ルカによる福音

 そのとき、4・38イエスは会堂を立ち去り、シモンの家にお入りになった。シモンのしゅうとめが高い熱に苦しんでいたので、人々は彼女のことをイエスに頼んだ。39イエスが枕もとに立って熱を叱りつけられると、熱は去り、彼女はすぐに起き上がって一同をもてなした。40日が暮れると、いろいろな病気で苦しむ者を抱えている人が皆、病人たちをイエスのもとに連れて来た。イエスはその一人一人に手を置いていやされた。41悪霊もわめき立て、「お前は神の子だ」と言いながら、多くの人々から出て行った。イエスは悪霊を戒めて、ものを言うことをお許しにならなかった。悪霊は、イエスをメシアだと知っていたからである。

 42朝になると、イエスは人里離れた所へ出て行かれた。群衆はイエスを捜し回ってそのそばまで来ると、自分たちから離れて行かないようにと、しきりに引き止めた。43しかし、イエスは言われた。「ほかの町にも神の国の福音を告げ知らせなければならない。わたしはそのために遣わされたのだ。」44そして、ユダヤの諸会堂に行って宣教された。

 

 ルカ福音書ではイエスはシモンを弟子にする前にシモンの家に行きました。もしかしたらシモンのしゅうとめが高熱で苦しんでいるので人々がイエスに彼女を癒やしてくれるように頼んだのかもしれません。

 イエスはその枕元に立ち、熱を叱りつけて癒されます。さらに、日が暮れると町中の人々が病人を連れて押し寄せます。イエスはその一人ひとりに手を置いていやされました。

私たちは日々の忙しさの中で、群衆や「大勢の中の一人」として扱われ、自分の痛みや苦しみが埋もれてしまうように感じることがあります。しかし、主イエスは私たちの個別の痛みに目を留め、一人ひとりの枕元に立ってそっと手を差し伸べてくださる方です。

 高齢や病気のために病者の塗油の秘跡を希望する方が増えてきました。一人ひとりに手を置いて癒やされたイエスを思いながら塗油の秘跡を行います。

ルカによる福音

 〔そのとき、〕4・31イエスはガリラヤの町カファルナウムに下って、安息日には人々を教えておられた。32人々はその教えに非常に驚いた。その言葉には権威があったからである。33ところが会堂に、汚れた悪霊に取りつかれた男がいて、大声で叫んだ。34「ああ、ナザレのイエス、かまわないでくれ。我々を滅ぼしに来たのか。正体は分かっている。神の聖者だ。」35イエスが、「黙れ。この人から出て行け」とお叱りになると、悪霊はその男を人々の中に投げ倒し、何の傷も負わせずに出て行った。36人々は皆驚いて、互いに言った。「この言葉はいったい何だろう。権威と力とをもって汚れた霊に命じると、出て行くとは。」37こうして、イエスのうわさは、辺り一帯に広まった。

 

 古代の呪術や宗教的世界観では、「相手の本当の名や正体を言い当てることで、その相手に対して優位に立つ、あるいは支配権を奪い返す」という考え方がありました。

 悪霊は、イエスに「神の聖者」と先にイエスの正体を叫ぶことで、イエスの力を封じ込めようとしたのかもしれません。

 悪霊のの叫びは、「イエスの圧倒的な神聖さと権威の前に、悪霊が恐怖とパニックに陥り、自分たちの破滅を予感して思わず本音を叫び出してしまった瞬間」を表しています。

 この直後、イエスが「黙れ。この人から出て行け」と悪霊を叱りつけると、悪霊はその人から出て行きます。

 イエスの宣教は地上を支配する悪霊との戦いでもあります。

ルカによる福音

 〔そのとき、〕4・16イエスはお育ちになったナザレに来て、いつものとおり安息日に会堂に入り、聖書を朗読しようとしてお立ちになった。17預言者イザヤの巻物が渡され、お開きになると、次のように書いてある個所が目に留まった。18「主の霊がわたしの上におられる。貧しい人に福音を告げ知らせるために、主がわたしに油を注がれたからである。主がわたしを遣わされたのは、捕らわれている人に解放を、目の見えない人に視力の回復を告げ、圧迫されている人を自由にし、19主の恵みの年を告げるためである。」20イエスは巻物を巻き、係の者に返して席に座られた。会堂にいるすべての人の目がイエスに注がれていた。21そこでイエスは、「この聖書の言葉は、今日、あなたがたが耳にしたとき、実現した」と話し始められた。22皆はイエスをほめ、その口から出る恵み深い言葉に驚いて言った。「この人はヨセフの子ではないか。」23イエスは言われた。「きっと、あなたがたは、『医者よ、自分自身を治せ』ということわざを引いて、『カファルナウムでいろいろなことをしたと聞いたが、郷里のここでもしてくれ』と言うにちがいない。」24そして、言われた。「はっきり言っておく。預言者は、自分の故郷では歓迎されないものだ。25確かに言っておく。エリヤの時代に三年六か月の間、雨が降らず、その地方一帯に大飢饉が起こったとき、イスラエルには多くのやもめがいたが、26エリヤはその中のだれのもとにも遣わされないで、シドン地方のサレプタのやもめのもとにだけ遣わされた。27また、預言者エリシャの時代に、イスラエルには重い皮膚病を患っている人が多くいたが、シリア人ナアマンのほかはだれも清くされなかった。」28これを聞いた会堂内の人々は皆憤慨し、29総立ちになって、イエスを町の外へ追い出し、町が建っている山の崖まで連れて行き、突き落とそうとした。30しかし、イエスは人々の間を通り抜けて立ち去られた。

 

 洗礼を受け、荒れ野で悪魔の誘惑を退けた後、イエスはガリラヤで宣教を始めました。故郷のナザレで会堂でイザヤ書を朗読した後、イエスは「この聖書の言葉は、今日、あなたがたが耳にしたとき、実現した」と宣言しました。

 故郷の人々はイエスの大胆な言葉に驚きましたが、すぐに、「この人はヨセフの子ではないか。」と言います。その言葉の裏には、「ヨセフの倅がどこでこうした知恵を仕込んできたのか」という好奇心や疑いがあったのではないかと思います。イエスが奇術のように不思議な業を彼らの前で行うのを期待していたのかもしれません。

 彼らの腹の中を見抜くイエスの言葉に、先ほどまで驚いていた故郷の人たちは憤慨しイエスを殺そうとしました。

 安息日に福音を説くイエスと、安息日にイエスを殺そうとする故郷の人々の姿が際立ちます。