ヴィヴィアン・リー晩年の写真など... 純粋な感性と狂気、悲運の女性   | Time Tested Beauty Tips * Audrey Hepburn Forever *

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私の大好きな 美しいもの、綺麗なもの、かわいいもの。 そして 美しい人、綺麗な人、可愛い人をご紹介したいです。
麗しい、美しい、 愛しいものを......
オードリーをはじめとするハリウッドセレブからダイアナ妃やグレース・ケリーなどの各国 王室・王族も。

抑えられない荒ぶる神経と底知れない深い闇を抱えていながらも、それがヴィヴィアンの人をひきつける魅力の一つでした。舞台を愛し、女優という職業を愛した女性は生涯、演劇・映画にこだわり続け、家庭を捨て、女優としての生き様を見せてくれました。

Time Tested Beauty Tips * Audrey Hepburn Forever *-ヴィヴィアン・リー



「わたしはさそり座です。さそり座の人間は、私のように自分を食べ尽くし、燃やし尽くすのです」




1913年11月、インドのダージリン地方で生まれる。


両親の愛情を一身に受け幸せな日々を過ごすヴィヴィアンですが、1920年に突然、ロンドンのローハンプトン修道院の寄宿学校に入れられます。「両親と離れた子供は周りから注目されることを強く望み、ヴィヴィアンは女優になることでその欲望を叶えた」と友人は語ります。

母方のヤクジー家にはアイルランドとインドの血が流れていると言われ、当時、そうした家の者はインドを支配していた白人社会から差別を受けており、ヴィヴィアンの父親もそのために白人クラブから追放されたこともありました。母は反動のように熱心なカトリックでした。

ヴィヴィアンの恩師ドロシー・エアーは「ヴィヴィアンはとても活発で、美しく、みんなに大変人気がありました。でも時々ひとりぼっちで暗い顔をしていました。」と振り返ります。




1932年12月20日、19歳

ヴィヴィアンは、ケンブリッジ大卒の弁護士ハーバート・リー・ホールマンとセント・ジェームズ・カトリック教会で結婚。普通の家庭生活に入る。しかし、家庭生活を知らない彼女にとって、それは退屈な、つまらないものに感じました。翌年、長女を出産。しかし友人ヒューゴ・ヴィッカーズは「まったく母性本能を持たないまま子供を産んだのだ。」と振り返りました。


端役で映画デビューするも、撮影時以外は満たされないヴィヴィアン21歳。リリック・シアターでオリヴィエ(27歳)の舞台を見て、彼に近づきたいと強く思い、舞台「美徳の仮面」で成功をおさめたヴィヴィアンは、オリヴィエの楽屋に乗り込みます。ヴィヴィアンに惹かれるオリヴィエですが、彼もまた女優ジル・エスモンドと結婚していました。ヴィヴィアンとオリヴィエの最初の共演映画『無敵艦隊』の撮影終了後にはふたりの恋愛は本物になっていました。


ヴィヴィアンは家族を捨て、夢と愛したオリヴィエを追って渡米、スカーレット役を射止めます。ふたりの関係をマスコミがかぎつけ、プロデューサーのセルズニックは映画の撮影が終了するまで、ヴィヴィアンとオリヴィエが一緒にいることを禁じます。過密スケジュールのヴィヴィアンはすっかりやつれてしまい、やむなくセルズニックは彼女に休暇を与え、休暇中、NYでオリヴィエと再会。風と共に去りぬのスカーレット役でアカデミー主演女優賞受賞。一躍スターになったヴィヴィアンは、「互いの離婚が成立したら、すぐにでも結婚する」と記者会見まで開きます。




1940年8月、ヴィヴィアンとオリヴィエは結婚。


スカーレットのイメージが強すぎ、誰も女優として評価を下しませんでした。結核が原因の咳の発作に見舞われるも舞台に立つヴィヴィアン。誰もがヴィヴィアンとスカーレットのイメージをダブらせ、客席からはスカーレットと言われ、何をやってもスカーレットに見られる。彼女にとってそれは大変な重荷でした。映画『シーザーとクレオパトラ』に出演。しかし撮影時に流産。



1944年11月、ノトリー荘で取り乱すヴィヴィアン。精神に異変が...躁鬱病はある周期をもって極端な躁状態・鬱状態を繰り返す病気。ヴィヴィアンほど激しい発作を起こすことは滅多にないそうで、女優というストレスの強い仕事が彼女の病気を一層悪化させたそう。病気がひどくなると、ヴィヴィアンは一晩中眠らず、パーティなどに明け暮れ、友人はヴィヴィアンを「いつも起きていた」「よくトランプに誘われた。」と振り返ります。


Time Tested Beauty Tips * Audrey Hepburn Forever *-ヴィヴィアン・リー


1948年『アンナ・カレニナ』に主演。美しいだけの失敗作でした。

ヴィヴィアンは「自分の美しさが消えていくのが怖い。」と語るようになりました。夫オリヴィエは40歳でナイトの称号を受けます。才能を認められる夫をみた焦りか、ヴィヴィアンは激しい発作に見舞われるように。





『欲望という名の電車』に出演

あれはヴィヴィアンの私生活を再現したようなものだったのだとか。この映画に出たことで彼女の躁と鬱の周期が短くなり、病気がさらに酷くなり、走っている車から飛び降りようとしたことも。

ヴィヴィアンは、この作品で2度目のアカデミー主演女優賞を受賞。しかし、その代償はあまりにも大きなものでした。オリヴィエが(休養するよう)説得しようとしても舞台に立つことをやめませんでした。ヴィヴィアンにとっては何か演じている時だけが心の救いで、本当に求めているものがわからぬまま求め続け、その穴を埋めたのが心の病になってしまったとも言われています。疲れたオリヴィエは女優ジョーン・プロウライトと暮らし始めます。


ヴィヴィアンは友人に「自分とオリヴィエの家は砂の上に建ててしまった。自分の夫ホールマンとオリヴィエの妻ジル、二人の不幸という砂の上に。他人を不幸にした報いは必ずかえってくる。だから家を建てる時、砂の上に家を建ててはいけない”と。」語ったのだとか。



最後の映画となった「愚か者の船」の監督スタンリー・クレーマーは語ります。「(ヴィヴィアンは)実に見事に解釈し、演じきりました。あの頃、ショック療法を受けていたせいか、ピリピリしていた。でも本番では、病気を感じさせないんだ。よく隅っこで震えている事はあったが、カメラの前に立つと、見事に役になりきる。そしてまた、震え出す。見ている方が辛かったよ。」



1967年、ヴィヴィアン永眠。
遺灰は彼女の希望通り、彼女が住んでいた家の池に巻かれたため、お墓はない。




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Vivien Leigh, late 50s