さる6月5日、飯塚事件の第2次再審請求が福岡地裁で棄却されました。

 

まずは、福岡県警と共に、被害者のご冥福をお祈り申し上げます。

 

飯塚事件で再審認めず 死刑執行後の元死刑囚の家族が請求 32年前に小学生の女の子2人が殺害される 福岡地裁 | NHK | 福岡県

 

2024年6月5日 20時12分

 

(※抜粋)

福岡県警「被害者の冥福を祈る」

福岡県警察本部・捜査第一課の勝木敬一次席は「裁判所の判断についてはコメントは差し控えさせていただきます。改めて、被害者のご冥福をお祈りいたします」とコメントしています。

 

地裁の決定については、弁護団をはじめ、冤罪派や死刑制度廃止派や再審法改正派が批判していますが、素人が見ても無理筋なのがわかるレベルだったので、棄却は仕方ないと思います。

 

この決定を受けて、弁護団が即時抗告しているので、まだまだこれからですが、現時点での感想などを思いつくままに書いておきます。

 

飯塚事件第2次再審 弁護側が即時抗告 福岡地裁の請求棄却に不服 | 毎日新聞
(2024/6/10 18:55)

 

色々と主張しているようですが、とにかく、弁護団は、女性が最初に警察から事情をきかれた時の捜査報告書を出してもらいたいようです。

 

しかし、ないなら出せないのは当然だし、ないことを証明すために「(検察に)警察から送付されたリスト」を出したら、他の点でまた悪用される恐れがあるのが悩ましいところです。

 

3大pedia

まずは毎度おなじみ、必読の3大pediaのリンクを貼っておきます。
これらを読まずして、飯塚事件を語ることなかれ。

 

飯塚事件 – Wikipedia

 

飯塚事件 – Yourpedia

 

飯塚事件 – Enpedia

 

決定骨子

 

次に、本日のメインである福岡地裁の決定骨子を転載します(見やすくするため、見出しに改行を入れ、一部太字化)。

 

A=被害女児の「最後の目撃者」である元農協職員の女性D山さん。
B=八木山バイパスで二人の女の子を乗せた白い軽ワゴンを見たという男性。

 

「本件再審請求を棄却する」飯塚事件・第2次再審請求 決定骨子全文 新証拠として提出の2人の証言 福岡地裁「信用できない」 弁護団は抗告へ | TBS NEWS DIG (2ページ)

 

2024年6月5日(水) 11:19

 

飯塚事件 再審請求 決定骨子

 

主文

 

本件再審請求を棄却する

 

理由の骨子

 

1 本件は、女児2人に対する略取誘拐、殺人、死体遺棄の罪により事件本人を死刑に処する旨の確定判決に対し、その妻が2度目の再審請求をした事案である。当審において、A及びBの証人尋問が実施され、弁護人は、主にこれら2名の証言が再審を開始すべき新証拠に該当すると主張するから、以下、その信用性を中心に検討する。

 

2 A証言について

確定判決は、Aの検察官調書等に基づいて、事件当日、被害者両名を最後に目撃したのはAであると認定し、犯行現場を特定している。
これに対し、Aは、当審において、被害者両名を目撃したのは事件当日では無かったのに、捜査機関に無理矢理記憶と異なる調書を作成されてしまったと述べ、各調書の内容は、目撃日時、場所、内容いずれについても自らの記憶に反する部分があると証言する。
しかし、Aの警察官調書が作成されたのは、事件発生から約10日後のことであり、客観的証拠や他の目撃者の存否を含め未だ捜査が流動的な状況にあったにもかかわらず、目撃日時、場所から内容に至るまで、捜査機関が無理にAの記憶に反する調書を作成する動機、必要性は見出せない。
また、Aの各調書は、具体性に富む一方で、他の証拠と整合しない点や、作成時期に応じて記憶の減退が反映されたと見受けられる点も含まれており、捜査機関がAの供述内容を歪めて作成したとは考えにくい内容にもなっている。
これらを踏まえると、捜査機関が、無理やりAの記憶とは異なる調書を作成したとは考えられない。
さらに、Aは、目撃日時、場所という核心部分について、弁護人作成の供述録取書からでさえ、合理的な理由なく、供述を変遷させている。
以上によれば、当審におけるA証言は信用できない。

 

3 B証言について

Bは、当審において、事件当日、女の子2名が乗った不審車両を目撃し、しかもその女の子2名は間違いなく被害者両名と同じ小学校1年生で、顔も被害者両名と似ていたと証言する。
しかし、Bは、目撃した女の子2名と被害者両名のどこが似ていたのかという質問に対しても、全体の雰囲気が似ていたと繰り返すばかりで、似ていたと判断した具体的根拠を全く示すことができていない。
また、Bは、目撃した女の子らにつき、服装などの目につきやすい特徴については記憶がないと述べ、ランドセルの色については記憶違いもしている一方、本件から26年経った今でも、車で追い越しざまに目撃した面識のない女の子2名の顔をはっきり覚えているという供述内容自体、不自然な感が否めない。
さらに、Bは、目撃時刻についても、弁護士作成の2通の供述録取書と証人尋問を通じて変遷を重ねており、年月の経過に伴い、記憶が曖昧になっていることを自認するに至っている。
加えて、Bの目撃内容自体、被害者両名の死亡時刻と抵触する上、関係各所の位置関係に照らすと、犯人の行動としても不自然である。以上によれば、B証言は信用できない。

 

4 以上のほか、当審において弁護人が提出した証拠は、いずれも無罪を言い渡すべきことが明らかな証拠とは認められない

 

よって、本件再審請求は理由がない。

 

福岡地方裁判所

 

ということで、死刑執行済であることや、死刑制度廃止・再審法改正(に利用したいという思惑)等は一旦脇に置いて、素直に読めば、要点のみの骨子だけでも納得できるくらい難がある証言なので、棄却やむなしと理解できることと思います。

 

そもそも、第一審でも元死刑囚とその妻の供述と証言の変遷(後述)により「信用できない」と判示されたことから何も学んでいない弁護団も、どうかしているとしか思えません。

 

せめて、一貫性のある証言をすることが肝要だということ位は教えておくべきなのではないかと思うのに、それもしていなかったのでしょうか。

 

教えてもうまく出来ない場合もあるにしろ、特にBさんの場合、誘導したと言われるのを避けるため、あえて放任していたにしても、傍から見ても心配になる位変わっているので、弁護団の責任も問われて然るべきかと。

 

と言っても、死亡推定時刻に合わせて変えた件は弁護士の指示によるのかもしれませんが、とにかく証人二人ともに不安要素が多すぎて、どうしたものかなあ、と。

(参考:飯塚事件 – Wikipedia 内の再審請求→第2次再審請求→Bさんは「Kの証言内容」、A=D山さんは「Dの証言内容」。)

 

ところで、Bさんは何故、見ただけで「小学一年生」ということまでわかったのでしょうか…エスパーなのかな?
(証人尋問で根拠も述べていたのかな?)

 

もともと、冤罪側が怪しんでいる森林組合職員を凌駕する超人並みの動体視力、視界の広さ、情報量の多さだったので今更驚きませんが、ここまでくると気の毒というか、現状、再審請求の難しさをよくわかっていて、かつ良識のある弁護士なら、安易に証拠として使わないし、人前にも出させないのではないかと思ったりもしました。

 

前述したように、証拠開示させるための揺さぶりとして色々とやっているのかもしれませんが、この弁護団は平気でウソをつくので、開示したらしたで延々と悪用され続けるだけでという気がしてなりません(もっと誠実にやっていたら、私もここまでしつこく批判していませんよ…💧)。

 

A(D山)さんの証言について

 

閑話休題。

 

飯塚事は冤罪なのか 4 (最後の目撃者) | ことりのさえずり

 

飯塚事は冤罪なのか 5 (最後の目撃者) | ことりのさえずり

 

に続き、決定骨子のAさん(以降、D山さんと記す)の証言について補足しておきます。

 

まずは、事件発生2日後の西日本新聞を見てみましょう。

 

1992年2月22日西日本新聞-飯塚事件1

 

1992年2月22日西日本新聞-飯塚事件2

 

画像は読みにくいので、「ドキュメント」より、現在も有効な部分を抜粋します。

 

1992年(平成4年)2月22日(土) 西日本新聞

 

(※被害女児の名前はA子・B子に変更)

ドキュメント

20日午前7時40分
近くの友達と計三人で自宅を出て、学校に向かう。A子ちゃんが「学校に行きたくない」と言い、B子ちゃんも同調したので、友達は先に行く。

 

同午前8時8分
二人の自宅から約ニ百メートル離れた所に立っている交通整理の男性が先に歩いていた1人を目撃。「今日はひとりね。どうしたの」と声をかける。

 

同午前8時半
学校から約三百メートル離れた場所で二人が歩いているのを農協職員が目撃。

 

この「ドキュメント」に出てくる「農協職員」がD山さんですね。

 

8時半に見たという情報は21日の夕刊でも報道されていたという5ch情報(※)が事実なら、20~21日の間に寄せられた目撃情報と考えてよいと思います。

 

自らの通報だったのか、警察による聞き込みの結果だったのかはわかりませんが、何れにせよ、事件翌日の21日までの記憶ということから、幾らなんでも日にちを間違えるというのは考え難いです。

 

その時の記憶と、(彼女が弁護団に連絡した時期を含めると)約25~30年後の記憶、どちらが正しいかは言うまでもないことです。

 

そもそも、被害女児の正確な足取りを追っている最中の警察が、別の日の目撃情報をわざわざ事件当日に強制変更させるメリットはないのでは?

(初期報道を見る限り、事件発生から約一か月後の三月初旬に森林組合職員の八丁峠での目撃情報が出るまで、警察が重視していたのは目撃情報が多く寄せられていた白い車だったようなので、三叉路の他の住民の紺色のボンゴの目撃情報と無理に合わせる必要もなかったのではないかと推察。)

 

そういうことから、当初は20日に見たと言っていたのに、プレッシャーに負けてなのか何なのか、または調書をとっているうちに、ある意味ゲシュタルト崩壊状態にでも陥り、途中から彼女自身が不安になって「自分の記憶は曖昧(あいまい)なので使わないでください」となった可能性も考えられます。

 

あと、別の日に二人の女児を午前8時半に見たというなら、具体的な日にちまでは無理だとしても、一週間前とか一か月前とか、とにかく大体の目安くらいは言えないものなんでしょうか。

 

(まだ調査中ですが、「別の日」説は、現地調査+当時の報道から、弁護団や支援者が導き出した結論であり、D山さん自身が最初からそう主張していたわけではない可能性も考えられるんですよね…。もしかしたら、日にではなく、女児を目撃した場所や時刻について異議を唱えていたのではないかと。)

 

(※5ch情報)

 

【BSも捏造】飯塚事件8【インチキジャーナリスト】

 

0142名無しさん@お腹いっぱい。垢版 |2024/02/24(土) 19:49:37.16ID:???

>>139
新聞で農協と出てたのは22日だけど
21の夕刊には目撃されていると出てるから当日には情報は上がってるだろう

 

それから、決定骨子に「A(※D山さん)の各調書は、具体性に富む一方で、他の証拠と整合しない点や、作成時期に応じて記憶の減退が反映されたと見受けられる点も含まれており、捜査機関がAの供述内容を歪めて作成したとは考えにくい内容にもなっている。とありますが、事実この通りだとしたら、A(D山)さんは、ある意味、昔から感受性が強いというか、想像力というか創造力が非常に豊かな人なのではないかと思われます。

 

と同時に、決定骨子の「A(※D山さん)は、目撃日時、場所という核心部分について、弁護人作成の供述録取書からでさえ、合理的な理由なく、供述を変遷させている」というのをみても、精神的に不安定な状態が続いているのではないかとも思われます。

なので、カウンセリングを受けるなどして、一度、ご自身の思考、感情、記憶の整理をなさった方がよいのではないかと思います。

 

正直なところ、私も何が何だかよくわからなくなってきましたが(泣)、以下の記事に実例(オレンジ色の部分)がありました。

 

【飯塚事件】第2次再審請求の行方②最大の争点 最後の目撃者が証言を覆す「警察に押し切られた」 元刑事「聞いていないことを書くはずがない」検察「信用できない」 福岡|日テレNEWS NNN

 

(※抜粋)

 

2024年6月2日 7:50

 

警察がまとめた女性の供述調書には、次のような記述があります。

 

■女性の供述浄(※ママ)書より

私から7~8メートル前方の三差路から、小学生、低学年の女の子が、少し小走りの感じで小学校の方向に行くのが見えたのです。それから何十秒も過ぎない頃、今度は先ほどとは違う、やはり小学生、低学年の女の子が立っているのに気づいたのです。

 

詳細に記された事件当日の状況。しかし。

 

■岩田弁護士
「それについてはOさんは一貫して『そんな話は全然ない。全く違う』と。そんな『子どもたちを1人ずつ見たという事実はない』と完全に否定していました。」

また、久間氏が逮捕されたのちの1994年10月、女性は検察から供述調書作成に応じるよう要請を受けました。

 

■手嶋一雄記者
「こちらが女性が来るように言われたレストランです。現在は営業していません。警察に押し切られるようにサインした調書を修整してもらえるならと、女性は当時住んでいた関東方面から自費でこちらに来たということです。」

 

しかし、調書はすでにできあがってサインをするだけの状態でした。そして、警察の供述調書と同様、女性が女の子たちを事件当日に見たように書かれていました。

 

弁護団と女性が初めて接触したのは、6年前の2018年3月です。德田弁護士の事務所に女性から電話があったということです。

 

■德田弁護士
「これがその電話受け簿です。その日、私は出張していたのですが、帰ってきて見て、飯塚事件で最後に女の子たちを目撃したとされる女性であることはすぐにわかりました。」

 

■電話の内容メモより
「飯塚事件で調書を取られた者です。当時、警察官(検察官)から異常な強引な聞かれ方をして、自分の記憶は曖昧(あいまい)なので使わないでくださいとも言ったのですが、もう決まっているからと調書をとられました。犯人はほかにいると思っていて、話すと何かされるのではないかと怖くて話せませんでした。」

 

■德田弁護士
(女性は)関東地方に住んでいたので、この事件がどうなったかについてはわからないままで、それで福岡に帰ってきて死刑になったということを知って、それは自分は大変なことをしてしまったのではないかという思いがずっとあったと。記者会見で『久間さんは無実だ』という話をしている弁護士の姿を見て、話さなきゃいけないと決心したと、そういう趣旨だった。」

 

当時の電話メモの写し-飯塚事件 (C)FBS福岡
当時の電話メモの写し

 

この記事内の「女性の供述調書」(警察官調書)は、さも警察が作成したかのように匂わせて紹介されていますが、警察が作成したなら、午前8時半のD山さんより前に被害女児を目撃した二人の証言内容

  • 午前8時10分ころ:道端でしゃがみこんでいる(被害女児A子ちゃんの知人・L山L郎さん)
  • 午前8時22分ころ:いかにも学校に行きたくないといった表情でとぼとぼ歩いている(被害女児A子ちゃんの知人・Z田Z子さん)

の続きということで、イキナリ「(※恐らくB山さんが)少し小走りの感じで小学校の方向に行く」などという突拍子もない余計な演出を入れるとは考え難いので、やはりD山さんが証言したのではないかと思われます。

 

とりあえず、警察が怪しいという話にもっていくために公開したのでしょうが、裁判で誘拐現場の証言として採用されたのは主に検察官調書(図面も作成している甲39)だったし、この警察官調書を否定したところで、即座に殺人・死体遺棄の否定にはならないのでは…。

 

というか、これが「誘拐並びに殺人及び死体遺棄被疑事件発生報告書(甲8、13、16、33、91)」の甲33に含まれているのか、裁判には全く出さなかった調書なのかもわからないので、そこらへんもちゃんと報道して欲しいのですが。

 

また、「犯人はほかにいると思っていて、話すと何かされるのではないかと怖くて話せませんでした」というのは、「犯人はほかにいると思っていることを、警察や検察に話したら、警察や検察に何かされる」という意味でしょうか。

 

第一審判決をみるに、D山さんの証言は調書(甲39・甲33も?)として出てくるので、裁判で証言してはいないようですが、検察官調書作成時には既に関東在住だったのなら、思い切って裁判に出て「法廷で虚偽証言をすれば偽証罪になるので、本当のことを話します。強制的に20日とされましたが、実は別の日でした。」とか何とか暴露証言をして逃げ切ってもよかったのではないかと思いましたが、捜査機関が関東にまでやってきて「何かされる」とでも思っていたのでしょうか。

 

それなら、当時から弁護士にでも相談すればよかったわけですが、やや被害妄想が加わっていなくもない感じがします。

 

ついでに、裁判前から、何故、「犯人はほかにいると思っ」ていたのか、その理由や、D山さんの真犯人像などもあれば教えて頂きたいところです。

 

D山さんの証言抜きに考えても、午前8時22分から50分の間に、平原バス停から三叉路までの通学路上(約360m位?)、もしくはその周辺で、抵抗されたり、騒がれたりすることなく、誰にも気づかれずに女児二人を誘拐でき、精液ではなく、血痕のみという特異な性的暴行の跡を残すような事情があり、潤野にも八丁峠にも土地勘があり、後部にフィルムを貼った紺色かつ後輪が小さいダブルタイヤのボンゴというか、もっと言えば、女児の衣服に付着したウエストコースト専用に開発された繊維片からして、昭和57年3月26日から昭和58年9月28日までに製造されたマツダステーションワゴンボンゴの最高グレードのウエストコーストに乗っている人物が、「ザリガニおじさん」=元死刑囚以外にいるというのは、確率的にかなり困難な話(DNA型鑑定その他についても、現実的に考えると対象者が絞られるので、確率がより高まる)ですが。

 

それはともかく、この記事には、他にも不可解な点が多々あるので、同じ話を証人尋問でもしたのなら、ろくに検証もせずに弁護団の言い分を垂れ流すだけのメディアを相手にするのとはわけが違い、再審請求審ではかなり詰められたと思います。

 

(関東から自費でレストランに、というのもFBS福岡が検察に確認した方がいいと思うのですが。細かいことを言えば、最初はレストランではなく喫茶店だったし、そんな他人の目があるところでサインさせる、というのもヘンな話だし。まあ、だからこそD山さんが下手に抵抗できないと踏んで、と言われればそれもあるけど、それにしてもなあ。)

 

なので、普段から歩くJARO案件(ウソ・大げさ・まぎらわしい)である德田・岩田両弁護士の発言は決して鵜呑みに出来ないこともあり、後日なされると思しき決定文全文の公開を待ちたいと思います。

 

ところで、「西の飯塚、東の足利」ではなく、「西の飯塚、東の松戸女児殺害」だと私が思っている、千葉(松戸)小3女児殺害事件の弁護士も、渋谷受刑者とともに、警察の証拠捏造説を展開していたわけですが、この事件の裁判報道を見るに、厳密な誘拐時刻と場所は特定されておらず、自宅周辺など通学途中(自宅から学校まで約600m)としか書かれていませんね。

 

詳細がわかれば報道されていたと思いますし、起訴内容に「略取誘拐」が入っていたのかどうかわかりませんが「殺人や強制わいせつ致死などの罪」の「など」に入っている可能性が高いし、結局、他の状況証拠と合わせて誘拐も認められたのかな?と思いました。

 

とにかく、起訴内容に「略取誘拐」が入っている飯塚事件も、死体遺棄と殺人が有罪なのは簡単には変わらないでしょうし、それなら、いわゆる永山基準もあり、被害者が二人だから死刑なのも変わらないのではないかと。

 

よって、他の証拠をつぶさず、判決で用いられたD山さんの証言を否定しただけで「誘拐場所がどこだったのかということが特定できなくなる。誘拐された時間も午前8時30分でないということになる。そうなると、三差路を通った紺色ワゴン車が事件と関係しているかどうかは、まったくわからなくなってしまう。」と德田弁護士が言うほどの効果をもたらすか否かは、微妙なところだと思います。

 

因みに、松戸女児殺害事件の裁判は裁判員裁判だったこともあり、検察側がDNA鑑定について、総力を挙げて、かつ素人にもわかりやすく信頼性を説明したそうです。

(飯塚事件でもこれくらいやらないと、素人には理解できないのかもしれません。足利と同じMCT118型ガーで釣れば騙されるのが大多数だし。←偉そうでゴメンだけど。)

 

【特集】松戸女児殺害 地裁全公判を取材 記事一覧 | 千葉日報オンライン

 

2024年4月11日 16:13 | 無料公開

 

(※該当記事抜粋)

 

初公判 渋谷被告が無罪主張「全て違います」 検察側、DNA型を根拠に

 

第2回公判 鑑識課調査官、弁護側主張を否定 車内血液で証言

 

第3回公判 鑑識作業の信頼性強調 千葉県警捜査員 DNA混入重ねて否定

 

第4回公判 鑑定作業も適切と強調 DNA型で科捜研

 

第5回公判 遺体に「2人のDNA」 鑑定で科捜研主任証言

 

第6回公判 DNA型鑑定を評価 「厳しい基準」専門家証言

 

検察側の健闘むなしく、殺害には計画性がないとして無期懲役となりましたが、かなえ先生の「(日頃から女の子の品定めをしており)長い目で見れば、計画的犯罪」という指摘も重要だと思います。

 

また、アメリカなどでもそうですが、日本の獄中における性犯罪者(受刑者内でも最下層・しかも子供に対してとなれば嫌われ度合が更に増す)の立場を考えると、無期懲役でもかなりの目に遭うと思って納得するしかないのかもしれません。

 

【千葉女児殺害事件】誰もが犯人と思わなかった保護者会長の裏の顔と衝撃の結末【Vtuber解説】 – YouTube

 

 

犯罪学教室のかなえ先生 V Criminologist – YouTube 2022/05/16

 

(※抜粋)

 

27:40 鑑識や科捜研の主張(ブチ切れ)

 

ついでに、ごみの件でもちょっと似ていますね(松戸の場合は明らかに住居侵入罪だったから違法とされたけど、違法でも証拠能力が認められた他の判例もあるしね)。

 

千葉・小3女児殺害、二審も無期 元保護者会長に判決:朝日新聞デジタル

 

阿部峻介2021年3月23日 11時20分

 

千葉県松戸市の市立小3年の女児(当時9)が2017年に殺害された事件で、殺人や強制わいせつ致死などの罪に問われた同小の元保護者会長・渋谷恭正被告(49)の控訴審判決が23日、東京高裁(平木正洋裁判長)であった。高裁は無期懲役とした一審判決を支持し、検察・弁護側の双方の控訴を退けた。

 

被告は17年3月、登校中の女児を自身の車で連れ去り、首を圧迫して窒息死させ、同県我孫子市に遺棄したとして起訴された。一審・千葉地裁の裁判員裁判は、被告の車が事件当日に遺棄現場近くの監視カメラに映り、遺体の付着物から被告のDNAが検出されたなどとして犯人と認定。ただ計画的な殺人ではなかったとして、検察の求める死刑にはしなかった。

 

控訴審では弁護人が代わり、県警が鑑定資料としてマンションごみ置き場から被告のたばこの吸い殻を無断で持ち去った点の違法性も争点になった。弁護側は「住居侵入罪にあたる」として、将来の違法捜査をなくすためDNA鑑定を証拠から排除するよう主張。高裁はごみ置き場への立ち入りには令状が必要で「捜査は違法」としたうえで、「令状主義を没却するような重大な違法ではない」として証拠能力を認めた。(阿部峻介)

 

何度も書いているように、私的には、元死刑囚の咄嗟の時の凶暴性がヤバイと思うわけですが、冤罪派は、この件にしろ、供述・証言の変遷やアリバイ工作にしろ、元死刑囚に不都合なことは全部「疑われていたから仕方がない」で済ますんだよね…。

 

それにしても、やり過ぎだし、元死刑囚の言動は、犯人として考えた方が自然なものが多すぎる、というのも他の冤罪事件と異なるので、冤罪説というか、裁判でどうなろうと無実説には安易に乗れない私です。

 

飯塚事件 – Wikipedia

 

(※抜粋)

 

事件捜査

 

1993年(平成5年)9月29日8時10分ごろ、県警捜査一課巡査長と飯塚署巡査長が久間宅のゴミ袋を拾うなどして車に乗ったところ[35]久間が「何をしているか」などと言って刃渡り15cmの刈り込みバサミでいきなり切りつけて2人の手などに全治5-10日の怪我をさせたため[35]、県警は傷害と暴力行為の疑いで久間を緊急逮捕した[35]。この件では2女児殺害での取り調べはなされず[36]、久間は罰金10万円の略式命令を受けた[24]

 

第1審・福岡地裁判決

 

陰茎から出血していた状況の合致に関して

  • 被害者の膣内や膣周辺部から犯人の血痕が検出されたが下着等には血痕が付着していなかったため、犯人の手指ではなく陰茎が出血していた可能性が高いといえるところ、久間が亀頭包皮炎に罹患しており陰部から容易に出血する症状を有していたこと[42](なお、第2審判決では、唾液が確認されていないことから口内出血の可能性も否定された[43])。
    • 久間が通院した泌尿器科の医師による、(久間が)「仮性包茎で、包皮内板……及び亀頭が炎症を起こしており、亀頭包皮炎である」[42]旨の証言より。
      • 弁護士は、久間は仮性包茎ではないとして同医師の供述等の信用性を争い[42]、勾留中に診断した別医師による「真性ならびに仮性包茎は認めなかった」[42]旨の診断書を提出したが、「亀頭包皮炎に罹患していたか否かが重要な事実であり、仮性包茎か否かはその一原因として考えられる事実に過ぎず、……亀頭包皮炎に罹患していたこと自体は……客観的な事実であるから、何れであったにせよ結論に影響しない」[42]と判示された。
    • 久間は、捜査段階で「シンボル(陰茎)の皮がやぶけてパンツ等にくっついて歩けないほど血がにじんでしまう」[42]「事件当時ごろも挿入できない状態で……セックスに対する興味もなかった」[42]と性的暴行との関連を否定していたにも拘わらず、犯人の血痕が発見された公判段階では突如完治していたという供述に変更した[42]ため、捜査段階での供述が信用できるとされた[42]
      • これに対して久間は、公判において、捜査段階での供述を否定し[42]、「(裁判に提出されている)調書はでたらめで、中身がごっそり替えられている」と主張した[42]。しかし、その主張は第33回公判で突如始めたもの[42]で、弁護士に対しても話したことがなかった[42ため、「公判供述は到底信用できない」とされた。
    • 久間の妻は、捜査段階では、事件時の久間の「性器の状態も全く分からない」と供述していた[42]が、公判では、1991年11月8日の通院から「20日ないし1か月ほどで治ったと思う」と供述し[42]、「公判供述の記憶の方が正しい」と主張した[42]。しかし、「4年以上も前の事柄について具体的な記憶が残っているのであれば、当然、捜査段階でも同じ供述ができたはずであって、……捜査段階の供述をことさらに否定する同女の公判供述の信用性は極めて低い」[42]とされた。
    • さらに久間と妻は、ある薬局でフルコートFという皮膚薬を購入した事実は全くないと一貫して主張していたが、同店の経営者と元店員が久間を強力な皮膚薬を購入する常連客として覚えていたため、久間とその妻の供述は「明らかに虚偽であるといわざるを得ない」と判示された[42]
      • これについては、県警が「遺体の一部に、皮膚病などに使用される塗り薬が付着し、久間容疑者も事件当時、薬局で同じ薬を購入していたこと」[44]をつかんでいると逮捕時に報道されていた。しかし、遺体に付着していた薬が久間が購入したものと同一かどうかまでは鑑定できなかった[44]

 

アリバイに関して

 

  • 久間のアリバイを直接に裏付ける証拠はなく、間接的な証拠となる久間自身と妻の供述が、捜査段階と公判段階で変遷しており、証拠として成立しないこと[23]
    • 当日のアリバイにつき、久間は、捜査段階で、妻を職場に送り帰宅した後に実母宅に向かったと述べていた[23]が、捜査官の再現で女児の行方不明時刻に現場を通過する結果が出たところ[23]、公判段階では、妻を送った後まっすぐ実母宅に向かったと供述を変更した[23]。また、当日の行動を思い出した経緯も、捜査段階では、3月20日に「刑事が帰った後で、あの日は何をしていたのかなあと思って思い出した。妻とは事件の話をしていないので、妻と話し合っているうちに思い出したということはない」と供述していた[23]が、公判段階では、2月25日ごろに妻が事件当日のことではないかと挙げた話を聞いて思い出した、と供述を変更した[23]。そのため、「アリバイに関する供述は……信用できない」と判示された[23]
    • 久間の妻の供述は、久間が実母宅に行った日について、捜査段階では「事件当日の前後ごろだったと思う」と曖昧な記憶であった[23]のに、公判段階では事件当日であると特定するようになっており[23]「たやすく信用できない」と判示された[23]
    • なお公判では、46歳女性が久間からアリバイ工作を依頼されたと証言した[45][46][47]。彼女によると、事件後の1993年3月にタケノコ掘りで久間の妻と知り合い、その後久間宅に誘われて酒を振る舞われ(久間とはその際に初めて会った)、その翌日に再度久間宅を訪ねた際[45]、久間から「もし裁判になったら、事件当日の朝は約2時間、一緒に酒を飲んでいたと証言してほしい」と頼まれ、謝礼と口止め料の名目で3万円を渡されたという[46][47][注釈 3]。この女性は、久間の逮捕後に偽証の約束をしたことが怖くなって警察に話した、と述べた[46]

 

ついでに、以下は1988年の福岡県飯塚市7歳女児行方不明事件の女児の遺骨を、元死刑囚の庭で警察が捜索したときの話ですが、元死刑囚の妻はこの事件についても何ら疑っていないのでしょうか。

 

「おとなしかったです。素直に応じましたよ」福岡県甘木市の山中で二人の女児の遺体が発見…「飯塚事件」容疑者逮捕の瞬間(木寺 一孝) | +αオンライン | 講談社(2/4)

 

2024.04.11

 

久間三千年の妻

 

裏の庭を全部掘り起こされてですね。なんでか分からないけど掘り起こされて、あとがきれいになっていないんです。そこ水が溜まるんですね。掘り起こされているのが、テレビでも映像流れたりしたんですけれども。なんのために掘り起こしたのかなと思ってですね。

 

死刑執行について

死刑執行についても、早すぎるとして騒がれていますが、それもデマなので、WikipediaとEnpediaから参考箇所を転載させて頂きます。

 

飯塚事件 – Wikipedia

 

死刑執行

 

死刑確定者(死刑囚)となった久間は2008年(平成20年)10月28日、福岡拘置所で死刑を執行された(70歳没)[注釈 1][11]。死刑執行を指揮した法務大臣は森英介で、死刑確定から執行までの期間は2年だった[55]。死刑執行の際、久間は手順に従って氏名を確認しようとする刑務官に対し「そんなこと、おまえが分かっとるだろ」と怒りを露わにし、遺書のために用意された紙とペンも受け取らず、最期まで「私はやってない」と怒鳴っていたという[56]。

 

同日の死刑執行は、保岡興治前法務大臣の下でなされた前回の死刑執行(9月11日)から1か月半後(47日[57])の執行であり、1993年に死刑執行が再開されて以降では最も間隔の短い執行だった[58]。当時は前年(2007年)8月に就任した鳩山邦夫元法務大臣が「自動執行」の方向性を打ち出して以降、約2か月おきに死刑執行が行われており、死刑確定から執行までの期間や、執行のペースがそれまでと比べて短い傾向にあった[注釈 4][58]。

 

飯塚事件 – Enpedia

 

死刑のスピード執行という大ウソ

 

  • ナレーション「ここ数年の平均では死刑確定から6年 久間さんは2年でスピード執行」

 

この番組に限ったことではなく、あらゆるメディアがこの点を強調する。これに加えて、別番組は、弁護士によるインタビューで、執行1か月前の接見で久間が死刑確定判決と執行日を一覧にしている表を見ながら「まだしばらくありますね」と話した旨のエピソードを流し[4]、まだ大丈夫と思われる時期に不当に早いスピード執行をされたかのように印象付けている。しかし、スピード執行というのは完全に捏造である。なぜなら、この頃は2年頃で執行は普通だったのであり、しかもこの番組の放送のときはまさにその傾向が続いていたからである

 

それではなぜこの頃は2年程度で執行されていたかというと、理由は簡単である。つまり、2006年12月からの死刑執行増加で、死刑確定から長くなりつつあった死刑囚が多数執行されたため、残った死刑囚の死刑確定から執行までの期間が短くなったというだけである。数字を出すと、

 

執行年月日 人数 各確定後期間 本当にまだ大丈夫だと思っていたのなら、こういうことになる
06.12.25 4人 19年5月、13年3月、7年6月、6年10月 全員6年以上で、本件はまだ0年3月だから大丈夫
07.04.25 3人 14年7月、7年1月、6年7月 全員6年以上で、本件はまだ0年7月だから大丈夫
07.08.23 3人 6年8月、6年7月、6年6月 全員6年以上で、本件はまだ0年11月だから大丈夫
07.12.07 3人 11年9月、4年11月、3年6月 3年代がいるが、本件はまだ1年2月だから大丈夫
08.02.01 3人 10年10月、3年6月3年4月 3年代が2人いるが、本件はまだ1年4月だから大丈夫
08.04.10 4人 11年3月、3年7月3年6月3年1月 3年代が3人いるが、本件はまだ1年7月だから大丈夫

 

↑このように、死刑執行の増加で確定から長い囚がかなり執行され、当時は再審請求中の者は執行しない慣行だった[5]ため、確定から3年台の者も2007年12月から執行され始めたもののすぐに底をつき始め、結果として、以下のように2008年6月以降は確定から2年台の者が執行され始めたのである。どう考えても、そろそろ久間の順番ということに気付いたはずである。

 

被執行者 年齢 執行年月日 犯行後期間 確定後期間 本当にまだ大丈夫だと思っていたのなら、こういうことになる
陸田 真志 37 08.06.17 12年05月 02年08月 2年代が2人で1人は同種犯罪の宮崎だが、本件はまだ1年9月だから大丈夫
宮崎  勤 45   02年05月
山崎 義雄 73 18年02月 03年04月
平野  勇 61 08.09.11 13年08月 02年00月 2年代が2人で1人は2年0月だが、本件はまだ2年0月だから大丈夫
山本 峰照 68 04年01月 02年05月
萬谷 義幸 68 20年07月 06年09月
高塩 正裕 55 08.10.28 04年07月 01年10月  
久間三千年 70 16年08月 異例のスピード執行だ!
西本正二郎 32 09.01.29 04年04月 02年00月  
佐藤 哲也 39 08年09月 02年07月  
川村 幸也 44 08年09月 02年07月  
牧野  正 58 18年10月 15年02月 [注 4]
山地悠紀夫 25 09.07.28 03年08月 02年01月  
前上  博 40 04年01月 02年00月  
陳  徳通 41 10年02月 03年01月  
ザ・スクープSP 09.08.09放送
民主党政権   09.09.16~ 死刑執行が激減

 

ここからも分かるように、久間の執行というのはむしろ当時の慣行に則っただけで執行順としてはきわめて通常であり、そこに何の作為も見られないのである

 

属性を見ても、久間は再審請求をしておらず(再審請求をしていなかったため、メディアは「再審請求準備中」というカテゴリーを創作して、再審請求準備中だったのに死刑執行されたなどと報道し、そして放送をそこまで注意深く見ていない視聴者は、「再審請求中なのに執行された」と勘違いするが、実際は単に再審請求をしていないということである。死刑囚の7割超が再審請求中とされる中[6]、死刑確定後2年経っても再審請求していないのである)、比較的高齢で、犯行から16年以上経っているのであるから、死刑執行の対象になるのは普通である。しかも、女児に性的暴行を加えて殺害した犯人で2008年時点で生き残っていた死刑囚は、宮崎勤と久間の2人だけだったのだから、その宮崎が2008年6月に執行された以上、次は久間という流れになるのは当然である

 

文字数制限のため、次項「飯塚事件は冤罪なのか7(第2次再審請求棄却)」に続きます。