マタイによる福音

 〔そのとき、イエスは弟子たちに言われた。〕13・18「だから、種を蒔く人のたとえを聞きなさい。19だれでも御国の言葉を聞いて悟らなければ、悪い者が来て、心の中に蒔かれたものを奪い取る。道端に蒔かれたものとは、こういう人である。20石だらけの所に蒔かれたものとは、御言葉を聞いて、すぐ喜んで受け入れるが、21自分には根がないので、しばらくは続いても、御言葉のために艱難や迫害が起こると、すぐにつまずいてしまう人である。22茨の中に蒔かれたものとは、御言葉を聞くが、世の思い煩いや富の誘惑が御言葉を覆いふさいで、実らない人である。23良い土地に蒔かれたものとは、御言葉を聞いて悟る人であり、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍の実を結ぶのである。」

 

 「種蒔きのたとえ」の中心は、惜しみなく種をまく人にありましたが、弟子たちの求めに応じてイエスはまかれた場所について話を進めます。

 この話は初代教会の様子を反映しているのではないでしょうか。

 AIでは次のように説明されています。

 イエスが語った壮大な「神の国の収穫のたとえ」は、初代教会において、日々の生活の誘惑や迫害に耐え忍び、信仰を守り続けるための「実践的な信仰指導のメッセージ」へと再解釈されました。したがって、聖書に記されているその説明は、当時の初代教会の内実や信徒たちの直面していたリアルな葛藤を、極めて鮮明に反映していると言えます。

 自分はどんな土地なのかと不安になりますが、たとえ不毛の土地であっても良い土地に変えてくださいとイエスに祈りたいと思います。

マタイによる福音

 〔そのとき、〕13・10弟子たちはイエスに近寄って、「なぜ、あの人たちにはたとえを用いてお話しになるのですか」と言った。11イエスはお答えになった。「あなたがたには天の国の秘密を悟ることが許されているが、あの人たちには許されていないからである。12持っている人は更に与えられて豊かになるが、持っていない人は持っているものまでも取り上げられる。13だから、彼らにはたとえを用いて話すのだ。見ても見ず、聞いても聞かず、理解できないからである。14イザヤの預言は、彼らによって実現した。『あなたたちは聞くには聞くが、決して理解せず、見るには見るが、決して認めない。15この民の心は鈍り、耳は遠くなり、目は閉じてしまった。こうして、彼らは目で見ることなく、耳で聞くことなく、心で理解せず、悔い改めない。わたしは彼らをいやさない。』16しかし、あなたがたの目は見ているから幸いだ。あなたがたの耳は聞いているから幸いだ。17はっきり言っておく。多くの預言者や正しい人たちは、あなたがたが見ているものを見たかったが、見ることができず、あなたがたが聞いているものを聞きたかったが、聞けなかったのである。」

 

 イエスは弟子たちに「しかし、あなたがたの目は見ているから幸いだ。あなたがたの耳は聞いているから幸いだ。」と言いました。

 しかし、弟子たちもまた、イエスの言葉と行いを「見ても見ず、聞いても聞かず、理解できな」かったのだとわたしは思います。

 あえて福音記者がイエスの弟子に対する言葉を記したのは、弟子たちはイエスの近くで、イエスから直接教えを受けていたにもかかわらず、イエスの言葉を理解できず、最終的にはイエスを裏切ってしまったことを残すためではなかったかと思います。

マタイによる福音

 〔そのとき、イエスは〕15・21ティルスとシドンの地方に行かれた。22すると、この地に生まれたカナンの女が出て来て、「主よ、ダビデの子よ、わたしを憐れんでください。娘が悪霊にひどく苦しめられています」と叫んだ。23しかし、イエスは何もお答えにならなかった。そこで、弟子たちが近寄って来て願った。「この女を追い払ってください。叫びながらついて来ますので。」24イエスは、「わたしは、イスラエルの家の失われた羊のところにしか遣わされていない」とお答えになった。25しかし、女は来て、イエスの前にひれ伏し、「主よ、どうかお助けください」と言った。26イエスが、「子供たちのパンを取って小犬にやってはいけない」とお答えになると、27女は言った。「主よ、ごもっともです。しかし、小犬も主人の食卓から落ちるパン屑はいただくのです。」28そこで、イエスはお答えになった。「婦人よ、あなたの信仰は立派だ。あなたの願いどおりになるように。」そのとき、娘の病気はいやされた。

 

 イエスに娘を救ってくれるよう頼んだカナンの女性の勇気と粘り強さに感服します。

 この女性の「主よ、ダビデの子よ、わたしを憐れんでください。」という言葉は、ミサのあわれみの賛歌「主よ、あわれみたまえ」(キュリエ、エレーソン)と同じ言葉です。

 わたしたちはあわれみの賛歌を歌うとき、果たして、このカナンの女性の切実さと粘り強さをもっているのかと自問します。