【英国王室】ダイアナ妃 Biography1961-1997 軌跡「自由な精神でいたいの...」 | Time Tested Beauty Tips * Audrey Hepburn Forever *

Time Tested Beauty Tips * Audrey Hepburn Forever *

私の大好きな 美しいもの、綺麗なもの、かわいいもの。 そして 美しい人、綺麗な人、可愛い人をご紹介したいです。
麗しい、美しい、 愛しいものを......
オードリーをはじめとするハリウッドセレブからダイアナ妃やグレース・ケリーなどの各国 王室・王族も。

私は自由な精神でいたい。私のそんなところを嫌う人もいるけど、それが私という人間なの。

I like to be a free spirit. Some don't like it, but that's the way I am.


Time Tested Beauty Tips * Audrey Hepburn Forever *-Princess Diana




【ダイアナ妃  軌跡】Biography 1961-1997



1961.7.1
誕生



1981.2.24

チャールズ皇太子との公式婚約発表

ロンドン市のチャリティ・ガラで公式デビュー


Time Tested Beauty Tips * Audrey Hepburn Forever *-Princess Diana

1981.7.29
ロイヤルウェディング

ハネムーンはブリタニア号での地中海クルーズ


1981.8.15
バルモラル城へ。10月まで滞在


1981.10
ウェールズ訪問


1981.11.3
上院議会開会式に出席


1981.11.5
ロンドン市庁午餐会で公式に妊娠を発表


1981.11.12
リージェントストリートでのクリスマス・ライトの
点灯式に単身出席


1982.2
バハマ、ウィンダミア島でのバカンスでビキニ姿を撮られる
ケンジントン宮殿に移住


1982.3.2
エリザベス・テーラーと対面



Time Tested Beauty Tips * Audrey Hepburn Forever *-Princess Diana

1982.6.21
長男ウィリアム王子出産


Time Tested Beauty Tips * Audrey Hepburn Forever *-Princess Diana



1982.9
モナコのグレース王妃の葬儀に英王室代表として一人で出席


1982.11-12
ウェールズ訪問


1983.3
初めての海外公式訪問
オーストラリア・ニュージーランドにウィリアム王子を同行


1983.6.14
カナダ訪問(白の美しいドレス)



1984.2
初の単身海外訪問ノルウェー
ロンドンシティーバレエの『カルメン』上演に出席


1984.9.15
ヘンリー王子出産


Time Tested Beauty Tips * Audrey Hepburn Forever *-Princess Diana



1985.4.19-5.5
両王子を伴い一家でイタリア訪問


Time Tested Beauty Tips * Audrey Hepburn Forever *-Princess Diana


1985.10
西ドイツ訪問


1985.10.26
オーストラリア訪問


1985.11.8
アメリカ訪問


1986.4.14
オーストリア訪問


1986.4.30
カナダ訪問、バンクーバーの万国博覧会で体調不良の為倒れる


Time Tested Beauty Tips * Audrey Hepburn Forever *-Princess Diana

1986.5.8
夫妻で初来日


1986.11
サウジアラビア訪問


1987.2.11-14
ポルトガル訪問


1987.9.9
フランス訪問


1987.11.2-7
ドイツ訪問


Time Tested Beauty Tips * Audrey Hepburn Forever *-Princess Diana


Time Tested Beauty Tips * Audrey Hepburn Forever *-Princess Diana

1987Prince Charles and Princess Diana with Prince William and Prince Harry during vacation in Spain, 1987
Time Tested Beauty Tips * Audrey Hepburn Forever *-Princess Diana




1988.2.3-5
タイ訪問


1988.3.4-5
アメリカ、ピッツバーグ訪問


1988
オーストラリア訪問


1988.11.7-11
フランス訪問


1989.2.1
初の単独アメリカ訪問


1989.3
サウジアラビア訪問


1989.6
ウィリアム王子の通う学校の運動会の母親レースで優勝


1989.11
香港訪問


1990.11.10
天皇即位の礼で再来日


1991.4.22-27
ブラジル訪問


1991.5.10
チェコ訪問


1991.10.23-29
カナダ公式訪問


Time Tested Beauty Tips * Audrey Hepburn Forever *-Princess Diana


1992.2.10-15
インド公式訪問


1992.3
ハンガリー・ブダペストへの公式訪問


1992.5
エジプト公式訪問


1992.6.16
『ダイアナ妃の真実』が出版


1992.11.2-5
韓国公式訪問(夫妻揃っての最後の海外公式公務)そっぽを向いた写真が話題に


1992.11.13
フランス訪問


1992.12.9
別居を正式に発表。
ダイアナはケンジントン宮殿
皇太子はセント・ジェームズ宮殿とハイグローブへ


1993.3
別居後初めての海外公式訪問ネパール


1993.7
国際赤十字がジンバヴエで運営する施設を訪問


1993.9
ルクセンブルク訪問


1994秋
J・ヒューイットが暴露本『Princess in Love』を出版


1995.2
三度目の来日


1995.11
テレビ番組『パノラマ』出演


1996.2.28
協議離婚に合意を発表


1996.8.28
離婚確定判決の発表をもって正式離婚


1996.11
オーストラリア訪問

1997.1
対人地雷禁止キャンペーンの為、アンゴラを訪問


1997.5
パキスタン訪問


1997.6
クリスティーズオークション(エイズチャリティの為)
対人地雷禁止キャンペーンでワシントンDCを訪問


1997.7.1
最後のバースデー(36歳)
テートギャラリーの100周年記念の式典に出席


1997.7.21
Northwick Park Hospitalへの訪問が英国での最後の公式公務


1997.8.7~10
対人地雷禁止キャンペーンで、サラエボ等を訪問


1997.8.21
地中海休暇


1997.8.31
午前4時(英時間午前3時)パリにて交通事故で死亡。


1997.9.6
Westminster Abbeyにて葬儀。



Time Tested Beauty Tips * Audrey Hepburn Forever *-Princess Diana


個人的に絶対観ないと思うのですがナオミ・ワッツ主演の映画「ダイアナ」。コマーシャルでナオミの声を聴いて、ああ、ダイアナ妃の魅力はあの綺麗な声でもあったな...と思いました。



国内でも10月に公開が予定されている話題の映画「ダイアナ」で、故ダイアナ妃を演じたナオミ・ワッツ(44)は、実は二度もこの役を断っていたという。ビッグロールを蹴ろうとしたその理由は?

故ダイアナ妃と同じイギリスに生まれ、女優としてキャリアを積み、映画「21グラム」(2003)ではアカデミー主演女優賞にノミネートされたナオミ・ワッツ。すでに公開されているトレーラーなどでは、ブロンドのショートカットに青い瞳といった外見、話し方や立ち居振る舞いなどでダイアナ妃を表現する姿が話題を呼んでいます。(故ダイアナ妃と、恋人ハスナット・カーン医師とのロマンスを軸に、悲劇のプリンセスを描いた映画「ダイアナ」は、10月18日から公開。ただしストーリーはひどいと評価されています)


ナオミ・ワッツは「Sunday Times」誌のインタビューで実は2度主演を断っていたことを語りました。
「私を躊躇させた最大の理由は、ふたりの王子たちがこれ(ダイアナ妃を演じるナオミ)をどう感じるかという点だったの。ロンドンのレストランで、ウィリアム王子と遭遇した瞬間は、ぞっとするものだったわ。私はとても緊張してしまったの。だって、もし目が合ったら、ダイアナ妃の映画を撮ることについてネガティブに思っていないかどうか考えちゃうでしょ。だから目を見ないようにしてたわ」
と英王位継承者のケンブリッジ公ウィリアム(31)と対面したときのことを、「恐ろしい体験」とまで語っています。また、「当然だけど、私は“プリンセスはどう感じたか”ということに、深く気をつかったの私はふたりの息子の母親よ。だけど、このストーリーはどこかで語られなきゃいけなかったと思うの。みんなが想像しているより斬新かもしれないわよ」と私生活ではダイアナ妃と同じくふたりの男児の母親であるナオミは、王室への敬意と同時に、ふたりの息子の思いに配慮したかったのだとか。