●年に1度 電話をかける 5月 5日 | 悲しみの歳月から生きる

悲しみの歳月から生きる

主人と死別して17年目に入りました。
永い歳月の中で悲しみから得た想い。
私の数々の病気や、67歳で先天性難病発覚した私の想い。
そして人生を振り返る想いも一緒に
今までの「日記」も紐解いていきたいです。

 

特別な日になった 5月 5日

 

 

それは  7年前からです。

 

 

 

主人の先輩であり 親友の奥さんが亡くなられた日。

 

7年前の…5月5日に・・・・天国へ。

 

 

 

主人の闘病中に,  遠くから新幹線で何時間もかけて我が家に来てくれた先輩。

 

高校生から知っていて、大学生でもず~と支えてくれた主人の先輩の一人。

 

私のことも「〇子ちゃん」と呼んでくれて、

 

一緒に遊んだり、私の大学のレポートまで書いてくれた人です。

(と…言うより書かせたと言った方がいいでしょう)

(★★さんは法学部なんだから、ねぇ~コレ書いて!と甘えられた人)

 

 

 

主人の先輩であり親友。

 

その奥さんも、

私と主人と同じように 高校生からの付き合いで結婚した奥さんでした。

 

 

 

私達は友達になりました。

 

夫の両親と一つ屋根の下での同居する長男の嫁の立場が同じだったから

 

遠くから電話でどれだけ同居の嫁努めの苦悩や愚痴を

 

お互いに吐いていたことでしょう。

 

 

◇◇子さん

〇子ちゃんと, 呼び合う仲でした。

 

 

 

彼女は……

 

子供が小学生になった頃

 

突然、強い強烈な頭痛に襲われて…動くことすら出来ないほどの頭痛に

 

声も出なかったと。

 

 

悲鳴となり 家の階段を降りようとしてもふらついて

 

頭を抱えていたと。

 

 

 

 

 

病院で検査が始まり、「脳腫瘍」と判明しました。

 

それから先輩夫婦の命の闘いが始まりました。

 

何度も入退院を繰り返しながらも、嫁努めは続いていた彼女でした。

 

 

夫はサラリーマン。

けれど、同居した夫の家は酪農家だったので365日休み無しの家でした。

 

畑もあり…

 

結婚する時には「酪農」と「畑」はしなくてもいいと、言われたそうですが

 

義両親だけではなくて、大おばあちゃんまでいて、大家族の三食と洗濯や

 

家事を全てこなす嫁努めでした。

 

 

 

苦しい治療や手術に耐えて、奇跡的に回復しましたが

 

リハビリが大変でした。

 

 

 

そして、主治医からの提案が「PTA」の役員になって

 

外に出たり、人の中に入り、考えたり、判断することを勧められたので

 

彼女はそれを実行して頑張り抜きました。

 

それが彼女のリハビリになっていきましたが、

 

大家族の家事と並行しながらのリハビリでした。

 

 

 

私も同様に、

卵巣嚢腫体内破裂の緊急手術から、2年後には

 

「もう片方の卵巣が種類が違う病魔」になり

 

「子宮も全摘する」手術をすることに。

 

 

 

 

共に癌の病魔と闘い、再発に怯えながらの二人でした。

 

病院での検査・検査の連続は、互いに10年以上も続いていったのでした。

 

 

私の主人が亡くなった時には、告別式に遠くから夫婦で来てくれました。

 

最期のお別れからずっと一緒に居てくれました。

 

 

 

主人が亡くなってから…7年後に彼女は癌が再発して帰らぬ人になりました。

 

その知らせを「年賀欠礼の葉書」で知った私は

 

電話口で号泣して涙と泣き声で、声にならない言葉で泣きじゃくって。。。

 

 

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今朝、電話をかけたら

 

『おぉ~、〇子ちゃん、身体の具合はどうだ?』

 

『全部支度をしてあるんだ。後は義姉さんが来るのを待っているだけだ』

 

『義姉さんも一緒に墓参りをしたいと言ってきたからさ』

 

の…言葉から始まった挨拶でした。

 

 

 

丸7年たった命日でした

 

 

    ☆あのね、〇〇君はね…もう直ぐ丸16年なんだよ

 

 

『そうか!・・・〇〇は…!、10年も早く死んだんだよな…』

 

『〇子ちゃんは、16年間も孤独だったろう』

 

『本当に長いよな。』

 

 

 

『俺さ、今朝さ、仏壇にさ、線香をあげる時にさ、◇◇子に頼んだんだよ』

 

『◇◇子、早く迎えに来てくれよな。とさ、言ったんだ』

 

   ☆ねぇ~、私のことも一緒に頼んでおいてくれない?

   ☆◇◇子さんに頼んでおいて。

   ☆それからね、天国の〇〇君にも「早く〇子を迎えに来てあげて」と

    ◇◇子さんに伝えておいてね。

 

 

『俺さ、もう生きてゆきたくないよ』

 

   ☆私もね、もう耐えるのに疲れちゃった。

 

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唯一、ため口で「死にたい」「早く迎えに来て欲しいよな」などと

 

互いに言える主人の親友。

 

配偶者を亡くした同士。

 

だから素直に言える間柄。

 

一緒に年寄りになって、夫婦同士で温泉に行きたいよな。

と、言っていたのに・・・人生で予測できないの哀しみを体験した二人。

 

 

 

 

 

 

昨年の…5月5日は

 

私の体調が悪くて、電話をかけられなかったら、

 

10月頃になって『おい。どうした? 入院していたか?』

 

と、電話が来た。

 

『大丈夫なのか?』

 

 

 

その時に、泣きじゃくりながら

親がいとこ婚から産まれる「血液の奇形」だった話をした私だった。

 

 

 

 

 

 

今年も咲いてくれました。

カンパニュラ桔梗

 

 

 

カンパニュラベル

 

 

 

 

 

 

 

 

金魚草

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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