ルカによる福音

 〔そのとき、イエスは言われた。〕7・31「今の時代の人たちは何にたとえたらよいか。彼らは何に似ているか。32広場に座って、互いに呼びかけ、こう言っている子供たちに似ている。『笛を吹いたのに、踊ってくれなかった。葬式の歌をうたったのに、泣いてくれなかった。』33洗礼者ヨハネが来て、パンも食べずぶどう酒も飲まずにいると、あなたがたは、『あれは悪霊に取りつかれている』と言い、34人の子が来て、飲み食いすると、『見ろ、大食漢で大酒飲みだ。徴税人や罪人の仲間だ』と言う。35しかし、知恵の正しさは、それに従うすべての人によって証明される。」

 

 回心しない言い訳は、際限なくあり得ます。洗礼者ヨハネを「悪霊に取りつかれている」と言い、イエスを「大食漢で大酒飲みだ。徴税人や罪人の仲間だ」と言う人は、洗礼者ヨハネのメッセージもイエスのメッセージも拒絶します。

 「あなたたちは聞くには聞くが、決して理解せず、見るには見るが、決して認めない。この民の心は鈍り、耳は遠くなり、目は閉じてしまった。こうして、彼らは目で見ることなく、耳で聞くことなく、心で理解せず、悔い改めない。わたしは彼らをいやさない。」とイザヤの預言を使って、彼らの頑なさを咎めます。

 

 聖チプリアノ司教、聖コルネリオ司教殉教者については、女子パウロ会ホームページをごらんください。

https://www.pauline.or.jp/calendariosanti/todayssaint.php?id=091603

https://www.pauline.or.jp/calendariosanti/todayssaint.php?id=091602

 

ルカによる福音

 〔そのとき、イエスの〕2・33父と母は、幼子についてこのように言われたことに驚いていた。34シメオンは彼らを祝福し、母親のマリアに言った。「御覧なさい。この子は、イスラエルの多くの人を倒したり立ち上がらせたりするためにと定められ、また、反対を受けるしるしとして定められています。35――あなた自身も剣で心を刺し貫かれます――多くの人の心にある思いがあらわにされるためです。」

 

 悲しみの聖母マリアの記念日の福音朗読はヨハネ19章、十字架上でイエスがマリアをヨハネに託す場面と、ルカ福音書のシメオンの聖マリアへの受難予告の場面を選ぶことができます。

 悲しみの聖母マリアの記念日の朗読箇所として、ルカを選びました。

 十字架の下で佇み、悲しみに沈む聖母の姿は「スターバト・マーテル」として知られます。作詞者は、伝統的にはフランシスコ会の修道士であり詩人であったヤコポネ・ダ・トディ(Jacopone da Todi, 1230年頃〜1306年)の作とされています。

詩の冒頭の言葉Stabat Mater dolorosaは、「悲しみの母が立っていた」という意味です。

詩の内容は、主に以下の展開で構成されています。

十字架の下の母の姿(前半):

我が子イエス・キリストが十字架につけられて苦しみ悶える姿の傍らで、聖母マリアが耐え難い悲しみと嘆きに打ちひしがれながら、涙を流して立ち尽くしている情景を描きます。シメオンの預言にあった「心の臓を剣が刺し貫くような」悲しみが表現されます。

母の苦しみの共有を願う祈り(中盤):

祈り手(信徒)は、マリアのその深い苦しみに自分自身の心を重ね合わせます。「自分にもマリアのように、キリストの受難の痛みを分かち合わせてください」「一緒に泣かせてください」と願います。

最後の審判と救いの懇願(後半):

後半では、キリストの十字架の血によって救われること、そして世の終わりの審判の日に火(裁き)から守られ、聖母マリアの執り成しによって天国へと導かれることを切に祈り求めて締めくくられます。

この詩は、神の母でありながら人間の最も深い母としての苦悩を味わったマリアを通して、「苦難のただ中にいる人間に寄り添う神の愛」を深く瞑想させる名作として、ペルゴレージ、ヴィヴァルディ、ロッシーニ、ドヴォルザークなど、数多くの高名な作曲家によって美しく劇的な音楽作品としても作曲されています。

 

 悲しみの聖母マリアについては女子パウロ会ホームページをごらんください。

https://www.pauline.or.jp/calendariosanti/gen_saint50.php?id=091501

 

ヨハネによる福音

 〔そのとき、イエスはニコデモに言われた。〕3・13「天から降って来た者、すなわち人の子のほかには、天に上った者はだれもいない。14そして、モーセが荒れ野で蛇を上げたように、人の子も上げられねばならない。15それは、信じる者が皆、人の子によって永遠の命を得るためである。

 16神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。17神が御子を世に遣わされたのは、世を裁くためではなく、御子によって世が救われるためである。」

 

 新共同訳では3章13節から17節まではカギ括弧に入れられています。つまりイエスがニコデモに語ったことになっています。しかし、16節以降はイエスの言葉としては受けとめにくいです。11節からニコデモが姿を消し、対話が「われわれ」と「あなたがた」へと変わって行きます。

 新約聖書翻訳委員会の小林訳ではカギ括弧は15節までで、16節から21節まではカギ括弧がつけられていません。この部分はヨハネ福音書を伝えた共同体の信仰告白の言葉と受けとめることもできます。

 十字架称賛については、女子パウロ会ホームページをごらんください。

https://www.pauline.or.jp/calendariocappella/cycle0/festa0914.php