シャーロットランプリング  BBC『ヘンリー八世の六人の王妃』(1972年) | Time Tested Beauty Tips * Audrey Hepburn Forever *

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Charlotte Rampling as Anne Boleyn in Henry VIII & His Six Wives (1972)

 

アン・ブーリン(英語: Anne Boleyn,1501年頃 - 1536年5月19日)

イングランド王ヘンリー8世の2番目の王妃(1533年結婚、1536年離婚)、エリザベス1世の生母

約1000日の王妃。自分の頭文字「B」をデザインした宝石をあしらったチョーカーをしており、アンは体の何カ所かに大きなホクロがあったが喉にあるホクロだった。これを隠すために、首に宝石つきのリボンを巻いたといわれるそうです。

 

 

アンの曾祖父ジェフリーはノーフォークの農家出身で、絹織物工見習いとして上京した後、財産を成してロンドン市長にまで上り詰めた。ブーリン家は、わずか4代前まで平民(地方農民)の家系でしたが、その息子ウィリアムはリチャード3世よりサーの称号を授かりました。

父は駐仏大使、のちウィルトシャー及びオーモンド伯爵となったトマス・ブーリンはサリー伯爵(ノーフォーク公爵の相続人が名乗るタイトル)の娘エリザベス(ヘンリー8世の元愛人だったという説がある)と結婚し、1男2女が生まれた。その一人がアン。「黒髪、色黒、小柄、やせ形」と当時美女とはされない容姿だったのに対し、姉のメアリーの方は「金髪、色白、豊満」という当時の典型的な美女だったとか。

 

 

 

メアリー

 

バランスの取れたふっくらした顔、青い瞳、明るいブロンド。アンとは異なるその美貌をヘンリー8世に見初められて愛人となる。1520年にイングランド貴族サー・ウィリアム・キャリー(Sir William Carey)の妻となっていたため、妃候補にはならなかったそう。花嫁のメアリー12歳。新郎キャリーは24歳という政略結婚でウィリアム・キャリーは、高位の貴族ではなかったものの、英国王ヘンリー8世の遠縁であり、側近でした。2人の子供が生まれています。

キャサリン・キャリー、1525年、「ヘンリー」という、ヘンリー8世によく似た男の子を出産

 

 

 

キャサリン・キャリー

 

 

長女キャサリン・キャリーはエリザベス1世のいとこ、ヘンリー8世の第4王妃クレーフェのアン、親類の第5王妃キャサリン・ハワードに侍女として仕え、やがてノウルズ卿に嫁ぎ、祖母の美貌を受け継いだ美女レティス・ノリスが誕生。

 

レティスは3回結婚

 

①ウォルター・デヴァルー (初代エセックス伯)と結婚、4人の子を設けます。名門エセックス伯家からレティスの孫娘フランシスが大名門サマーセット公家に嫁いだことから、エリザベス1世の寵臣エセックス伯ロバート・デヴァルーの他、ウィンストン・チャーチル、小説家P・G・ウッドハウス、エリザベス王太后、ダイアナ妃、セーラ妃、チャールズ・ダーウィンなど多くの有名人が含まれます。

2度目の結婚はウィリアム・スタッフォード(William Stafford)という国王付き兵士だった平民で、恋愛結婚。独身のメアリーを政略結婚させるつもりであったブーリン一族は怒り、王妃になっていたアンはメアリーを宮中から追い出しましたが、彼女は貧しいながらも慎ましく、愛を全うし血筋を残しました。

 

・長女ドロシー・デヴァルー(1561-1619) : 第9代ノーサンバーランド伯ヘンリー・パーシーと結婚

・次女ペネロープ・デヴァルー (1561-1607) : 初代ウォリック伯ロバート・リッチ、ついで初代デヴォンシャー伯チャールズ・ブラント結婚

・長男ロバート・デヴァルー(1566-1601) : 第2代エセックス伯爵、女王エリザベス1世の寵臣。母の再婚相手(継父)である初代レスター伯ロバート・ダドリーの後援で宮廷デビューした。美男子な容姿を生かしてエリザベス女王の目に留まる。

・次男ウォルター・デヴァルー (1570-1591) : フランスで戦死

 

②ロバート・ダドリー (初代レスター伯)

エリザベス女王と愛人関係にあったロバート・ダドリーは1578年レティスと再婚。

唯一の嫡出男子を儲けたが、夭折している。レティスの前夫の子である第2代エセックス伯爵ロバート・デヴァルーの実の父はレスター伯であるともいわれるが、定かではありません。エリザベス女王はこの再婚に幾度も不機嫌を示し、彼の妻であるレティス(母方の従姉の娘)を生涯憎んだそうです。

 

・デンビー男爵ロバート・ダドリー

 

③英国のシークレットエージェントChristopher Blountと結婚。

 

 

 

 

 

 

母方の従妹であるキャサリン・ハワード

のちにヘンリー8世の5番目の王妃となり、ヘンリーは年の離れたキャサリンを「私の薔薇」「私の棘のない薔薇」と呼んで可愛がった。しかしアン同様に姦通罪の疑いをかけられて処刑された。『ヘンリー八世の六人の王妃』をかいたアントニア・フレーザーの『ヘンリー八世の六人の王妃』によると、キャサリン・ハワードとはっきりわかっている肖像画はないけれど、デイヴィッド・スターキーがキャサリン・ハワードと確認したもので、根拠はヘンリー8世の他の王妃も身に着けていたネックレスだとか。

 

 

アン・ブーリンとメアリー・ブーリンの母エリザベス・ハワードも娘のアンたちと同様にヘンリー8世の愛人だったといわれ、キャサリンの王妃戴冠に強硬に反対した過去があります。名家の令嬢として幼いうちに宮廷に上がり、おそらく1498年頃に野心家の若い廷臣トマス・ブーリンの妻となりました。トマスは36もの領地を持つ伯爵家の相続人であるエリザベスと結婚し領地を増やしました。結婚して母親となってからも宮廷で暮らし、2人の王妃、エリザベス・オブ・ヨークおよびキャサリン・オブ・アラゴンに女官として仕えた。