ルカによる福音

 〔そのとき、イエスは弟子たちに〕6・39たとえを話された。「盲人が盲人の道案内をすることができようか。二人とも穴に落ち込みはしないか。40弟子は師にまさるものではない。しかし、だれでも、十分に修行を積めば、その師のようになれる。41あなたは、兄弟の目にあるおが屑は見えるのに、なぜ自分の目の中の丸太に気づかないのか。42自分の目にある丸太を見ないで、兄弟に向かって、『さあ、あなたの目にあるおが屑を取らせてください』と、どうして言えるだろうか。偽善者よ、まず自分の目から丸太を取り除け。そうすれば、はっきり見えるようになって、兄弟の目にあるおが屑を取り除くことができる。」

 

 イエスは弟子たちに「盲人が盲人の道案内をすることができようか。」と語り始めます。弟子たちの不和はイエスがこうしたたとえを話さざるを得ないほど激しいものだったのだと思います。

 その一方でイエスは、そのような弟子たちを最後まで見放すことはありませんでした。

ルカによる福音

 〔そのとき、イエスは弟子たちに言われた。〕6・27「わたしの言葉を聞いているあなたがたに言っておく。敵を愛し、あなたがたを憎む者に親切にしなさい。28悪口を言う者に祝福を祈り、あなたがたを侮辱する者のために祈りなさい。29あなたの頬を打つ者には、もう一方の頬をも向けなさい。上着を奪い取る者には、下着をも拒んではならない。30求める者には、だれにでも与えなさい。あなたの持ち物を奪う者から取り返そうとしてはならない。31人にしてもらいたいと思うことを、人にもしなさい。32自分を愛してくれる人を愛したところで、あなたがたにどんな恵みがあろうか。罪人でも、愛してくれる人を愛している。33また、自分によくしてくれる人に善いことをしたところで、どんな恵みがあろうか。罪人でも同じことをしている。34返してもらうことを当てにして貸したところで、どんな恵みがあろうか。罪人さえ、同じものを返してもらおうとして、罪人に貸すのである。35しかし、あなたがたは敵を愛しなさい。人に善いことをし、何も当てにしないで貸しなさい。そうすれば、たくさんの報いがあり、いと高き方の子となる。いと高き方は、恩を知らない者にも悪人にも、情け深いからである。36あなたがたの父が憐れみ深いように、あなたがたも憐れみ深い者となりなさい。」

 37「人を裁くな。そうすれば、あなたがたも裁かれることがない。人を罪人だと決めるな。そうすれば、あなたがたも罪人だと決められることがない。赦しなさい。そうすれば、あなたがたも赦される。38与えなさい。そうすれば、あなたがたにも与えられる。押し入れ、揺すり入れ、あふれるほどに量りをよくして、ふところに入れてもらえる。あなたがたは自分の量る秤で量り返されるからである。」

 

 「敵を愛し、あなたがたを憎む者に親切にしなさい。悪口を言う者に祝福を祈り、あなたがたを侮辱する者のために祈りなさい。あなたの頬を打つ者には、もう一方の頬をも向けなさい。上着を奪い取る者には、下着をも拒んではならない。求める者には、だれにでも与えなさい。あなたの持ち物を奪う者から取り返そうとしてはならない。人にしてもらいたいと思うことを、人にもしなさい。」とイエスは弟子に言いますが、これを実行することは大変難しいように私には思えます。

 一方イエスはこの教えを日々の生活の中で実践しておられました。

 ”longum iter per precepta, breve et efficax per exempla”というラテン語のことわざを神学生時代に習いました。「人は言葉による教えよりも、実際に見る手本や例から学ぶ方が、より速く、そして効果的に理解できる」という意味だと教えられました。

 弟子たちはイエスと生活を共にしていましたから、イエスの生活ぶりから学ぶことが多かっただろうと思います。

ルカによる福音

〔そのとき、〕6・20イエスは目を上げ弟子たちを見て言われた。

「貧しい人々は、幸いである、

神の国はあなたがたのものである。

21今飢えている人々は、幸いである、

あなたがたは満たされる。

今泣いている人々は、幸いである、

あなたがたは笑うようになる。

22人々に憎まれるとき、また、人の子のために追い出され、ののしられ、汚名を着せられるとき、あなたがたは幸いである。23その日には、喜び踊りなさい。天には大きな報いがある。この人々の先祖も、預言者たちに同じことをしたのである。

24しかし、富んでいるあなたがたは、不幸である、

あなたがたはもう慰めを受けている。

25今満腹している人々、あなたがたは、不幸である、

あなたがたは飢えるようになる。

今笑っている人々は、不幸である、

あなたがたは悲しみ泣くようになる。

26すべての人にほめられるとき、あなたがたは不幸である。この人々の先祖も、偽預言者たちに同じことをしたのである。」

 

 イエスは弟子たちを見ながら、幸いと不幸について教えます。この教えは弟子たちに宛てられています。

 イエスの弟子たちに富んだり、満腹したり、笑っていたり、人からほめられたりする人がいたとは考えにくいです。

 後半の不幸の警告は、後の教会の不心得な指導者たちを指していたのかもしれません。

 殉教者たちはイエスの言葉を支えにして迫害に耐えたのだと思います。

 

 日本205福者殉教者については女子パウロ会ホームページをご覧下さい。

https://www.pauline.or.jp/calendariosanti/todayssaint.php?id=091001