ルカによる福音
17・11イエスはエルサレムへ上る途中、サマリアとガリラヤの間を通られた。12ある村に入ると、重い皮膚病を患っている十人の人が出迎え、遠くの方に立ち止まったまま、13声を張り上げて、「イエスさま、先生、どうか、わたしたちを憐れんでください」と言った。14イエスは重い皮膚病を患っている人たちを見て、「祭司たちのところに行って、体を見せなさい」と言われた。彼らは、そこへ行く途中で清くされた。15その中の一人は、自分がいやされたのを知って、大声で神を賛美しながら戻って来た。16そして、イエスの足もとにひれ伏して感謝した。この人はサマリア人だった。17そこで、イエスは言われた。「清くされたのは十人ではなかったか。ほかの九人はどこにいるのか。18この外国人のほかに、神を賛美するために戻って来た者はいないのか。」19それから、イエスはその人に言われた。「立ち上がって、行きなさい。あなたの信仰があなたを救った。」
年間第28主日のみことばの典礼のテーマは、「病気の治癒と救い」ではないでしょうか。
第一朗読は列王記です。
エリシャは紀元前9世紀半ばから8世紀初頭にかけて北イスラエルで活動した預言者です。今日の朗読箇所だけでは、この物語の全容を理解することが難しいと思われますので簡単に解説します。
アラム(今のシリア)の王の軍司令官のナアマンは、勇士でしたが重い皮膚病を患っていました。ナアマンの召使いはアラム人の捕虜になったイスラエル人の少女でした。少女は女主人に「御主人様がサマリアの預言者のところにおいでになれば、その重い皮膚病をいやしてもらえるでしょうに。」と告げました。ナアマンが妻から聞いた話をアラムの王にすると、アラムの王はイスラエルの王にあてた手紙をナアマンに持たせます。その手紙には「今、この手紙をお届けするとともに、家臣ナアマンを送り、あなたに託します。彼の重い皮膚病をいやしてくださいますように。」と書いてありました。その手紙を読んだイスラエルの王は、衣を裂いて、「わたしが人を殺したり生かしたりする神だとでも言うのか。この人は皮膚病の男を送りつけていやせと言う。よく考えてみよ。彼はわたしに言いがかりをつけようとしているのだ。」と絶望的な思いに駆られました。
その噂を聞いた神の人エリシャは、ナアマンを自分のところに送ってくれるようイスラエルの王に告げます。
ナアマンがエリシャの家の戸口に立つと、エリシャはナアマンに挨拶もせず、使いに「ヨルダン川に行って七度身を洗いなさい。そうすれば、あなたの体は元に戻り、清くなります。」と言わせます。
その伝言を聞いたナアマンは怒って「彼が自ら出て来て、わたしの前に立ち、彼の神、主の名を呼び、患部の上で手を動かし、皮膚病をいやしてくれるものと思っていた。イスラエルのどの流れの水よりもダマスコの川アバナやパルパルの方が良いではないか。これらの川で洗って清くなれないというのか。」と言いい、去って行こうとすると、彼の家来たちが「わが父よ、あの預言者が大変なことをあなたに命じたとしても、あなたはそのとおりなさったにちがいありません。あの預言者は、『身を洗え、そうすれば清くなる』と言っただけではありませんか。」とナアマンをなだめます。
ナアマンは気を取り直してエリシャの言葉どおりにするところからが今日の朗読箇所です。ナアマンは自分の身に起こったことに驚き、「イスラエルのほか、この世界のどこにも神はおられないことが分かりました。」とエリシャに言いました。
福音は、重い皮膚病を患っている十人の人が、イエスによって清くされる奇跡の物語です。
重い皮膚病を患っている十人の人が遠くから大声で「イエスさま、先生、どうか、わたしたちを憐れんでください」と叫びます。重い皮膚病を患った人は律法の規定によって隔離されます。その人が重い皮膚病であるかないかを判断するのは祭司の役割です。レビ記13章では、
重い皮膚病にかかっている患者は、衣服を裂き、髪をほどき、口ひげを覆い、「わたしは汚れた者です。汚れた者です」と呼ばわらねばならない。この症状があるかぎり、その人は汚れている。その人は独りで宿営の外に住まねばならない。(レビ13:45-46)
とされています。
重い皮膚病を患っている人たちは、今日の十人のように助け合って生活していたのでしょう。
ところで、エリシャがナアマンにしたように、イエスは直接彼らをいやしたのではなく、「祭司たちのところに行って、体を見せなさい」と言っただけです。イエスの言葉に従って祭司のところに行くことは、大変勇気のいることだったはずです。
彼らはイエスの言葉を信じて祭司たちのところに行きます。その途中で彼ら全員が清くされたのです。彼らを見て祭司から「清い」と認められた彼らは喜び踊り、病気のためつながりを絶たれた家族、或いは友人のもとに戻ることができました。
その中で、一人のサマリア人だけが神を賛美しながら、イエスのもとに戻り、足下にひれ伏して感謝しました。
サマリア人はユダヤ人からは不浄の者として差別されていました。
感謝するために戻ってきたサマリア人に、イエスは「立ち上がって、行きなさい。あなたの信仰があなたを救った。」と言います。
「立ち上がる」と訳されているギリシャ語は「起きる」という意味もありますが、「復活する」という意味で使われることが多いです。イエスの言葉を信じて、自分の身に起こったことで、感謝しに戻ってきたこのサマリア人に、イエスは病気のいやしを宣言するのではなく、神の救いを宣言します。
イエスによって赦され、癒やされたと気づいてイエスの前にひれ伏すとき、わたしたちも又、「あなたの信仰があなたを救った」とイエスから救いの宣言を受けることができます。
ひとこと
今日のみことばのテーマは「病気の治癒と救い」だと申しました。今日の聖書で語られる「重い皮膚病」はその症状の辛さだけではなく、「重い皮膚病」患者に焼き付けられた「汚れた者」社会的烙印によって差別、抑圧されています。
「重い皮膚病を患った人」はギリシャ語では「レプロス」です。レプラは「ハンセン病」だと思われていました。
精神科医の神谷美恵子さんは長島愛生園で「ハンセン病」の患者の治療に当たってきましたが、病気のために生きがいを奪われたままの人もいれば、一度奪われてしまった生きがいを、取り戻しより深い宗教的体験に昇華する人もいたことに驚き、その経験を『生きがいについて』という本で紹介しています。
イエスに癒やされた「重い皮膚病を患った人」は十人でしたが、イエスから「立ち上がって、行きなさい。あなたの信仰があなたを救った。」と言われたのは、癒やされたことを感謝しに戻ってきたサマリア人一人だけでした。
長島愛生園でも、舌で点字の聖書を読んでイエスと出会った患者がいたことを神谷美恵子さんは報告しています。
ミサは、わたしたちがイエスに癒やされたことを感謝する祭儀です。