子供の頃の私は、父、母、私の三人家族でした。
しかし、成長する過程で父と母が離婚。



二十四の年に大阪で結婚し、二人の子供に恵まれたけれど、四年後に離婚して実家に舞い戻り、
母と、私たち親子の計四人家族で生活していましたが、二十年後に母が他界。



子供たちも成長し、それぞれ遠方へ嫁いで行ったため、今、私は一人暮らしです。



そして、現在。



「母さん、掃除するよー」と私。


「あいよ~✌️」と母。


母の隣には、何故か暗い表情の父がいる。
そしてポツリと一言。


「俺ら二人でこれから、
       孫のことみてくるから……」と。


そして……。 


「……あ、はい」と、 

「m(__)m……」な気持ちで、

年にしては、
    若やいだ両親を見送る私。

 

お陰様で 日々、 
ちっとも寂しくは
           ないのだけれど……。


とは言え、父の曇った表情が
どうにも気になる。


父が亡くなったのは、私が十七の時でした。


しかも私は、父の死に目に会うことができず、 
死の知らせを受けたのは、なんと四ヶ月も後のことでした。

ともかくも。 

父が鬼籍に入って、
半世紀近くが経ったことになります。



母と死に別れたのが、十八年前。  

因みに。 

死後まもない頃の母が、夢に出てきて、
最近、死んだらしい壮年の男性を、
光の方向へと  案内しているのを、
脇っちょから見学したことがありましたっけ。



そして、今までに二回。


母が、ピンク色と紫色、
そして黄金色の眩い光に包まれ、

まさしく天使のような、
二体の女性にいざなわれ、

ゆっくりと上昇して行くのを、
夢寐にみたことがあります。



後年、YouTubeの島田秀平さんの動画で、
「幽霊と話した人」が出ていて、

死霊が、霊徳を積むためには、
人や霊の助けになるような行いを
積むことだと聞いた時、

「そうだったのか……」と、
すべての辻褄が あったって感じましたよ。


 父は生前、
血筋による暗い宿業を背負っていた。
そしてその業は、一人娘の私にまで及んだ。


どんなにか、後悔していたようで、
夢寐に現れる父はいつだって、
暗くて怖い顔をしていたものです。
(最近は何故か、夢に出てこないのが、
                          かえって気になるが。。)



それが今では、母に助けられ、
夫婦で協力して、
愛孫の守護をしてくれているのです……。



ほんとに有り難いこと。
尊い愛に、いつも守られているのに、


私は未だ、この世の地獄から、
やっとの思いで片足の先っちょが
ちょっと抜けた程度なんですものね……。



しかし。



そうすることが出来たのも、
親の助けがあればこそ。


そして、占いと言う、
精神世界系業界の人間であること、


そして、異世界の住人である両親を
見習う機会にも恵まれ、これこそが


“身近にある幸せ”なのだと
大きな気づきをもらえた
    今日この頃ではあります。






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