればかなえられる。8あなたがたが豊かに実を結び、わたしの弟子となるなら、それによって、わたしの父は栄光をお受けになる。」

 まことのぶどうの木であるイエスにつながっていても実を結ばない枝は、父である神が取り去ります。しかし、実を結ぶ枝でも、更に多くの実を結ぶように手入れをされます。
 実を結ぶ枝も剪定という試練を受けるのです。
 ぶどうの枝が幹につながっていなければ、実を結ぶことができないどころか、枯れてしまいます。枯れた枝葉は集められ燃やされます。
 このたとえでは枝がイエスにつながっているかどうかによって、実を結ぶか枯れるかすることになります。。
 幹であるイエスにつながれ、イエスの言葉がいつも私たちの内にありますように。