ルカによる福音

〔そのとき、イエスは弟子たちに言われた。〕21・20「エルサレムが軍隊に囲まれるのを見たら、その滅亡が近づいたことを悟りなさい。21そのとき、ユダヤにいる人々は山に逃げなさい。都の中にいる人々は、そこから立ち退きなさい。田舎にいる人々は都に入ってはならない。22書かれていることがことごとく実現する報復の日だからである。23それらの日には、身重の女と乳飲み子を持つ女は不幸だ。この地には大きな苦しみがあり、この民には神の怒りが下るからである。24人々は剣の刃に倒れ、捕虜となってあらゆる国に連れて行かれる。異邦人の時代が完了するまで、エルサレムは異邦人に踏み荒らされる。」

 25「それから、太陽と月と星に徴が現れる。地上では海がどよめき荒れ狂うので、諸国の民は、なすすべを知らず、不安に陥る。26人々は、この世界に何が起こるのかとおびえ、恐ろしさのあまり気を失うだろう。天体が揺り動かされるからである。27そのとき、人の子が大いなる力と栄光を帯びて雲に乗って来るのを、人々は見る。28このようなことが起こり始めたら、身を起こして頭を上げなさい。あなたがたの解放の時が近いからだ。」

 

 イエスの言う天変地異は、人々が変わることはないと信じていることが揺らぐ現れです。

 人々が間違いないと当てにしているものが揺らぐとき、「人の子が大いなる力と栄光を帯びて雲に乗って来る」とイエスは言います。

「異邦人の時代が完了するまで、エルサレムは異邦人に踏み荒らされる。」とイエスは言います。

 この言葉はどう考えても「ユダヤ人たちが異邦人の時代を完了させるようになる」という意味には受けとれません。現代のイスラエルはパレスチナの中で存続できるのか危ぶみます。

ルカによる福音

 〔そのとき、イエスは弟子たちに言われた。〕21・12「人々はあなたがたに手を下して迫害し、会堂や牢に引き渡し、わたしの名のために王や総督の前に引っ張って行く。13それはあなたがたにとって証しをする機会となる。14だから、前もって弁明の準備をするまいと、心に決めなさい。15どんな反対者でも、対抗も反論もできないような言葉と知恵を、わたしがあなたがたに授けるからである。16あなたがたは親、兄弟、親族、友人にまで裏切られる。中には殺される者もいる。17また、わたしの名のために、あなたがたはすべての人に憎まれる。18しかし、あなたがたの髪の毛の一本も決してなくならない。19忍耐によって、あなたがたは命をかち取りなさい。」

 

 可児市塩の地域は、特に寛文年間(1661年~1673年頃)に美濃・尾張地方で発生したキリシタンの一斉検挙、通称「濃尾崩れ」の発端の地の一つとされています。

 カトリック名古屋教区ではこの地で殉教した方がたを讃える祈念碑を建立し、巡礼地にしています。

 甘露寺は臨済宗妙心寺派の寺院ですが、キリシタンの子どもたちを堂内に集めて改宗させようとしたと言われます。子どもたちは説得に応ぜず、殉教をしたと聞いています。

 

 「あなたがたの髪の毛の一本も決してなくならない。忍耐によって、あなたがたは命をかち取りなさい。」というイエスの声を彼らも聞いたでしょうか。

ルカによる福音

〔そのとき、〕21・5ある人たちが、神殿が見事な石と奉納物で飾られていることを話していると、イエスは言われた。6「あなたがたはこれらの物に見とれているが、一つの石も崩されずに他の石の上に残ることのない日が来る。」

7そこで、彼らはイエスに尋ねた。「先生、では、そのことはいつ起こるのですか。また、そのことが起こるときには、どんな徴があるのですか。」8イエスは言われた。「惑わされないように気をつけなさい。わたしの名を名乗る者が大勢現れ、『わたしがそれだ』とか、『時が近づいた』とか言うが、ついて行ってはならない。9戦争とか暴動のことを聞いても、おびえてはならない。こういうことがまず起こるに決まっているが、世の終わりはすぐには来ないからである。」10そして更に、言われた。「民は民に、国は国に敵対して立ち上がる。11そして、大きな地震があり、方々に飢饉や疫病が起こり、恐ろしい現象や著しい徴が天に現れる。」

 

 壮麗な建築物を見ると、誰しもが感嘆すると思いますが、イエスは「あなたがたはこれらの物に見とれているが、一つの石も崩されずに他の石の上に残ることのない日が来る。」と予告します。

 世界遺産に登録されている建物も、爆弾一発で崩壊してしまいます。建てるのに多くの年月がかかったとしても、壊れるときは一瞬です。

 「民は民に、国は国に敵対して立ち上がる。そして、大きな地震があり、方々に飢饉や疫病が起こり、恐ろしい現象や著しい徴が天に現れる。」とイエスは予告します。

 長い教会の歴史の中では、こうした予告に基づき、何度も世の終わりが来るというデマに振り回されてきました。

 明日、どんな事態が生じようとも、イエスが私たちと共におられることを信じて生きていきたいと思います。