【英国王室】フィリップ殿下 叔父ルイス・マウントバッテンの野望に翻弄され「女王の夫」に | Time Tested Beauty Tips * Audrey Hepburn Forever *

Time Tested Beauty Tips * Audrey Hepburn Forever *

私の大好きな 美しいもの、綺麗なもの、かわいいもの。 そして 美しい人、綺麗な人、可愛い人をご紹介したいです。
麗しい、美しい、 愛しいものを......
オードリーをはじめとするハリウッドセレブからダイアナ妃やグレース・ケリーなどの各国 王室・王族も。

2015年制作「英国王室 フィリップ殿下 ~女王の夫への道~(原題:Prince Philip: The Plot to Make A King)」で焦点を当てられたフィリップ殿下と叔父ルイス・マウントバッテンの関係から。

フィリップ殿下 叔父ルイス・マウントバッテン

ギリシャ王子として生まれ、イギリス海軍の士官として3rdカズンのエリザベスと出会い、恋に落ちて結婚、というロイヤル・ウェディングの神話の裏に、マウントバッテン卿というフィリップ殿下の伯父の存在が語られます(エリザベス女王の叔父でもありますが)。失言の裏には苦労が多く、家と血筋・英国王室に翻弄されたフィリップ殿下の人生。

フィリップ殿下


【外部リンク・動画】→Part1【Channel 4 - Prince Philip The Plot to Make a King - part one 30-7-15 】・【Part2


フィリップ殿下

(2016年7月23日Prince Philip attends the Royal Salute Coronation Cup at Guards Polo Club )


ギリシャ及びデンマーク王子として生まれ、1歳で死刑を宣告され父の従妹である英国王の船で亡命しますが、ローマ教皇らに助けを求めてもだめで最後にやっと手を伸ばしてくれたのが英国王だったそうですが、ギリシャ王族の皆がロンドンに来ることは王族の過多になることや安全の配慮などから認められませんでした。

イタリア、スペインをさまよいやっとパリに腰を下ろしますが、幼いフィリップは家庭の不和と姉の結婚で王子として生まれたにもかかわらず孤児のように9歳で家族と完全に引き離され祖母英国王女ヴィクトリアとその息子ルイス・マウントバッテンらに養育されることになります。寄宿学校に入れられ誰が養育をするかという問題とフィリップの家の問題は解消。しかし休みの度に軍人となっても「変える場所(家)がない」問題は付きまといます。


フィリップ殿下

叔父のルイス・マウントバッテンがデンマークおよびギリシャ王子フィリッポス(のちの英国フィリップ殿下)の写真を撮ったそうです。このとき実は殿下は王位継承権3位だったとか。

Lord Mountbatten had taken the young prince (pictured) - who was then third in line to the Greek throne - under his wing after the breakdown of his parents' marriage


 

Prince Philip
母アリスと


The family of Prince and Princess Andrew of Greece and Denmark, from left


フィリップ王子 ギリシャ

Prince Philip
姉ソフィア16歳の結婚式、ちょこんと前に座って言るのがフィリップ殿下。

ここに写っている人で生きているのは殿下だけだそう。(←親類のお話)



母方の叔父マウントバッテン卿は「甥を未来の英国女王と結婚させたい」という野心があり、当時18歳のフィリップを13歳のエリザベス王女と引き合わせます長身のハンサムな王子は思惑通り、エリザベスの心を一瞬にして虜に。ルイスは子供時代にさげすまされた父方の血のトラウマのためか“王室を支配する”という野望に燃えていたという視点で描かれ、それに対してフィリップは、伯父の頻繁な“忠告”にストップをかけ、ひたすら“女王の夫”であることに勤めた、と描かれます。


軍人になったフィリップ王子は友人に "My Uncle Dickie has idea for me; he thinks I could marry Princess Elizabeth.(私の叔父ディッキーにはわたしがエリザベス王女と結婚できるというアイデアがあるらしい)"と語り、友人は恐れながら"Are you really fond of her(彼女を本当に好きなのかい?)と質問すると、フィリップ王子は"Oh, yes, very. I write to her evry week.(ええ、とても。わたしは毎週彼女に手紙を書いているよ)"と突然の王子の告白があまりに衝撃だったため、友人はすぐにこのときのことを書き留めたそう。

 



結婚前、サンドウィッチを食す殿下
フィリップ殿下


フィリップ殿下のいとこにあたるルイス・マウントバッテンの娘の結婚式で教会に入る前にコートをエリザベス王女から預かったフィリップ王子、そして王女と王子が見つめあう姿が撮られます。


 

1947年にはフィリップが英国に帰化し母方の苗字を名乗り(元々王族なのでギリシャ王家由来の苗字は英国王室に入る自分に不都合)、王位継承権と爵位を捨て、婚約発表結婚に至ります。しかし、フィリップがギリシャやデンマークの王家出身の外国人であり、縁を切った4人の姉が全員ドイツ人と結婚していること(しかも内2人はナチ党員だった)などから周囲の視線は冷たく、彼は王室の中で孤立無援状態でそれはジョージ6世、メアリー王妃、ルイス・マウントバッテン、クイーン・マザーが亡くなるまで長く続きます。


エリザベス王女との結婚式の日をマウントバッテン家で迎えたフィリップ殿下は、朝食の際いとこのパトリシアに
「私は勇敢なのか愚かなのかわからない」と語り、パトリシアは「貴方は勇敢だわ」と返したそうです。

殿下は結婚後も海軍で研鑽を積み昇進していたので上り詰めることが夢だったそうですが、1952年エリザベス王女が女王に即位すると共に退役せざるを得なくなります。



結婚前の撮影

フィリップ殿下



結婚式のハネムーンをマルタに行く前叔父の別宅で過ごした夫妻

フィリップ殿下

 

 August 1947-Prince Philip at the Petty Officers Training Centre at Corsham Wiltsフィリップ殿下 


国王の死後ハンプシャーでディナーパーティーを開いたルイス・マウントバッテンが宴の席で「これからはマウントバッテン家が英国王室を支配する!」と言ってしまい、翌朝には女王の祖母クイーン・メアリーの耳に入ることになります。脅威を感じたメアリー王妃はチャーチルにコンタクトを取り、若きエリザベス女王は政治的、王室の重要執務など夫に権限を与えないようプレッシャーを与えられます。そして英国王室が「一族の姓はこれからも変わらずウィンザーである」と公式発表。

メアリー王妃、首相らが女王や王室に影響を与えたその発表にフィリップ殿下は屈辱を味わい、永遠に子供に自分の苗字を名乗らせることができないと宣言されたことにプライベートの場で怒りを表したそうです。



フィリップ殿下 叔父ルイス・マウントバッテン

また1952年2月、女王の即位に当たってもフィリップは、ヴィクトリア女王の夫アルバートには与えられた共同統治者としての地位を示すPrince Consort,ましてやKing Consortの称号が与えられず、従って機密書類閲覧権もないPrince Consortの称号を得られなかったことは、フィリップに屈折した心理を生み出したともいわれています。1957年にエリザベス2世からPrince of the United Kingdomの称号を与えられ以降は、His Royal Highness The Prince Philip, Duke of Edinburgh(エディンバラ公フィリップ王配殿下が正式な呼称となりました。



フィリップ殿下

フィリップ殿下

1960年にバッキンガム宮殿に移るとフィリップ殿下は王室の重要なことから距離を取らされました。(王配、王の配偶者であるが国王・王妃のように同等ではない)

しかし1960年にエリザベス2世女王は、夫君エディンバラ公爵フィリップ王配との間に生まれる子の姓をマウントバッテン=ウィンザーとする枢密院令を出し、生まれた際「ウィンザー」であったチャールズ皇太子とアン王女らの名も変わります。

 それから十数年。はじめて公式の場でマウントバッテン=ウィンザーの名前が出ることになります。アン王女の結婚式の際、政府に出す署名を「アン・エリザベス・アリス・ルイーズ・マウントバッテン=ウィンザー 23歳」と署名したのです。マウントバッテン卿はこれを喜び、公務でも「MW」のネクタイをつけます。「MW」のロゴをつけたカーペットも作らせました。



フィリップ殿下と叔父ルイス・マウントバッテン

フィリップ殿下と叔父ルイス・マウントバッテン  

1978年ルイスはテロで殺害されます。それから2016年現在までフィリップ殿下は変わらず良き夫として常にエリザベス女王の2歩後ろを歩き、(女王が緊張されるとフィリップ殿下が前に出て冗談を言われ)共同君主・共同統治者、キングと名乗れずとも「女王の夫」として最高の地位を得たのです。



~「英国王室 フィリップ殿下 ~女王の夫への道~(原題:Prince Philip: The Plot to Make A King)」ストーリーはここまで~


 The family of Prince and Princess Andrew of Gree


 


息子のチャールズはのちに生前マウントバッテン卿が可愛がっていたスペンサー伯爵令嬢ダイアナと1981年7月29日に結婚することになります。(当時マスコミが皇太子妃最有力候補として注目していたのは、皇太子の大叔父にあたるマウントバッテン卿の孫娘アマンダ・ナッチブル嬢でした。ダイアナの慰めの言葉に感動し、彼女と結婚することについてカミラの意見を聞くと、カミラは推奨)

ハネムーンから帰国すると3か月間バルモラル城で女王に合わせたスケジュールで一緒に新婚同居生活。1982年5月からケンジントン宮殿でチャールズ皇太子とダイアナはふたりで暮らせるうようになるも皇太子には膨大な公務があり、公務以外にも最低週一回はコーンウォール公領の統治業務にあたる必要があり、ふたりは私的に一緒にいられる時間はほぼありませんでした。

1982年6月21日ウィリアム王子の出産後、ダイアナの希望もあり皇太子は秘書官たちの反対を押し切って公務への出席を減らし共に王子を育てることに専念。1984年9月15日ヘンリー王子が誕生し、皇太子は公務をさらに減らし次男を可愛がりましたが、皇太子の父であるエディンバラ公フィリップ殿下は、「皇太子が家族にかまけて公務をないがしろにしている」と批判し、抗議の意味を込めてエディンバラ公は生誕から5カ月に渡ってヘンリーの顔を見ようとしませんでした。(父とダイアナの板挟みになった皇太子はコーンウォール公領の農場に引きこもって領主の仕事に逃げました)



Prince Philip in Norfolk Jacket in 1952
Prince Philip, Princess Anne, the Queen

Prince Philip, Princess Anne, the Queen and Prince Charles, 1959

フィリップ殿下 


Prince Philip and the Queen at Balmoral to celebrate their silver wedding anniversary, 1972
フィリップ殿下 


Prince Philip, Prince Edward, the Queen and Prince Andrew, 1972
フィリップ殿下 

殿下は現在も若い王室メンバーよりもはるかに公務(royal duties)に時間をかけています→



現代の考え方にはそぐ合わない部分もあるのかもしれませんが、皆様にコメントでいただいた通り、フィリップ殿下は不遇で孤独な生活から救い上げてくれた女王の愛情に感謝し、その女王への愛情と感謝を献身で返しているのでしょう。


言葉が辛辣になるときもありますが、外から入ってきた人間として育ての親である叔父と王室の狭間で誰よりも辛抱しながら女王を立てられる姿勢を貫き、そして女王が21歳で宣言した「私の命のすべてを、長かろうと短かろうと、みなさまと国家への奉仕に捧げます」というの公務への思い、ロイヤルとして“Duty first, self second. 私事より義務が先んずる( 公務/義務が最優先、私事は後回し”)の教えを大切にしている思いを誰よりもわかっているからこそ守り共に実践。


自分の生まれた王室がなくなったからこそ、ロイヤルとしての立場に対してロイヤルである限り信念があるのかもしれません。政務に関わる権限はなくとも英国王室が激動の戦後を生き抜いていく際に、フィリップ殿下がエリザべス女王と共に果たした役割は計り知れず、



フィリップ殿下 

1997年フィリップ殿下は結婚50周年記念に「幸せな結婚に不可欠なのは、忍耐だということを学んだ」述べています→

【英国王室】フィリップ殿下 さすが女王が愛する人♡目立たぬ賢さと →

【英国王室】フィリップ殿下 誕生日おめでとうは禁句? 過去を語らぬ強さ→




Time Tested Beauty Tips * Audrey Hepburn Forever *-エリザベス女王 フィリップ殿下

おふたりで歩まれた日々...長い年月を共にし、美しく深い絆があることでしょう。