日本共産党の不破哲三さんが亡くなったという知らせを聞き、懐かしさと同時に、胸の奥が少しだけ締めつけられるような感覚に包まれました。
ニュースとしての訃報というより、「自分の若かりし頃の一部が静かに遠ざかっていく」という、そんな気持ちに近いものです。
1979年、まだ“甘えた学生”だった頃
1979年の総選挙。
あのとき、日本共産党がぐっと議席を伸ばした瞬間の喜びは、今でもはっきり覚えています。
ただ、それを喜んでいた私は、決して社会の底辺で苦しんでいた若者ではありませんでした。
親の仕送りで学業に専念し、生活に困ることもなく、言ってしまえば **「守られた、甘えた学生」**でした。
社会の厳しさを本気で肌で感じていたわけでもなく、思想を血肉化するほどの苦悩を背負っていたわけでもない。
それでも――
共産党の議席増に心から拍手し、胸が熱くなっていた自分がいたのです。
矛盾を抱えたまま、心だけは共産党の側に
今思えば、そこには明らかな矛盾がありました。
裕福で、守られた側に身を置きながら、社会の不平等や理不尽を声高に非難する政党に共感していたのですから。
たぶん私にとって共産党は、「社会を根本から変える革命勢力」というより、
**「当時の自民党政治の腐敗や歪みに対して、まっすぐ怒ってくれる存在」**でした。
金権政治への嫌悪。
既存政治への倦怠感。
それに対して、理屈を持って正面から批判してくれる政党。
それが日本共産党であり、その象徴の一人が不破哲三さんでした。
不破哲三という、静かな存在感
不破さんは、私にとって不思議な安心感をくれる政治家でした。
声を荒げるわけでも、大衆を煽るわけでもない。
淡々と、しかし揺るぎなく理論を語る姿は、当時の政治の世界の中でひときわ落ち着きと誠実さを感じさせるものでした。
冷戦の緊張が社会の空気を固くしていた時代。
世界が激しく動き、価値観が揺れ、政治がときに騒然とする中で、不破さんの存在は、一本の静かな支柱のように見えていました。
あのときの矛盾ごと、今の自分を支えている
いま振り返ってみると、
「裕福な学生のくせに共産党支持とは滑稽だ」と笑われるかもしれません。
でも、その矛盾を含んだままの若さや戸惑い、その時代に抱いた期待や違和感は、
今の自分を形づくっている大切な記憶でもあります。
社会の理不尽に対して、
“知らないふりをしないでいたかった自分”。
守られた環境にいながらも、どこかで誠実でありたいと願っていた自分。
あの頃の気持ちを、不破哲三さんの訃報が静かに思い出させてくれました。
一つの時代の幕が、静かに下りた気がする
不破哲三さんの死は、一人の政治家の生涯の終わりであると同時に、
私自身の人生のワンシーンにそっと幕を引く出来事でもありました。
不破さん、長い時代を背負い続けた人生、本当にお疲れさまでした。
そして、あの時代に少しだけ勇気や希望のようなものをくれたことに、静かに感謝を送りたいと思います。
不破さんは私の母とは同い年で、前任の宮本顕治書記局長とは同じ学校に通った関係だったのも面白い縁でした。