ルカによる福音

15・3そのとき、イエスはファリサイ派の人々や律法学者たちに次のたとえを話された。4「あなたがたの中に、百匹の羊を持っている人がいて、その一匹を見失ったとすれば、九十九匹を野原に残して、見失った一匹を見つけ出すまで捜し回らないだろうか。5そして、見つけたら、喜んでその羊を担いで、6家に帰り、友達や近所の人々を呼び集めて、『見失った羊を見つけたので、一緒に喜んでください』と言うであろう。7言っておくが、このように、悔い改める一人の罪人については、悔い改める必要のない九十九人の正しい人についてよりも大きな喜びが天にある。」

 

 イエスの話を聞こうとして、徴税人や罪人たちがイエスに近寄って来たとき、ファリサイ派の人々や律法学者たちは「この人は罪人たちを迎えて、食事まで一緒にしている」と不平を言い出しました。

 その時にイエスが語ったたとえ話の最初が見失った羊の話です。たとえを語るイエスの言葉は徴税人や罪人たちにも聞こえていたはずです。

 彼らは、イエスのたとえを聞いて心底喜んだことだと思います。

 

 イエスのみこころについては女子パウロ会ホームページをご覧下さい。名古屋教区では、「イエスのみこころ布教会」の司祭たちが教会司牧に協力してくださっています。

https://www.pauline.or.jp/calendariocappella/cycleC/c_sacra_cuore.php

 

マタイによる福音

 〔そのとき、イエスは弟子たちに言われた。〕7・21「わたしに向かって、『主よ、主よ』と言う者が皆、天の国に入るわけではない。わたしの天の父の御心を行う者だけが入るのである。22かの日には、大勢の者がわたしに、『主よ、主よ、わたしたちは御名によって預言し、御名によって悪霊を追い出し、御名によって奇跡をいろいろ行ったではありませんか』と言うであろう。23そのとき、わたしはきっぱりとこう言おう。『あなたたちのことは全然知らない。不法を働く者ども、わたしから離れ去れ。』

 24そこで、わたしのこれらの言葉を聞いて行う者は皆、岩の上に自分の家を建てた賢い人に似ている。25雨が降り、川があふれ、風が吹いてその家を襲っても、倒れなかった。岩を土台としていたからである。26わたしのこれらの言葉を聞くだけで行わない者は皆、砂の上に家を建てた愚かな人に似ている。27雨が降り、川があふれ、風が吹いてその家に襲いかかると、倒れて、その倒れ方がひどかった。」

 28イエスがこれらの言葉を語り終えられると、群衆はその教えに非常に驚いた。29彼らの律法学者のようにではなく、権威ある者としてお教えになったからである。

 

 「あなたがたはその実で彼ら(偽預言者)を見分ける。」と言った後、イエスは弟子たちを厳しく戒めます。

 

 「わたしに向かって、『主よ、主よ』と言う者が皆、天の国に入るわけではない。わたしの天の父の御心を行う者だけが入るのである。」という言葉は、「主よ、主よ」と祈る人たちが肝に銘じるべき言葉です。

 

 イエスの名によって、預言し、悪霊を追い出し、奇跡を行っても、それはイエスの名の力によるのであって、彼ら自身が天の父のみこころを行っていないなら、イエスは「わたしから離れ去れ」と命じます。

 

 この警告にもかかわらず、イエスは弟子を捨て去ることはありませんでした。

マタイによる福音

〔そのとき、イエスは弟子たちに言われた。〕7・15「偽預言者を警戒しなさい。彼らは羊の皮を身にまとってあなたがたのところに来るが、その内側は貪欲な狼である。16あなたがたは、その実で彼らを見分ける。茨からぶどうが、あざみからいちじくが採れるだろうか。17すべて良い木は良い実を結び、悪い木は悪い実を結ぶ。18良い木が悪い実を結ぶことはなく、また、悪い木が良い実を結ぶこともできない。19良い実を結ばない木はみな、切り倒されて火に投げ込まれる。20このように、あなたがたはその実で彼らを見分ける。」

 

 イエスは二度、「あなたがたは、その実で彼らを見分ける。」と言います。

 実とは、具体的な行動のことだと思います。どんなに感動的な話をしても、その人が生活の中で、どんな生き方をするかを見ていれば、その実が分かると言うことだと思います。

 自分は一体どうなのかと、わが身を省みます。