初めて、小説キャンディキャンディファイルストーリーを読んだ時。
アンソニーには違和感がなくて、漫画の世界のアンソニーをそのまま、より深く感じられたのだけれど、テリィには少し、違和感を感じたの。
あ、もちろん、嫌な感じではなく、「新鮮なテリィ」を。
だけど、正直、漫画のテリィとファイナルストーリーのテリィは、少し違う、と思った。
と、言うのは。
私の、漫画キャンディキャンディのテリィは、女子に関心がないから?なのか、女子慣れしているから?なのか、割りとぞんざいに女子を扱っているイメージがあって。
突き放してる感じ💕
キャンディに、ですら、最初は「雑」(笑)
テリィが、キャンディを好きだと自覚したあたりからもアンソニーのような繊細な思いやり?や配慮?より、「自分の気持に素直に」「直情的な愛」をキャンディにぶつける感じに思えていた。
漫画のテリィは、キャンディが自分のことをどう思っているんだろう?なんて、不安になったり、心配したりする思春期のような描写は少なかったと思う。
だからテリィの内面を推し量るのが、難しかったのよね💦
だけど、ファイルストーリーを読んで1番びっくりしたのが、テリィがキャンディの行動にドキドキしたり、喜んだりしていること💕
「五月祭まで禁止されたのか」
テリィは瞬間、空を仰いだ。
キャンディがいない五月祭。
たまには参加しようとおもったが、おれもやめるか。
がっかりしている自分に驚いたように、テリィはあわてて話題を変えた。
「へぇ、見かけによらずテリィって読書家なのね」
キャンディはやっと平静になるとテリィの本をのぞきこんだ。
「これは」
「シェークスピア」
テリィは焦げ茶色の装丁も重々しい本をキャンディにわたした。
「シェークスピア。あ、ロミオとジュリエットを書いた人ね。」
何気なくそう言ったとたん、ふたり同時に顔をそらした。
キャンディはテリィも五月祭のことを思い出したのがわかった。
肩を怒らせ駆け去っていくキャンディの後ろ姿を、テリィは楽しげに目を細めて見送っていた。
「あいつ、はじめておれのこと、テリィって呼んだな。」
テリィの口もとには、自然に微笑が浮かんでいた。
「あ、行くな」
瞬間、テリィが真面目な声になった。
「せっかく、きみのことを思い出しながらピアノを弾いていたっていうのに」
テリィは自分の言葉に照れたように鍵盤に視線を落とす。
嘘ではなかった。
ピアノを弾きたいと思ったのも久しぶりだった。
テリィが好き。
キャンディは痛いほどそう思った。そして、もしかして、テリィも。
時が止まったようなその瞬間、テリィの指がふいにキャンディに向かって延びかけ、ハッとしたように、途中で下ろされた。
いや~ん💕
ラブラブな感じ~💕
それに。
かわい~💕テリィ💕思春期じゃん‼️
よく考えれば、当たり前なんだけど、
そのあたりの描写を水木杏子先生の文章で読むと、「テリィが透明感のある硝子細工のような一面を持った少年」みたいにくっきりと見えてくる。
ザ・まさに水木ワールド💕
素敵だぁ~💕
と、同時に。
最近、いがらしゆみこ先生の「ジョージィ」を読み、その中のアベルを見て、「これって、(アベルって)ほぼ、テリィじゃない??」っていうほど、雰囲気が似ていた💕
もう、どこがどう、と言うより全体的な印象が、オーラが、まとう雰囲気が。
つまり。
テリィって、すっごく幅広いキャラクターなんじゃないだろうか⁉️
ファンそれぞれの受け止め方で、「テリィ像」が変わる、という。
それは、ふたりの作者がいるから。
やはり。
水木先生といがらし先生というふたりの作者がいて、それぞれの先生がおもい描く人物像があるから、じゃないかと思うの。
水木先生の考えるテリィ像、こんな雰囲気で、ストーリーの中ではこんな役割を演じて、とか、いがらし先生の描きたいテリィは、こんなタイプで、こんなことをして、こういう台詞を口にする、とかそれぞれ、タイプが違っていそう。
いがらし先生テリィと水木先生テリィはちょっと違いそうな。
違うかな~。
だから、私のテリィはこんな風💕っていうテリィのキャラがファンによってすごく違う。
水木ワールドに浸るファンといがらしワールドに影響を受けたファンでは、それぞれが思い描くテリィの行動、言動、思考、雰囲気が違うのでは?と思うのです。
漫画の影響からいがらし先生テリィの方が本筋かな~。
ちなみに、たぶん、私はいがらしワールドテリィを愛しながらも、「水木ワールドテリィも好き💕」
と、言いつつ。
実は、「水木杏子ワールドって?水木先生ってどんな方なんだろう?」と知りたい気持ちが私の中で渦巻いている。
いがらし先生は、(知らなくても)知った気持ちにさせて下さる方。
なんとなく、こんな方かな~💕って、想像しちゃう。
でも、水木先生は、リアルに想像できない。
だから余計知りたくなる‼️(笑)
漫画連載当時と小説キャンディキャンディファイルストーリーを執筆された当時の水木先生の心の中を知りたい‼️なんて思ってしまう。
ここのところ、ずっと水木先生の著書を読んでいます💕
図書館でも借りて。
『ふーことユーレイ』シリーズ、『ワルツの夏』『赤い実はじけた』『海時間のマリン』『星のかけら』「バラのしるしは愛の言葉」「恋の予感はバラの香り」「アイランダー物語 アンの島の人々」
を読みました~💕💕
どの著書も外れなく「水木ワールド全開💕」
対象年齢も小学校高学年から中学生、って感じがほとんど。
でもその中にあって、主人公が20代後半から30代前半という設定の物語が、「赤い実はじけた」のその続編「赤い実たちのラブソング」
そこにすっごい素敵なメンズが出てくるの💕
長くなるからあらすじは、今日は省くとして、その中に出てくる既婚者のメンズは、まさに水木ワールドのピュアで芯のある、しなやかで優しくて強い?男。
みんな絶対に好きだと思う💕
だからかなぁ~💕
テリィにもそんなイメージを持ってしまう。
でも。色々読んでみて。
キャンディキャンディは、やっぱり、水木先生の著書の中でもひときわ異質?な光を放っているような気がするの。
キャンディキャンディは。
ある孤児の少女が、どんな困難にあおうとも、くじけず前を向き、人生を自らの力で切り開いてゆくー。
そんな物語。
物語のテーマを見ると前向きで明るいテーマなのだけど、この物語、主人公にとって、ものすごく過酷な運命が待ち受けている。
孤児院から、娘としてもらわれていくこともなく、13歳にして、住み込みの労働者となり、その挙げ句オーナー(の息子と娘)のパワハラで、メキシコに売られそうになる。
奇跡的に大金持ちの養女になれた、と思ったらその次は、相思相愛の初恋のメンズが目の前で落馬してなくなる。
その後も運命は、キャンディを攻め?続ける。
罠にはめられ、寄宿学校を退学になったりするのは、まだマシで、最終的には、愛する人とも生木をさくように引き裂かれる。
おまけにいつもキャンディの味方であり、良き友であるステアまでキャンディの元から去って(亡くなって)しまう。
こんな人生、過酷過ぎる‼️
こんなストーリーの漫画、他にない‼️
どんな人生観なの⁉️水木杏子先生‼️
って、思う。
どんな方なの⁉️どんなことを考えていらっしゃるの⁉️と。
1949年、昭和24年生まれの水木杏子先生。
ウィキペディア等によると。
12歳で新聞記者をなさっていたお父様を21歳でお母様を亡くされていて。
劇団四季の女優をなさっていたのは、十代後半。
なかよしで掲載されていたキャンディキャンディ連載(1975~1979)当時、水木杏子先生は、26才~30才。
結婚なさったのが、27才。
キャンディキャンディの連載が始まったのは、ご両親とも亡くなられてまだ5年くらいの頃。
若くしてご両親を亡くされて、ご苦労がおありだったと思う。
人生は過酷なものー。
そんな風に思われていた頃にキャンディキャンディを書かれたのかもしれない。
花は散るから美しいのよ…
咲いては散り、咲いては散りながら
花は永遠に生きているの…
花は散ってより美しく咲き、人は死んで…人の心により美しく永遠によみがえるのよ…
そんな「諸行無常」なアンソニーのママの言葉も、もしかしたら、水木先生の体験に基づいているのかもしれないと思う。
突然に愛する人が亡くなってしまうこともあるんだと。
人は永遠に心の中に生き続けるんだと。
ご両親の死にそんなことをおもわれたのかもしれない。
だけど。
小説キャンディキャンディファイナルを出版されたのは、
水木先生が61歳くらいの頃。
愛するだんなさまがいて、お子さんがいて(娘さんという噂)、お孫さんもいらしゃるかもしれない。温かな家庭が、水木先生の心にまた違う風を吹き込んだりしたのじゃないかなぁ、なんて思う。
人生、捨てたもんじゃないよ、とか。
子供(少女たち)には、悲しいことより、まず世界は愛に満ちている、と感じてほしい、とか。
現実は厳しいからこそ、愛と冒険、友情に溢れた物語の中を旅して欲しい(読んで欲しい)
どんな登場人物にも幸せになって欲しい、とか。
水木先生ご自身がその後の人生を生きていく中で、考え方や思いが、漫画連載当時とガラッと変わった可能性はないのかしら?と思う。
20代の水木杏子先生の考え方と60代になられた水木杏子先生の想い。
作者のお人柄や考え方を知りたい、と私は思ってしまう。
例えば。
みなさんが、おっしゃるのが、子供の頃はあまりロックオンされなかった「アルバートさん」が、アラフィフになるとその素晴らしさにときめく、と言うこと。
歳を経ると見えなかったものが見えてくる。感じなかったことを感じるようになる。
それらは、作品に対して影響しないのだろうか⁉️ファイルストーリーは、水木先生のそんな考えを受けて書かれたのではないのかしら?
テリィとスザナの関係。
若い頃は、スザナを見捨てることをしなかったテリィを理想の(?)男性と仕立てた水木先生。
そんなテリィだからこそ、キャンディはテリィを好きだったんだろう?って、アルバートさんが言っていた。
そうなの?キャンディ。
じゃあ、スザナの元へ残らず、キャンディを選ぶテリィなら、キャンディは嫌いになるの?
じゃあ、テリィの気持ちは?
他に愛する人がいて、自分のせいではない事故の責任をとる_。
誰が幸せになれたの?
スザナ?テリィ?キャンディ?アルバートさん?
そんなこともくだぐた考えてしまうわたし。
現実なら。
劇場が、もしくは、劇団側がスザナに賠償金を払っておしまい。
なのに。
漫画の中で、現実より、厳しい「現実」を突きつけた物語を少女たちに見せてしまった水木先生。
たとえ、当時「大人の事情」があったにせよ、少なくとも水木先生が、ご自分の考えるストーリーに仕上げることは可能だったみたい。(裁判の記録を見ると)
あえて、あの漫画のエンディングを選ばれた理由を聞いてみたい、なんて思うの。
あ~。知りたい‼️
水木先生のお気持ちが。
当時のお気持ち、ファイナルストーリーを執筆した時の思いを💕
残念なことに。今は水木先生のファンクラブは解散されているそうだけど、10年くらい前までは存在していたみたい。
お茶会とかなかったのかな~💕
元ファンクラブの方とかいらしたら、お話を聞いてみたい💕
結論のない思いをダラダラ書いてごめんなさい~💧
早い話が、私、水木先生を研究中です💕