ルカによる福音
そのとき、14・25大勢の群衆が一緒について来たが、イエスは振り向いて言われた。26「もし、だれかがわたしのもとに来るとしても、父、母、妻、子供、兄弟、姉妹を、更に自分の命であろうとも、これを憎まないなら、わたしの弟子ではありえない。27自分の十字架を背負ってついて来る者でなければ、だれであれ、わたしの弟子ではありえない。28あなたがたのうち、塔を建てようとするとき、造り上げるのに十分な費用があるかどうか、まず腰をすえて計算しない者がいるだろうか。29そうしないと、土台を築いただけで完成できず、見ていた人々は皆あざけって、30『あの人は建て始めたが、完成することはできなかった』と言うだろう。31また、どんな王でも、ほかの王と戦いに行こうとするときは、二万の兵を率いて進軍して来る敵を、自分の一万の兵で迎え撃つことができるかどうか、まず腰をすえて考えてみないだろうか。32もしできないと分かれば、敵がまだ遠方にいる間に使節を送って、和を求めるだろう。33だから、同じように、自分の持ち物を一切捨てないならば、あなたがたのだれ一人としてわたしの弟子ではありえない。」
イエスがファリサイ派の人の家から出てきたとき、大勢の群衆が一緒についてきました。
群衆にイエスは「弟子の条件」を語ります。群衆はイエスがファリサイ派の人の家で招いた人と招待客をやり込めたのでイエスの後についてきたのかもしれません。
ついてきた人たちにイエスは「もし、だれかがわたしのもとに来るとしても、父、母、妻、子供、兄弟、姉妹を、更に自分の命であろうとも、これを憎まないなら、わたしの弟子ではありえない。」と言います。
イエスはシモンのしゅうとめが熱を出したとき、しゅうとめをいやしました。
使徒パウロはコリントの信徒への手紙で、「ほかの使徒たちや主の兄弟たちやケファ(ペトロ)のように、信者である妻を連れて歩く権利が、私たちにないというのか。」(1コリント9章5節)と書いています。
イエスは、ご自分に従うよりも「父、母、妻、子供、兄弟、姉妹を、更に自分の命」を惜しむなら、弟子としてふさわしくないと言います。
群衆でいる内はイエスの弟子にはなれないのだと思います。