ルカによる福音

 〔そのとき、〕8・1イエスは神の国を宣べ伝え、その福音を告げ知らせながら、町や村を巡って旅を続けられた。十二人も一緒だった。2悪霊を追い出して病気をいやしていただいた何人かの婦人たち、すなわち、七つの悪霊を追い出していただいたマグダラの女と呼ばれるマリア、3ヘロデの家令クザの妻ヨハナ、それにスサンナ、そのほか多くの婦人たちも一緒であった。彼女たちは、自分の持ち物を出し合って、一行に奉仕していた。

 

 イエスの一行に婦人たちが同行していました。この婦人たちはイエスの十字架上の死を目撃しただけでなく、イエスの葬りを準備しました。

 「イエスと一緒にガリラヤから来た婦人たちは、ヨセフの後について行き、墓と、イエスの遺体が納められている有様とを見届け、家に帰って、香料と香油を準備した。」(23:55-56)

 イエスの弟子の中の十二人が注目されますが、イエスの復活の知らせを最初に受けたのはこの婦人たちでした。婦人たちは使徒たちに知らせましたが、「使徒たちは、この話がたわ言のように思われたので、婦人たちを信じなかった。」(24:11)とルカは伝えています。

ルカによる福音

 〔そのとき、〕7・36あるファリサイ派の人が、一緒に食事をしてほしいと願ったので、イエスはその家に入って食事の席に着かれた。37この町に一人の罪深い女がいた。イエスがファリサイ派の人の家に入って食事の席に着いておられるのを知り、香油の入った石膏の壺を持って来て、38後ろからイエスの足もとに近寄り、泣きながらその足を涙でぬらし始め、自分の髪の毛でぬぐい、イエスの足に接吻して香油を塗った。39イエスを招待したファリサイ派の人はこれを見て、「この人がもし預言者なら、自分に触れている女がだれで、どんな人か分かるはずだ。罪深い女なのに」と思った。40そこで、イエスがその人に向かって、「シモン、あなたに言いたいことがある」と言われると、シモンは、「先生、おっしゃってください」と言った。41イエスはお話しになった。「ある金貸しから、二人の人が金を借りていた。一人は五百デナリオン、もう一人は五十デナリオンである。42二人には返す金がなかったので、金貸しは両方の借金を帳消しにしてやった。二人のうち、どちらが多くその金貸しを愛するだろうか。」43シモンは、「帳消しにしてもらった額の多い方だと思います」と答えた。イエスは、「そのとおりだ」と言われた。44そして、女の方を振り向いて、シモンに言われた。「この人を見ないか。わたしがあなたの家に入ったとき、あなたは足を洗う水もくれなかったが、この人は涙でわたしの足をぬらし、髪の毛でぬぐってくれた。45あなたはわたしに接吻の挨拶もしなかったが、この人はわたしが入って来てから、わたしの足に接吻してやまなかった。46あなたは頭にオリーブ油を塗ってくれなかったが、この人は足に香油を塗ってくれた。47だから、言っておく。この人が多くの罪を赦されたことは、わたしに示した愛の大きさで分かる。赦されることの少ない者は、愛することも少ない。」48そして、イエスは女に、「あなたの罪は赦された」と言われた。49同席の人たちは、「罪まで赦すこの人は、いったい何者だろう」と考え始めた。50イエスは女に、「あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい」と言われた。

 

 何故、罪深い女はファリサイ派の家の食卓に近づくことができたのでしょうか。

 イエス当時の裕福なユダヤ人の邸宅は中庭を囲んで三方向に広間があったようです。主人と客は寝椅子に横たわって食事をするので、通りや中庭から食事をしている人に近づくことができたようです。

 何故、シモンはこの女性が罪深い女だと分かったのでしょうか。それは、シモンも彼女の客の一人だったからではないかと想像します。

 遊女になる原因はさまざまでしょうが、この女性はさまざまな事情で遊女をなりわいとせざるを得ない状況だったのかもしれません。

 彼女は自分の境遇に苦しみ、イエスがファリサイ派の人の家で食事をしていると聞くとなりふり構わず家の中に入り「泣きながらその足を涙でぬらし始め、自分の髪の毛でぬぐい、イエスの足に接吻して香油を塗った。」

 イエスはこの女性に「あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい」と言います。この女性もイエスの弟子たちに同行し、彼らの生活を支えた女性たちのひとりになったのではないでしょうか。

ルカによる福音

 〔そのとき、イエスは言われた。〕7・31「今の時代の人たちは何にたとえたらよいか。彼らは何に似ているか。32広場に座って、互いに呼びかけ、こう言っている子供たちに似ている。『笛を吹いたのに、踊ってくれなかった。葬式の歌をうたったのに、泣いてくれなかった。』33洗礼者ヨハネが来て、パンも食べずぶどう酒も飲まずにいると、あなたがたは、『あれは悪霊に取りつかれている』と言い、34人の子が来て、飲み食いすると、『見ろ、大食漢で大酒飲みだ。徴税人や罪人の仲間だ』と言う。35しかし、知恵の正しさは、それに従うすべての人によって証明される。」

 

 回心しない言い訳は、際限なくあり得ます。洗礼者ヨハネを「悪霊に取りつかれている」と言い、イエスを「大食漢で大酒飲みだ。徴税人や罪人の仲間だ」と言う人は、洗礼者ヨハネのメッセージもイエスのメッセージも拒絶します。

 「あなたたちは聞くには聞くが、決して理解せず、見るには見るが、決して認めない。この民の心は鈍り、耳は遠くなり、目は閉じてしまった。こうして、彼らは目で見ることなく、耳で聞くことなく、心で理解せず、悔い改めない。わたしは彼らをいやさない。」とイザヤの預言を使って、彼らの頑なさを咎めます。

 

 聖チプリアノ司教、聖コルネリオ司教殉教者については、女子パウロ会ホームページをごらんください。

https://www.pauline.or.jp/calendariosanti/todayssaint.php?id=091603

https://www.pauline.or.jp/calendariosanti/todayssaint.php?id=091602