【モナコ公室】グレース・ケリーと帽子 | Time Tested Beauty Tips * Audrey Hepburn Forever *

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麗しい、美しい、 愛しいものを......
オードリーをはじめとするハリウッドセレブからダイアナ妃やグレース・ケリーなどの各国 王室・王族も。

ロイヤル・ファッションのポイントに帽子は欠かせないアイテムでした。さまざまなタイプの帽子を愛したグレースですが、どれにもひと工夫を凝らしていました。

グレース・ケリー


きちんとしたスタイルが流儀のグレースは、クラシカルで正統的なデザインのエレガントなドレスを好み、帽子はターバンタイプを好みました。

ファッションにも、グレース・ケリー流のクールビューティーが表現されていたのです。


グレース・ケリー


1929年アメリカ東部、フィラデルフィアで、裕福なケリー家の3番目の子どもとして生まれたグレース。
ほかの兄弟と違っておとなしい子で努力家でなグレースは小さい頃からバレエや演劇に興味を持っていました。高校を卒業すると、グレースは両親の反対を押し切り、演劇芸術アカデミーへ入学するため、ニューヨークへ旅立ちます。仕送りを断っていましたが、モデルなどのアルバイトでもその美貌で破格のギャラを手にしていました。「私は両親の反対を押し切ってニューヨークにやってきたの。自分自身を発見したかったから。」「いつか、ハリウッド史上に残るムービースターになってみせるわ。」と語っていましたが。それはすぐに現実となります。1951年、映画デビューを果たしますがすでに多くのファンがついていました。


オーディションでは手袋と帽子という淑女スタイルで周りに強い印象をもたれていたグレース。映画「真昼の決闘」でゲイリー・クーパーの相手役を獲得。映画の話が次々と舞い込むようになり、ヒッチコック監督の映画「ダイヤルMを廻せ!」や「裏窓」ですぐにハリウッド・スターの仲間入りをしました。ビング・クロスビーと共演した映画「喝采」で、1955年、映画デビューから5年でアカデミー主演女優賞を手にしました。


同1955年カンヌ映画祭に出席した際、モナコ公国のプリンス、レニエ公との運命的な出逢いがあり、1956年4月4日コンスティチューション号がニューヨーク84埠頭を出向。

「船は霧に包まれてせいか、まるで自分がどこか知らないところへ連れて行かれるような気がしていました。これから何が起こるのかしら...霧の向こう側ではいったいどんな世界が待っているのかしらと。」と回想しています。

グレース・ケリー



1956年4月19日、モナコ大聖堂に美しい花嫁姿で現れたグレース。優雅なレースのウェディングドレスに、パールを散りばめたヴェール。グレースの手には、幸せを運ぶといわれるすずらんの花がありました。

しかし220もの居室がある公宮につき、グレースは結婚生活から新婚旅行まで5kg痩せたそうです。


プリンセスとなったグレースは、結婚と同時に外国への公式訪問や華やかな社交界へデビュー。義務と心構えもたくさん覚えなければならず、世界からファーストレディとして注目され、夫であるレニエ公の傍らで、眩いばかりのオーラを輝かせ始めるのでした。しかし使用人にはアメリカ人として下に見られ、女優としての仕事もさげすまれました。結婚6週目での妊娠発覚、慣れないフランス語、細かい規則などに泣かされます。

グレースの好む食事や装飾もアメリカ的と非難されたこともありました。しかし独身のレーニエ公の住んでいた宮殿は閉鎖的で、一歩部屋を出れば誰かが申し付けがあると寄ってくる...落ち込むグレースにレーニエは忙しくしていた方が良いと宮殿の修復の仕事を任せ、グレースは大々的な改装をしプライベートを守れる空間を作りました。また公妃としては珍しく、子どもたちを母乳で育てました。

グレース・ケリー


長女、長男を出産後、グレースがゆっくりと花を楽しむ時間を取り戻したのは、モナコに嫁いで10年後くらいからでした。2人を出産後流産を繰り返していました。子どもたちが少し手を離れて「モナコ・ガーデン・クラブ」を設立し、交流を重ねる中で押し花絵に出合います。押し花を始めると、その魅力の虜となり、数多くの押し花絵を創作しました。作品には公妃ではなく、私人であるグレース・パトリシア・ケリーのイニシャル、「G・P・K」を記しました。

生涯を通じて花を愛したグレースが1981年、モナコの公妃として日本を訪問した際、日々の生活の中に花が溶け込んでいることを知り、日本人の自然への敬愛の精神を高く評価したのでした。


モナコで毎年開催される春の「バラの舞踏会」と夏の「赤十字の舞踏会」は、グレースが主役として輝く華やかな舞台でした。ディオールのオークトチュールを着こなし、世界中から集まる多くの著名人の参加が、いつも大きな話題を呼びました。