ルカによる福音

〔そのとき、〕13・22イエスは町や村を巡って教えながら、エルサレムへ向かって進んでおられた。23すると、「主よ、救われる者は少ないのでしょうか」と言う人がいた。イエスは一同に言われた。24「狭い戸口から入るように努めなさい。言っておくが、入ろうとしても入れない人が多いのだ。25家の主人が立ち上がって、戸を閉めてしまってからでは、あなたがたが外に立って戸をたたき、『御主人様、開けてください』と言っても、『お前たちがどこの者か知らない』という答えが返ってくるだけである。26そのとき、あなたがたは、『御一緒に食べたり飲んだりしましたし、また、わたしたちの広場でお教えを受けたのです』と言いだすだろう。27しかし主人は、『お前たちがどこの者か知らない。不義を行う者ども、皆わたしから立ち去れ』と言うだろう。28あなたがたは、アブラハム、イサク、ヤコブやすべての預言者たちが神の国に入っているのに、自分は外に投げ出されることになり、そこで泣きわめいて歯ぎしりする。29そして人々は、東から西から、また南から北から来て、神の国で宴会の席に着く。30そこでは、後の人で先になる者があり、先の人で後になる者もある。」

 

 エルサレムへ向かう道中で「主よ、救われる者は少ないのでしょうか」と訊かれたとき、イエスは「狭い戸口から入るように努めなさい。言っておくが、入ろうとしても入れない人が多いのだ。」と答えました。

 「入ろうとしても入れない人が多いのだ」という言葉は、人間の努力で入ろうとしても入れない人が多いと受けとめることもできます。

 イエスに「善い先生、何をすれば永遠の命を受け継ぐことができるでしょうか」と尋ねた議員は、イエスから「あなたに欠けているものがまだ一つある。持っている物をすべて売り払い、貧しい人々に分けてやりなさい。そうすれば、天に富を積むことになる。それから、わたしに従いなさい。」と言われると悲しんでイエスのもとを去りました。

 そのとき、イエスは「財産のある者が神の国に入るのは、なんと難しいことか。金持ちが神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通る方がまだ易しい。」と言いました。それを聞いた人々が「それでは、だれが救われるのだろうか」と言うと、イエスは、「人間にはできないことも、神にはできる」と言われました。

 自分の努力で救われるのではなく、神によりたのむことによって救われるとイエスは言っているように思います。

 

 聖シモン聖ユダについては女子パウロ会ホームページをごらんください。

https://www.pauline.or.jp/calendariosanti/gen_saint365.php?id=102801

 

ルカによる福音

 13・10安息日に、イエスはある会堂で教えておられた。11そこに、十八年間も病の霊に取りつかれている女がいた。腰が曲がったまま、どうしても伸ばすことができなかった。12イエスはその女を見て呼び寄せ、「婦人よ、病気は治った」と言って、13その上に手を置かれた。女は、たちどころに腰がまっすぐになり、神を賛美した。14ところが会堂長は、イエスが安息日に病人をいやされたことに腹を立て、群衆に言った。「働くべき日は六日ある。その間に来て治してもらうがよい。安息日はいけない。」15しかし、主は彼に答えて言われた。「偽善者たちよ、あなたたちはだれでも、安息日にも牛やろばを飼い葉桶から解いて、水を飲ませに引いて行くではないか。16この女はアブラハムの娘なのに、十八年もの間サタンに縛られていたのだ。安息日であっても、その束縛から解いてやるべきではなかったのか。」17こう言われると、反対者は皆恥じ入ったが、群衆はこぞって、イエスがなさった数々のすばらしい行いを見て喜んだ。

 

 イエスはたびたび安息日に病気を癒やしました。

 会堂で十八年間も病に苦しんでいる女性を見たイエスはその女性を呼び寄せ、彼女の病気を癒やしました。

 ところが会堂長はそのことに腹を立てました。彼は律法で安息日に労働することは禁じられていると主張します。

 イエスは「この女はアブラハムの娘なのに、十八年もの間サタンに縛られていたのだ。安息日であっても、その束縛から解いてやるべきではなかったのか。」と返します。

 イエスが安息日に水腫を患う人をいやしたときも、それを批判した律法学者たちに、「あなたたちの中に、自分の息子か牛が井戸に落ちたら、安息日だからといって、すぐに引き上げてやらない者がいるだろうか。」と問いかけました。

 

 会堂長には十八年間も腰の曲がった病いの女性の苦しみは、「ひとごと」でしかなかったのです。

 

ルカによる福音

 〔そのとき、〕18・9自分は正しい人間だとうぬぼれて、他人を見下している人々に対して、イエスは次のたとえを話された。

 10「二人の人が祈るために神殿に上った。一人はファリサイ派の人で、もう一人は徴税人だった。11ファリサイ派の人は立って、心の中でこのように祈った。『神様、わたしはほかの人たちのように、奪い取る者、不正な者、姦通を犯す者でなく、また、この徴税人のような者でもないことを感謝します。12わたしは週に二度断食し、全収入の十分の一を献げています。』13ところが、徴税人は遠くに立って、目を天に上げようともせず、胸を打ちながら言った。『神様、罪人のわたしを憐れんでください。』14言っておくが、義とされて家に帰ったのは、この人であって、あのファリサイ派の人ではない。だれでも高ぶる者は低くされ、へりくだる者は高められる。」

 

 本日のみことばのテーマは「神に受け入れられる祈り」です。

 

 第一朗読のシラ書は、ベン・シラによって紀元前190年頃に書かれた知恵文学の一つとされます。ベン・シラは、紀元前2世紀初頭のユダヤ人書記(賢者)であり、旧約聖書外典の一つである知恵文学書『シラ書』(『集会の書』または『ベン・シラの知恵』とも呼ばれる)の著者として知られています。

 彼が生きていた時代は、さまざまな外国の支配下のもと社会情勢が不安定となり不正や汚職がまかり通っていたようです。そうした社会では、弱者である虐げられている者、孤児、やもめなどの権利は顧みられることがありませんでした。しかし、「謙虚な人の祈りは、雲を突き抜けて行き、主に届く」とベン・シラは言います。

 わたしたちの時代にも、虐げられ、苦しむ数多くの人々がいます。主が彼らの祈りを聞き入れ、裁きを行い、正義と平和を与えてくださるよう祈りましょう。

 

 聖書と典礼は「自分は正しい人間だとうぬぼれて、他人を見下している人々に対して、」と始まりますが、新約聖書翻訳委員会の訳では、「自分は義人であるとして自らたのみ、他人を軽蔑している幾人かの者たちに対して、」となっています。

 その後に続くイエスのたとえに出てくるファリサイ派の人の祈りは「神様、わたしはほかの人たちのように、奪い取る者、不正な者、姦通を犯す者でなく、また、この徴税人のような者でもないことを感謝します。わたしは週に二度断食し、全収入の十分の一を献げています。」と自分の行いをたのみとしています。

 断食は律法では年に一度の贖罪の日だけが定められているだけです。ファリサイ派の人は、モーセがシナイ山に登った木曜日と下山した月曜日にも断食をしていたといわれます。また、律法に規定のない農作物についても十分の一を捧げていました。このファリサイ派の人は、外的な信仰実践にかけては、確かに他人がまねることのできない立派な行いで、彼が自慢するのもうなずけます。

 他方徴税人は、イスラエルを植民地支配するローマ帝国のために同胞から税金を取り立てることで生活する人です。同胞のユダヤ人からはローマの手先、民族の裏切り者、罪人と思われていました。

 二人とも祈るために神殿に上りますが、その祈り方は極めて対照的です。

 ファリサイ派の人は、至聖所のある本殿の前まで進み、人目につく所に立って「神様、……感謝します」と祈り始めます。彼は立ったまま祈りを捧げましたが、それはユダヤ人が祈りを捧げる時のいつもの動作です。その時きっと彼の目も天に向かって上げられていたでしょう。

 ファリサイ派の人は神殿で神に感謝しますと祈りますが、実際は、自分の行いを神に自慢しているにすぎません。

 一方、徴税人は、本殿から離れて「遠くに立って」います。彼は神殿の前に進もうとはせず、目を天に上げようともしません。彼は下を向き、胸を打って「神様、罪人のわたしを憐れんでください。」と祈ります。

 イエスは、「義とされて家に帰ったのは、この(徴税)人であって、あのファリサイ派の人ではない。だれでも高ぶる者は低くされ、へりくだる者は高められる。」といいます。

イエスのたとえを聞いていた人々は、この言葉を自分たちへの当てつけとして不快に思ったことでしょう。

 イエスが、律法の規定にしたがって正しい生き方をしている自分たちと、裏切り者と忌み嫌われる徴税人を比べて、義とされたのは徴税人だと言うのを彼らは受け入れることができません。

 イエスのたとえは、単なる「例話」ではなく、聞くものの生き方を暴く、切れ味鋭いメスの様な機能をもっています。イエスは、たとえを聞く者たちに、自分の行いをたのみとするのか、神の憐れみをたのみとするのかを問いただします。そして神の前に義とされるのは、自分の行いをたのみとする人ではなく、神の憐れみをたのみとする人だと結論づけます。

 

 イエスの言葉はマリアの賛歌を連想させます。

「力ある方が、わたしに偉大なことをなさいましたから。その御名は尊く、その憐れみは代々に限りなく、主を畏れる者に及びます。主はその腕で力を振るい、思い上がる者を打ち散らし、権力ある者をその座から引き降ろし、身分の低い者を高く上げ、飢えた人を良い物で満たし、富める者を空腹のまま追い返されます。その僕イスラエルを受け入れて、憐れみをお忘れになりません」

 

 今月はロザリオ月です。わたしたちも聖母マリアと共に神のいつくしみを頼りにして祈りましょう。