ルカによる福音

 〔そのとき、〕10・1主はほかに七十二人を任命し、御自分が行くつもりのすべての町や村に二人ずつ先に遣わされた。2そして、彼らに言われた。「収穫は多いが、働き手が少ない。だから、収穫のために働き手を送ってくださるように、収穫の主に願いなさい。3行きなさい。わたしはあなたがたを遣わす。それは、狼の群れに小羊を送り込むようなものだ。4財布も袋も履物も持って行くな。途中でだれにも挨拶をするな。5どこかの家に入ったら、まず、『この家に平和があるように』と言いなさい。6平和の子がそこにいるなら、あなたがたの願う平和はその人にとどまる。もし、いなければ、その平和はあなたがたに戻ってくる。7その家に泊まって、そこで出される物を食べ、また飲みなさい。働く者が報酬を受けるのは当然だからである。家から家へと渡り歩くな。8どこかの町に入り、迎え入れられたら、出される物を食べ、9その町の病人をいやし、また、『神の国はあなたがたに近づいた』と言いなさい。」

 

 イエスは72人を任命し、ご自分が行くつもりの町や村に二人ずつ遣わしました。36組の宣教チームができました。派遣にあたってイエスは、それは、「狼の群れに小羊を送り込むようなものだ」と言いました。

 二人ひと組にして派遣したのは、さまざまな困難に遭遇したとき、二人で相談したり、助け合ったりできるためではなかったかと思います。

 イエスが彼らに人をいやす権能を与えられたとはいえ、彼らだけで宣教することは勇気のいることだったと思います。

 

 聖ルカ福音記者については女子パウロ会ホームページをごらんください。

https://www.pauline.or.jp/calendariosanti/gen_saint50.php?id=101801

 

ルカによる福音

 〔そのとき、イエスは悪霊どもを追い出しておられたが、人々の〕11・15中には、「あの男は悪霊の頭ベルゼブルの力で悪霊を追い出している」と言う者や、16イエスを試そうとして、天からのしるしを求める者がいた。17しかし、イエスは彼らの心を見抜いて言われた。「内輪で争えば、どんな国でも荒れ果て、家は重なり合って倒れてしまう。18あなたたちは、わたしがベルゼブルの力で悪霊を追い出していると言うけれども、サタンが内輪もめすれば、どうしてその国は成り立って行くだろうか。19わたしがベルゼブルの力で悪霊を追い出すのなら、あなたたちの仲間は何の力で追い出すのか。だから、彼ら自身があなたたちを裁く者となる。20しかし、わたしが神の指で悪霊を追い出しているのであれば、神の国はあなたたちのところに来ているのだ。21強い人が武装して自分の屋敷を守っているときには、その持ち物は安全である。22しかし、もっと強い者が襲って来てこの人に勝つと、頼みの武具をすべて奪い取り、分捕り品を分配する。23わたしに味方しない者はわたしに敵対し、わたしと一緒に集めない者は散らしている。」

 24「汚れた霊は、人から出て行くと、砂漠をうろつき、休む場所を探すが、見つからない。それで、『出て来たわが家に戻ろう』と言う。25そして、戻ってみると、家は掃除をして、整えられていた。26そこで、出かけて行き、自分よりも悪いほかの七つの霊を連れて来て、中に入り込んで、住み着く。そうなると、その人の後の状態は前よりも悪くなる。」

 

 「悪霊の頭ベルゼブルの力で悪霊を追い出している」とイエスを非難する者たちに対して、イエスは、「サタンが内輪もめすれば、どうしてその国は成り立って行くだろうか」と言います。

 悪霊を追い出す行為は、サタンの支配を弱体化させる行為です。もしサタンが内輪もめすることで自らその支配を弱体化させるなら、それは自己破壊行為であり、サタンの国はすぐに崩壊してしまいます。したがって、悪霊を追い出すわたしの力の源は悪霊の頭の力であるはずがないとイエスは言うのです。

 最後に「わたしに味方しない者はわたしに敵対し、わたしと一緒に集めない者は散らしている。」とイエスは言います。

神の国とサタンの国の間の決定的な戦いがイエスの宣教生活の中心でした。

 イエスに味方しない(神の国の側に加わらない)ということは、イエスに敵対する(サタンの側に立つ)ことを意味します。

 ご自分の前で曖昧な態度を取ることはできないとイエスは言っておられます。

ルカによる福音

 〔そのとき、イエスは〕11・5弟子たちに言われた。「あなたがたのうちのだれかに友達がいて、真夜中にその人のところに行き、次のように言ったとしよう。『友よ、パンを三つ貸してください。6旅行中の友達がわたしのところに立ち寄ったが、何も出すものがないのです。』7すると、その人は家の中から答えるにちがいない。『面倒をかけないでください。もう戸は閉めたし、子供たちはわたしのそばで寝ています。起きてあなたに何かをあげるわけにはいきません。』8しかし、言っておく。その人は、友達だからということでは起きて何か与えるようなことはなくても、しつように頼めば、起きて来て必要なものは何でも与えるであろう。9そこで、わたしは言っておく。求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。10だれでも、求める者は受け、探す者は見つけ、門をたたく者には開かれる。11あなたがたの中に、魚を欲しがる子供に、魚の代わりに蛇を与える父親がいるだろうか。12また、卵を欲しがるのに、さそりを与える父親がいるだろうか。13このように、あなたがたは悪い者でありながらも、自分の子供には良い物を与えることを知っている。まして天の父は求める者に聖霊を与えてくださる。」

 

 「しつように」祈る必要性をイエスは弟子たちに説きます。日頃からイエスご自身も父である神に「しつように」祈っておられたのではないでしょうか。

 そしてイエスご自身が「天の父は求める者に聖霊を与えてくださる。」ことを体験しておられたのだと思います。

 イエスの弟子への教えは、ご自身が実践しておられることに基づいていました。