半七あらすじメモ(1話~5話)
ブログネタ:電車やバスで寝過ごしたことある?
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「お化け師匠」というあだ名の、踊りの師匠が急死した。
山手線を5周くらいしていたことがある。
通っていたデザイン学校は水道橋にあって、当時は兄と2人で練馬に住んでいたので
(兄も水道橋付近の音楽学校に行っていたので)西武池袋線で池袋まで行き、山手線、
総武線と乗り換えていました。
そのおかげもあって山之手付近で結構遊んでいたので、今ZOKKONの「半七捕物帳」の
舞台である山之手周辺の地名がわかって嬉しい!
半七捕物帳、知らない言葉や読めない漢字を調べ直しつつ、一話30分くらいで読んでいます。
電子辞書ちゃんでそのまま旧字や古語を調べられるので便利だぁ~。
全69話のうち10作読んだので、(多分覚えきれないし・・・)せっかくなのであらすじをちょちょいと記録。ブクログのほうにレビューしようとも思ったけど、
アメブロのほうが使いなれてるので、むこうにはリンク張ります。
というわけで五話ずつ半七あらすじメモ。
一【お文の魂】1864年 元治 元年 (42歳) 3月
小石川西江戸川端の小幡伊織という旗本の屋敷に、お道という嫁と、娘のお春がいた。
お春の三つの節句の雛を片付けた晩、お道の枕もとに散らし髪の若い女が真っ蒼な顔を出した。
女は水でも浴びたように、頭から着物までびしょ濡れになっていた。
お道はおそろしい夢を見たと思ったが、娘お春もおなじものを見たらしく「ふみが来た。ふみが来た」と叫ぶ。
屋敷にはおふみという名の女中もゆかりの者もいない。おふみとは誰なのか、娘はなぜその名を呼ぶのか。
亡霊のように語られるおふみの正体を暴いたのは神田の半七という岡っ引きだった。
二【石灯籠】 1841年 天保 12年 (19歳) 12月
日本橋の横丁に菊村という古い小間物屋がある。
そこに今年十八になるお菊という美しい娘がいたが、ある日行方不明になったと
番頭から半七に相談があった。
翌晩、母親と一人の女中がふいに店にお菊の姿を見たが、家にあがったときの下駄だけ残して
また行方をくらましてしまった。
三【勘平の死】1858年 安政 5年 (36歳) 12月
具足町の和泉屋では、毎年恒例で年忘れの素人芝居が催される。
店の者や近所の者が役者を務めるが、例年通りの大掛かりな舞台や衣装を用意し、
座敷には所狭しと客が詰め込んで賑わっていた。
忠臣蔵の芝居の中、切腹を演じるはずの場面で和泉屋の若旦那が本当に腹を切って自害してしまう。
葬式の翌日、若旦那の生みの親を名乗る女が半七のもとに現れた。
四【湯屋の二階】 1863年 文久 3年 (41歳) 正月
湯屋の二階には、客人が荷物を預けたり、くつろいで食事をする座敷がある。
ここに年末から五十日間続けて通いつめている二人の武士があった。
勤番だとしても大晦日や元日にも訪れるのは少々不思議だと言って、半七に相談してきた
湯屋の熊吉は、二人の隙を見て彼らの荷物を秘密裏に改めた。
武士のふりをして、自分の湯屋を拠点に近所で良からぬ商売でもしているのではないかと疑っているのだ。
厳重にに包まれた荷の中には、人の頭と龍の頭のようなものが入っていた・・・
五【お化け師匠】 1854年 安政 元年 (32歳) 7月
「お化け師匠」というあだ名の、踊りの師匠が急死した。
自室の寝床に転がっていた遺体の首には、生きたままの黒い蛇が巻きついていた。
病弱な養女を執拗に働かせ過労死させた師匠は、呪い殺されたのではないかと噂されていたが、
半七はこの蛇をたよりに死因の真相にたどりつく。
【半七捕物帳メモ(時間軸順)】
時間軸順に年表を並べています。
【江戸時代メモ(時間と暦)】
当時の時計とカレンダーについて。