サンローランのミューズ、ルル・ドゥ・ラ・ファレーズLoulou de la Falaise | Time Tested Beauty Tips * Audrey Hepburn Forever *

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麗しい、美しい、 愛しいものを......
オードリーをはじめとするハリウッドセレブからダイアナ妃やグレース・ケリーなどの各国 王室・王族も。

イヴ・サンローラン(Yves Saint Laurent)のミューズであり、ジュエリーデザイナーとしても活躍したルル・ドゥ・ラ・ファレーズ(Loulou de la Falaise)。

 

自由な精神を持つ「上流社会のボヘミアン」と称されました。

1948年5月4日生まれ2011年11月5日、63才で死去。

1966-70結婚

 

ルルの本名はルイーズ・ヴァヴァ・ルチア・アンリエット・ドゥ・ラ・ファレーズ(Louise Vava Lucia Henriette de la Falaise)。

フランスで最も高貴な家柄のひとつである貴族出身の父アラン・ド・ラ・ファレーズ伯爵(Alain de la Falaise)、とパリでエルザ・スキャパレリ(Elsa Schiaparelli)のモデルをしていた英国出身のマキシム・バーリーとの間に誕生し、母親の血を譲り受け、奔放で風変わりな様子の美しい顔立ちをしていたそう。

ロンドンやニューヨークで育ちましたが、早い結婚離婚の後、母親の友人であったサンチェス宅に身を寄せていたとか。そこでイヴサンローランと公私とものパートナーであったピエール・ベルジェ、親友のベティ・カトルー3人が訪れたフェルナンド・サンチェス宅で出会ったそう。

21歳で妖精のような容姿と、アンティークのドレスに民族調の宝飾品や長いフリンジ使いのショールに身を包んだルルに「私たちはみんなたちまち彼女に恋しちゃったのよ」「彼女はすごくきれいで、すごく面白い子だった。で、私たちの小さな家族の一員になったのよ」とインタビューで語っています。

 

 

 

 

Loulou de la Falaise in "Antonio's Guide to Paris," 1975. Photographed by Antonio Lopez with an Instamatic.

 

Loulou de la Falaise, Yves Saint Laurent, and Betty Catroux at a party, 1978.

 

1度目の結婚はアイルランドの貴族で作家

Loulou de la Falaise in 1966

Loulou de la Falaise in 1966 at her wedding to first husband Desmond FitzGerald, the Knight of Glin.

 

 


ルルは生涯で二度結婚し、ひとりの娘を出産。

ウエディングスタイル

Loulou and Thadée Klossowski were married in the Wedding of the Decade, given by Yves, in 1977.

Loulou and Thadée in 1978, one year into their 34-year marriage. “I am not a gold digger or anything like that, but I usually do manage to get a castle,” Loulou says in LOULOU & YVES. “My two husbands both [had] fabulous ones.”


彼女の夫タデウス・クロソウスキー・ド・ローラは「僕はルルに完璧に恋をしてしまったんだ」「でも、僕たちの周りの人々は誰もがルルに恋をした。彼女は優雅そのものだったんだ」

 

 

クロソウスキーローラ伯爵一家は ポーランド貴族出身。

フランスの小説家、画家、思想家ピエール・クロソウスキー、そしてその弟で20世紀最後の巨匠といわれた画家のバルデュス・クロソウスキー・ド・ローラがおり、

ピエールの一人目の妻アントワネット・・ワットヴィルとの息子に

スタニスラス・クロソウスキー・ド・ローラStanislas Klossowski de Rola (1942生まれ)

タデウス・クロソウスキー・ド・ローラ Thadée (1946)

ピエールの2人目の妻 節子との娘が

・ ハルミ・クロソフスカ・ド・ローラ

彼女の宝物のひとつである珊瑚とシルバーのカフスは、イヴ・サンローランのミューズであり、もうひとりの異母兄タデの妻だったルル・ドゥ・ラ・ファレーズから12歳のときにもらったものだそう。

 

 

 

 

Loulou de la Falaise with Marina Schiano in front of the Yves Saint Laurent Couture House in Paris, 1969. Photographed by Hure Jean Luce.

 

Loulou de la Falaise in Vogue, 1970. Photographed by Bert Stern.

 

 

 

 

 

こうしてファッションライターやモデル、デザイナーとして活動していたルルは、1968年にサンローランと運命的な出会いを果たしサンローランは、ルルの洞察力やデザイナーとしての才能を高く評価し、ブランドのメンバーとして招き入れられました。

 

ルルは、鮮やかなストーンや、大ぶりのエナメルの花、コントラストのあるカラーを好みインタビューで、「ストレスフルな私たちの日常生活において、ジュエリーは重要な役割を持っています。ディナー前に服を着替える時間が無いとしても、ジャケットを脱いでジュエリーを着けるだけでいいのです」と語りました。
 

ルルはさらに社交界とのつながりで理想的な外交官の役割を果たしていたそうで、アンディ・ウォーホールのつながりからマンハッタンの若い社交グループ、母親のマキシムからは、ダイアナ・ヴリーランド周辺のファッショナブルな芸術家。

ロンドンの人気ナイトクラブ「アナベルズ」のオーナーは実の弟という具合、パリでもソーシャライツの集うクラブ「ル・パラス」の社交シーンの中心で、モデルにも絶大な人気があったとか。

 

 

 

サンローランが娘の後見人に。天才サンローランは最後の最後まで、さまざまなノイローゼの症状に悩まされていて彼の生涯のミューズだったド・ラ・ファレーズはサンローランの症状を沈めることができる数少ない一人だったそう。

それゆえに彼らの関係は非常に複雑で、密接で2018年クリストファー・ペトカナス著の新しい研究書、『Loulou & Yves/ ルル&イブ』(St. Martinsプレス出版) の中心的な題材になっています。

「ルル・ド・ラ・ファレーズとメゾン・サンローランの知られざる話」と宣伝されているこの本は、アンディ・ウォーホル、カール・ラガーフェルド、・ダイアナ・ヴリーランドの発言を含む200名以上の人々のコメントを通じて、ド・ラ・ファレーズの人生をまとめている一冊でサンローランが「コレクションの準備をしているときに、ルルが僕の横にいること、それが大切なんだ。僕の隣に彼女が存在していることが夢なんだ」。「彼女の行儀良さと率直さのおかげか。彼女の仕事が何なのか、僕には説明出来ない。でも、ルルがいると僕の仕事の進め方に影響する。気分も軽くなり、不安が少なくなるんだ。」。

母親のマキシームは娘のルルは汚い絨毯をまったく新しいスタイルに変えることができる天才だと称していました。「安全ピンが一つあれば、彼女はベストドレッサーになれるのよ。ルルはとても積極的だったからイヴに自信を与えていたのね」。「ルルはネガティブなことは一切言わなかった。“このスケッチは嫌い”と言うことは一切無かったわね。その代わり彼女はこう表現するのよ。“こっちの方があれより好きだわ”とね」

 

ルルと娘

サンローランが2002年に引退した後は、自身のブランド「ルル・ドゥ・ラ・ファレーズ」を立ち上げ、服とジュエリーを展開。

 

弟アレクシス・ド・ラ・ファレーズの娘はルーシー・ド・ラ・ファレーズ。

 

ルルの母Maxime de la Falaise、ルル、そして姪のルーシー

 

 

ルーシー・ドゥ・ラ・ファレーズとマーロン・リチャーズ(ローリングストーンのギタリスト、キース・リチャーズとモデルとアニタ・パレンバーグとの間に産まれた息子)の娘娘エラ・リチャーズもモデルに。

 

 

 

 

 

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