ルカによる福音

 14・1安息日のことだった。イエスは食事のためにファリサイ派のある議員の家にお入りになったが、人々はイエスの様子をうかがっていた。2そのとき、イエスの前に水腫を患っている人がいた。3そこで、イエスは律法の専門家たちやファリサイ派の人々に言われた。「安息日に病気を治すことは律法で許されているか、いないか。」4彼らは黙っていた。すると、イエスは病人の手を取り、病気をいやしてお帰しになった。5そして、言われた。「あなたたちの中に、自分の息子か牛が井戸に落ちたら、安息日だからといって、すぐに引き上げてやらない者がいるだろうか。」6彼らは、これに対して答えることができなかった。

 

 イエスは安息日に会堂で十八年間腰の曲りで苦しんでいた女性をいやしました。今回は安息日にファリサイ派のある議員から食事の招待を受け、その家に入ると、水腫を患っている人を見て、そこに居合わせた律法の専門家たちやファリサイ派の人々に、「安息日に病気を治すことは律法で許されているか、いないか。」と問いかけます。

 彼らは黙っていましたが、彼らに取って水腫を患っている人は身内ではなく、彼の病はひとごとでしかありません。

彼らに対してイエスは「あなたたちの中に、自分の息子か牛が井戸に落ちたら、安息日だからといって、すぐに引き上げてやらない者がいるだろうか。」と問いかけましたが、彼らは答えることができませんでした。

 安息日は、形式的に労働を休むことではなく、神の愛と憐れみを実行し、人々に真の安息と救いを与える日であるとイエスは教えておられます。

ルカによる福音

 13・31ちょうどそのとき、ファリサイ派の人々が何人か近寄って来て、イエスに言った。「ここを立ち去ってください。ヘロデがあなたを殺そうとしています。」32イエスは言われた。「行って、あの狐に、『今日も明日も、悪霊を追い出し、病気をいやし、三日目にすべてを終える』とわたしが言ったと伝えなさい。33だが、わたしは今日も明日も、その次の日も自分の道を進まねばならない。預言者がエルサレム以外の所で死ぬことは、ありえないからだ。34エルサレム、エルサレム、預言者たちを殺し、自分に遣わされた人々を石で打ち殺す者よ、めん鳥が雛を羽の下に集めるように、わたしはお前の子らを何度集めようとしたことか。だが、お前たちは応じようとしなかった。35見よ、お前たちの家は見捨てられる。言っておくが、お前たちは、『主の名によって来られる方に、祝福があるように』と言う時が来るまで、決してわたしを見ることがない。」

 

 イエスの身に危険が及ぶことを知らせに来たファリサイ派の人々にイエスは、「お前たちは、『主の名によって来られる方に、祝福があるように』と言う時が来るまで、決してわたしを見ることがない。」といいます。

 

 「決してわたしを見ることがない。」という言葉は、やがてイエスが人々から見えなくなることを意味しています。

「『主の名によって来られる方に、祝福があるように』と言う時が来るまで。」という言葉は、詩篇118篇26節からの引用で、メシア(救い主)を歓迎する歓呼の言葉です。

 この言葉は、イエスがエルサレムに入城した際に群衆が歓声を上げた言葉そのものです(マタイ 21:9)。しかし、この時の歓迎は一時的で表面的なものであり、群衆の叫び声は、「十字架につけろ」という言葉に変わります。

ルカによる福音

 〔そのとき、〕13・22イエスは町や村を巡って教えながら、エルサレムへ向かって進んでおられた。23すると、「主よ、救われる者は少ないのでしょうか」と言う人がいた。イエスは一同に言われた。24「狭い戸口から入るように努めなさい。言っておくが、入ろうとしても入れない人が多いのだ。25家の主人が立ち上がって、戸を閉めてしまってからでは、あなたがたが外に立って戸をたたき、『御主人様、開けてください』と言っても、『お前たちがどこの者か知らない』という答えが返ってくるだけである。26そのとき、あなたがたは、『御一緒に食べたり飲んだりしましたし、また、わたしたちの広場でお教えを受けたのです』と言いだすだろう。27しかし主人は、『お前たちがどこの者か知らない。不義を行う者ども、皆わたしから立ち去れ』と言うだろう。28あなたがたは、アブラハム、イサク、ヤコブやすべての預言者たちが神の国に入っているのに、自分は外に投げ出されることになり、そこで泣きわめいて歯ぎしりする。29そして人々は、東から西から、また南から北から来て、神の国で宴会の席に着く。30そこでは、後の人で先になる者があり、先の人で後になる者もある。」

 

 「狭い戸口から入るように努めなさい。」という言葉に続くイエスの言葉は大変厳しいものです。

 「あなたがたは、『御一緒に食べたり飲んだりしましたし、また、わたしたちの広場でお教えを受けたのです』と言いだすだろう。しかし主人は、『お前たちがどこの者か知らない。不義を行う者ども、皆わたしから立ち去れ』と言うだろう。」

 会堂や広場で食事を共にしたり、教えを受けても、それだけでは、主の家から閉め出されるのです。

 律法を守り、安息日に会堂で礼拝をしても、「神の愛」と「隣人への愛」を実践しなければ、不義を行う者と談じられるのです。

 イエスの言葉は、カトリック教会で司牧、牧会をする私たちにも当てはまります。